最近、米国の金融機関の財務諸表を見ています。ウェルズファーゴ(WFC)USバンコープ(USB)などの商業銀行から、ゴールドマン・サックス(GS)モルガンスタンレー(MS)などの投資銀行、信託銀行のバンク・オブ・ニューヨーク・メロン(BMY)まで主要金融機関は一通り見てきたつもりです。

米国金融機関の財務諸表を見て思ったことがあります。それは、自社株買いの規模がとても大きいということです。配当総額の何倍もの自社株買いをしている企業が複数ありました。

直近5年間の配当総額を100とした場合の同期間の自社株買い規模をグラフ化しました。橙色の棒が高いほど配当に比べて、自社株買いが多いことを意味します。

ウェルズファーゴ(WFC)やJPモルガン(JPM)、バンカメ(BAC)は自社株買いが配当より少ないですが、配当と同程度の規模の自社株買いを実施しています。

シティグループ(C)やゴールドマン・サックス(GS)、バンク・オブ・ニューヨーク・メロン(BK)、モルガンスタンレー(MS)は配当を遥かに超える自社株買いを実施しています。最も相対的な自社株買い金額が大きいのがゴールドマンで、配当を100とした時の自社株買い金額は367となっています。ゴールドマンはここ5年間で、配当総額の3.5倍以上の自社株買いを実施しているということです。

 

投資銀行を始め、なぜ金融機関の自社株買いはここまで大規模なのでしょうか?

その理由の一つに金融機関の報酬制度があると思います。WSJによると、米国金融機関のCEOの報酬のうち約50%が株式報酬(ストックオプション)とのことです。

ストックオプションが経営陣に付与されていると、会社は配当よりも自社株買いを優先しがちです。それは仕方ないことです。経営陣からすれば、自社株買いをして株価を上げることで自分達のストックオプションの価値も上がるからです。

ストックオプションとは、一定の株価で自社の株式を購入できる権利です。

例えば、2007年にバンカメ(BAC)の経営陣はBAC株を1株約54ドルで購入できる権利(ストックオプション)を付与されました。これは、バンカメの株価が100ドルになろうと200ドルに高騰しようと54ドルで株式を購入できる権利です。

つまり、BACの株価が上がれば上がるほどBACストックオプションの価値は高まります。もしBACの株価が100ドルであれば、BAC幹部は54ドルで購入したBAC株を100ドルで市場で売却することで1株当たり46ドルの利益を確定できます。

逆に、BACの株価が54ドルを下回ればそのストックオプションは無価値となります。市場のBAC株価が40ドルなのに54ドルで株を買いたい人はいません。BACの株価が行使価格である54ドルを下回れば、BACの幹部は普通はストックオプションを行使しません。オプションとは権利ですので、権利を放棄するのは自由です。

ちなみに、このバンカメのケースは残念ながらストックオプションは無価値となりました。BACの株価は現在でも25ドルです(2017年9月末)。リーマンショック前に付与されたストックオプションなので、行使価格が高かったです。バンカメの経営幹部はタダ働きさせられたとも言えます。

このように、経営幹部にストックオプションが付与されると経営陣は株価に対してより神経質になります。経営者は株主から経営を委託された者として常に株主利益を意識しなくてはなりません。別にストックオプションがあろうとなかろうと、経営幹部は株価を気にしています。ですが、ストックオプションが付与されると、自分の報酬が直接株価に左右されることになるので、経営者はより一層株価を意識します。

経営者が株価を上昇をさせようと躍起にさせることがストックオプションのメリットの一つだとも言われます。株主と経営者が利害が一致するからです。株価が上昇すると株主も嬉しいし、ストックオプションが付与された経営者も嬉しいです。

 

ですが、ストックオプション制度は株主にとってデメリットも複数あります。

配当政策の面でのデメリットとしては、経営者が配当よりも自社株買いを優先させてしまうという点が挙げられます。

自社株買いは株主還元なので、積極的に自社株買いをしてくれることは投資家にとって嬉しいことです。ですが、配当よりも自社株買いを優先し過ぎることには弊害もあります。

配当よりも自社株買いを優先することの弊害とは何か?

それは、自社株買いには既存株主から潜在株主への所得移転の効果があることです。潜在株主とはストックオプション保有者のことです。

配当は既存株主に持ち株数に応じて、淡々と金銭を支払うだけです。配当は既存株主にとって恩恵があるのみで、潜在株主(ストックオプション保持者)には恩恵はありません。

一方で自社株買いは株価上昇によって利益還元する手法なので、既存株主だけでなくストックオプション保持者にも恩恵が及びます。ストックオプション保持者は自社株買いによる株価上昇の恩恵を受けます。どれだけ配当を増やそうともストックオプション保持者の利益とはなりません。

自社株買いは配当と同じ効果があり、配当と同じ株主還元だと言われます。確かに自社株買いは株主還元ですが、配当と全く同じ効果があるわけではありません。

配当と自社株買いとは、富を還元する対象に違いがあります。配当は既存株主だけが還元対象ですが、自社株買いは既存株主+潜在株主(ストックオプション保持者)が還元対象です。

配当だと青色の既存株主だけで富を分け合うことができます。自社株買いは周りのピンク色の潜在株主が富の分け合いに参入してきます。それは、既存株主にとって見れば邪魔者です。なるべく少ない人数で利益を分け合った方が、一人当たりの取り分は多くなります。

自社株買いの方が、富を還元する対象が広いです。自社株買いの方が広く浅く利益を還元する手法です。ということは、自社株買いは既存株主にとってやや不利な利益還元方法だということです。本当は既存株主だけで利益を分け合うことができたのに、そこに潜在株主が横取りしてくるわけです。

配当を減らして自社株買いを積極的に行うということは、本来株主が受け取るはずだった配当金の一部を、ストックオプションが付与された経営幹部に奪われるということを意味します。

経営陣は与えられた資本でどれだけの収益を上げたかではなく、単に利益を留保したという理由だけでストックオプション(による利益)を得るのです。

『バフェットからの手紙(第4版)』より抜粋

バフェットが株主宛の手紙に書いた通り、ストックオプションは利益を留保するだけで利益をもたらします。本来は資本をどれだけ株主のために活用したかで評価されるべき経営陣が、資本を一切活用しないことで利益を得ることが可能になります。

でも、さすがに全く資本を活用しないのはマズイだろうと経営者も考えます。そこで自社株買いという選択肢が出てきます。自社株を買うというのも立派な資本の活用方法ではあります。ですが、ストックオプショが付与されていることで、経営者には過度に自社株買いをしたくなる誘因が働きます。少なくとも配当を減らして、自社株買いを増やしたいとは思うはずです。

経営者にストックオプションが付与されることで、経営者と株主の利害は一致すると思われがちですが、それは違います。株主還元という面でも、利害は不一致となります。

配当の方針においても、株主を不当に扱うことで、オプション所有者の利益は高まります。

(中略)

CEOはこの算術を理解しており、配当を支払うことですべての発行済みオプションの価値は下がるということを知っています。

『バフェットからの手紙(第4版)』より抜粋

ストックオプションを付与された経営者は、本音では配当を払いたくないのです。株主から不満を持たれない程度に配当を出しておいて、後は自社株買いをしたいと考えてしまいます。それは仕方ないことです。誰でも人間はインセンティブの奴隷という側面があります。ストックオプションという報酬制度には、大きな穴があります。

 

 

配当と自社株買い、株主にとってどちらがよいかたまに議論になることがあります。自社株買いはキャピタルゲインで利益還元する分、税金が繰り延べられるメリットがあります。確かにそのメリットは小さくはないです。

ですが、自社株買いにはデメリットもあります。税金を無視すれば、自社株買いの方が配当よりも既存株主に還元される利益額は小さくなります。それは前述しましたが、自社株買いだと潜在株主(ストックオプション保持者)に利益の一部を横取りをされるからです。

あまりに自社株買いが多い金融機関へ投資する際は注意が必要かもしれません。これは金融機関に限った問題ではありませんが、金融機関の経営者へのストックオプション報酬制度は特に普及しているため注意が必要です。

英国企業で米国ADR上場のHSBCホールディングスの配当利回りは4%と高いですが、これはHSBCの自社株買いが少ないことも影響していると思います。HSBCの直近5年間の配当総額を100とした時、同期間の自社株買いの規模は僅か7です。

自社株買いよりも配当を重視する企業の方が、長期投資には適していると思います。