経理をやっていると「お前らは数字だけしか見てなくてビジネスの現場をわかっとらんだろ!」的な批判の視線を感じることがあります。直接言われないにしても、なんとく感じることがあります。

確かにそう言いたくなる気持ちはわかります。だって現場を知らないのは事実だから。特に中途入社の自分なんて特にそうです。新入社員が受ける製品研修や営業研修も受けてないし。だから、その批判は甘んじて受け入れるしかないです。

自分でも「すげえ自分偉そうなこと言ってるなあ」って思う時ありますもん。

「今のペースだとA事業は今期の目標利益に達成しません。売上をもう1億円積み増すか、もしくはSGAをコントロールする必要があります。」

こんなことを真顔で社長やCFOに言ったりするわけです。営業担当は「1億売上増やすのがどれだけ大変かお前らわかってんのか!」と感じるでしょう。事業部長は「SGAをコントロールしろってほとんど固定費だから無理だよ・・」って思うでしょう。

「B事業は長年損失を計上しておりもう立て直しは厳しいです。撤退した方がいいと思います。」

こんなことを言わなくてはいけない時もあります。それで実際に工場の社員がリストラされたこともあります。事業が売却されて従業員がそのまま他社に移ったこともあります。最終判断はCEOとは言え、その判断を促す数値データを提供する経理部門の責任は重いです。

泥臭い営業の現場を知らない経理の人間が空調の効いた綺麗なオフィスで数字を並べて、売上が足らん、コスト使い過ぎ、リストラしろなどと上から目線で言ってたら、イライラする人が出てくるのもわかります。

ただ、やっぱりそうやって冷たい数値データを提供する役割も社会には必要なんです。ビジネスの最前線にいる当事者は往々にして客観的な視点で物事を見ることができませんから。それが普通です。

コロナ禍の今をどう生き残るか、必死で考え悩んでいる居酒屋やバーの店主は大勢いると思います。ビジネスオーナーとして会社を存続させ、社員や家族を食わせることに全エネルギーを注いでいるはずです。そんな中、コロナ感染者の推移見通しや各種産業の業績データを集めて、5年後10年後の未来を思い描くのは普通は困難です。社会を考えている余裕はなく、自分の周囲半径5メートルのことで精一杯です。

経営で苦しんでいる人にとって、コロナウイルスについて医学的な説明やそれがもたらす今後の社会の変化なんてどうでもいいことです。「んなこと考える暇あるなら、うちに飲みに来い!金を落としに来い!」って感じでしょう。

その気持ちは共感を集めやすいですが、でもやっぱり冷静に統計データを集めて報告する人も必要なんです。自粛の解禁など今回のパンデミックに関わる判断は特に客観的なデータに基づく必要性が高いです。

数字、データを基に語る人は世間の共感を得づらく、ともすると人の血が通ってない冷徹な人間と思われがちです。ただこれは役割の違いでしかありません。社会には色んな役割があって、各々がそれを適切にこなすことで社会は回っています。

FRBは失業率や新規失業保険申請件数などのデータを見て金融政策のかじ取りを行っていますが、1件の失業の裏にはそれぞれの人間ドラマがあります。失業して嬉しい人なんていません。家族離散で死にたい気持ちになっている人もいるかもしれません。でも、FRBはそんな個別の人間の感情に配慮はできません。ただただデータのみを見て判断します。それは仕方ないことです。それがFRBの役割ですから。

数字の裏には人の努力や悲しみがあることを意識することは会計屋として大切なことだと思っています。一つの伝票は必ず誰かの意思決定、行動に起因しています。会計はビジネスプロセスの最後の最後のまとめですが、その過程にある苦労を理解できる温かい経理マンでいたいです。ただそうは言っても、やっぱりデータを扱う者として、客観的な視点を持った冷たい一面も持っていたいです。