先日、旅行で沖縄に行ったのですが、本島も石垣もどちらも車が必須ですね。どこへ行くにもレンタカーでの移動でした。
私たち夫婦は普段から夜ご飯よりお昼を贅沢にしています。夜に食べ過ぎると肥満の原因になりがちだし、あとランチはコスパがいいですから。
お昼にしっかり食べて、夜は軽くおつまみとお酒というパターンが休日は多いです。お酒はない時も多いかな。とにかく夜は控え目が基本です。
沖縄でもその習慣は変わらずで、美味しいグルメは基本お昼に頂きました。4日間で一番美味しかったのは「ロブスターのウニ焼き」です。5千円でまるまる一尾。都内で食べたら1万円はしそうです。それに加えてポテト、ライス、あと海鮮鍋まで注文して満腹になりました。大満足。
ただ、問題はその後。食後はビーチに行く予定だったのですが、もちろん車移動です。もう、それがしんどくってっしんどくって。
いつもならお昼にたらふく食べた後は歩くことが多いです。都内は基本電車移動ですが、最寄り駅に行くだけでもそれなりに歩くし、あえて1駅や2駅分くらい歩くこともあります。食後は1時間は散歩することが多いかな。歩いているうちに血糖値が下がって、満腹感も収まってきます。
ところが、沖縄ではお昼たべてソッコー車に乗るわけです。椅子に座って運転するだけで、全く消化されてる感じがしません。それが個人的にはしんどかったです。世間的には当たり前の日常かもしれませんが、うちらにはあまりに酷でした。
これ都会住まいの隠れたメリットだなと感じます。車社会じゃないので嫌でも徒歩で行動することが多くなり、結果として運動不足になりづらいと思います。
たった4日間の沖縄生活でしたが、あれだけ車社会だとどうしても運動量は落ちるだろうなあと思いました。元気な子どもはいいとして、大人になったら運動する機会はかなり減りそうです。
都心でマンション購入、車は買わない(必要な時はレンタカーやカーシェア利用)というのが東京でもっともコスパ重視のライフスタイルだと思っていますが、そのライフスタイルは健康面でも有利です。
サークルでテニスやサッカーをやるとか、ランニングが趣味とかでなければ、このネット社会どうしても運動量は落ちます。仕事もPCと向き合うことが多いですし。
私たちのDNAは狩猟採集時代とさほど変わっていないので、あまりに運動しないのは心身ともに悪影響です。
都心の電車生活は嫌でも歩く距離が長くなります。それが嫌な人もいるでしょうが、私たちは運動が好きだし、健康意識やや高めなので、都心は理想的な環境です。絶対東京ってこだわっているわけじゃないですが、やっぱ都会な環境がいいです。
沖縄は人が優しくて、時間が流れがゆっくりで、自然溢れる素敵な場所でした。また旅行で訪れたいです。でも、住むのは難しそうだと感じました。
沖縄旅行いいですね!
年収は住むところで決まるという本を読んだことがありますが同じことが書いてありました。曰く、都市に住む人間の方が運動もするし頭も良くなるんだとか。電車通勤なので環境負荷も少ないようです。
読んでないですが、そんな本ありましたね。
一度都会生活をしちゃうと、なかなか離れるのは難しいです。
老後は田舎でという発想も私はないです。
むしろ老後こそ都会がいいくらいです。
私も実家が埼玉県の郊外で、基本的に車社会でした。
最寄りのコンビニへ行くのですらマイカーがデフォルトでしたので、身体には良くないなと思いました。
ですがそれを感じたのは、マイカーを手放して公共交通機関を活用する様な生活に変わってからの話でした。
それまでは身体に良くないといった発想にすらならなかったですね、実家暮らしの頃は。
慣れとは恐ろしいものです…
沖縄旅行良いですよね!
現在福岡に住んでいるので近い!と思っていますが、以外と福岡県民は沖縄にあまり関心が薄い?様に感じています。
次の転勤が決まって福岡を離れないといけなくなる前に、沖縄旅行をしておきたいものです。
そうですよね。
私も実家は福岡の田舎ですが、子どもの頃はスーパーに行くにも常に車でした。
なので大人になったら車を持つのが当然なんだと思って育ちました。
東京で育つと徒歩+電車移動が当たり前で、車は特別という意識になるのでしょうか。
たまに安いレンタカーに乗るだけでもちょっと非日常感があります。
福岡県民ですが実は今回が初沖縄でした。
近いと逆に旅行先に選ばないというのは確かにあるかもしれません。
福岡住まいいいですね。
ほどよく都会でいい街です。
自分も都心部在住車なし生活ですが、公共交通機関を利用して買い物や外食をするにしても、自宅から駅まで歩く、駅から目的地まで歩く、次の目的まで歩く、駅から家まで荷物を抱えて歩いて帰る、といった感じでなんだかんだで結構歩いてますね。車だと楽だろうなーと思うこともないわけではありませんが、その場合このウォーキングが全部なくなるのか…という気持ちになります。移動手段をマイカーメインにしている友人たちは太ったりしていますねー
そう、意識しなくても、気が付いたら結構歩いてますよね。
都心はちょっと歩くと次の繫華街が表れるので、ちょっと散歩するだけでも楽しかったりします。
意外と自然も多いですし。
あと一駅一駅の間隔が短いのも散歩しやすい点です。
車の運転も楽しいですけどね。
私は徒歩を習慣にしたいです。
Hiroさん
いつも勉強させていただいております。
Hiroさんは人類学がお好きなようですので、少し豆知識書かさせてください。
狩猟採集時代のDNAからいくと、朝食というのは軽めか、無しというのが自然の食生活です。
狩猟採集時代は食料の保存が難しかったので、狩りに出て獲物をとって帰ってきてからその日のうちに食べる。
昼食から夕食が接種量としては多かったと考えるのが自然ですね。現代の一般常識である朝食をしっかりとる・・・というのは人間の体にはあっていない行動となります。
その発想からすると人間が運動するタイミングも、獲物をとった後である食事の後ではなく、獲物をとる前の食事の前にするようにできていると考えるのが自然でしょう。
あと最も消化が良い食べ物は、実は肉や魚です。人間が400万年近く行ってきた狩猟採集時代の食生活のメインは動物です。肉や魚の消化に適したように胃腸はできています。証拠として少し汚い話になりますが、嘔吐した際に出てくるものは大体麺や米、野菜ですよね。肉や魚というのは消化が早く原型をとどめていません。
現代人の病気の大半は、糖質の取りすぎが原因です。狩猟採集時代は糖質へのアクセスが限られていた。果物などは人間より早く採取できる動物がほかにたくさんいますし、農業をしていないので米や小麦を大量に食べる機会はなかった。心筋梗塞や脳卒中を引き起こす動脈硬化の原因は血糖の上げ下げを頻繁にしているからです。
資本主義社会は人間に消費させたくてたまらないので、間食をすすめたり、1日何十種類の食べ物を食べましょうとか、国ぐるみでやってますからね。魚を1週間で何回食べましょうとか。それなら陸地で狩猟採集を行っていた人たちが魚を食べていかったから不健康だったかといったら決してそうではないでしょう。
資本家からすれば人間の本来の食生活なんてどうでもよく、商品が売れて、病気も増えてもらった方がありがたいですからね。資本主義社会は金融面も当然ですが、あらゆる意味で正しい知識をもっていないと生き抜けません。
みのさん
ありがとうございます。
「サピエンス全史」、「ホモデウス」は面白過ぎました。
橘玲さんも人類学の視点で語れることが多く、その影響も受けているかもしれません。
食後よりも食前の方が運動量が多かったというのは、なるほど確かにそうですね。
獲物を狩るためにということか。
食後にダラダラ横になると「牛になるよ」と親に怒られたものですが、こっちの方が体にはいいのかもしれませんね。
糖質に対する見解はいろいろあって何が正しいかよくわからないなあと思っています。
人類が炭水化物をこれほど摂取できるようになったのは最近のことで、狩猟採集時代は肉などのタンパク質がメインだった。
だから、人間の体はタンパク質の摂取に順応している、という論理ですよね。
一方で、いやいや糖質を制限し過ぎるのはよくないという専門家の意見もあるようです。
今はとりあえずバランスよく、肉、魚、野菜、米を食べておこうと思っています。
ただ米はなるべく夜は控えるようにしています。
昼まで米抜きにすると選択肢が狭まってしんどかったです(数年前糖質制限ダイエットやってました)。
かつては本能に従って生きることで、少しでも長く生き延びることができました。
しかし、今はおっしゃる通り本能に従って欲望のままに生活しているとすぐに生活習慣病になっちゃいます。
知識もそうですし、自制心が求められますね。
Hiroさん
サピエンス全史は非常に興味深いですし、著者の多方面からの幅広い考察は圧巻ですね。
その通りですね。当時は少しでも脂肪を蓄えることが生存するためには必要だった、ある物はあるだけ食べれるうちに食べておく必要があった、現代でも人間の遺伝子はそのままで今の物質社会では自制心が求められますね。ただ狩猟採集時代の「自然」とはなるべく肥満になりやすい行動が選択されていたので、肥満を避けることが命題である現代ではそのままは当てはめられないとは思ってます。そういう意味で食後にダラダラは牛になるというのは、本当に肥満になるのかもしれませんね笑
人間の食生活ですが、狩猟採集時代はタンパク質と脂質が中心だったことは間違いないでしょう。
糖質と言ったらたまに手に入る果物や野生の野菜くらいでしょうか。
実はだからといって現代でも肉・魚を食べていれば狩猟採集時代の栄養に近づけれるのかといったらそうではないのです。それは現代の動物は家畜または養殖がほとんどであり、飼料で育てられた動物と野生の動物とでは栄養に大きな差があるのです。
また人間は肉にも簡単にありつけなかったという説もあります。では何を食べていたか、他の動物が食べ終わった獲物の骨が主食だったのです。両手で道具を使える人間のみがアクセスできた骨のなかの髄液をすすって生き延びていたというのです。
人間が狩猟採集時代に備えた特性をよく理解しておく必要があると思っています。かつてリスクをとることが命を落とすことに直結したため、リスクをとって命を落とすことがない現代でもリスクに過剰に反応してしまう。
現代資本主義社会ではリスクをとったものが勝つ。もし失敗したとしても社会的セーフティネットもが用意されていて最低限の衣食住は保証されている。
私はフルインベスト、株式100%です。
社会の変化のスピードが早すぎて、とても人間の生物としての形質転換が追いつかないというのが根源の問題ですね。
そして、この差はますます広がりそうです。
VRなどでデジタル空間が広がると、人は今よりもさらに物理的に移動することが減って、運動量が減りそうです。
とは言え、体を動かした方が気持ちいいという本能もあるような気もします。
e-sportsが流行っていますが、本物のプロサッカーやプロ野球よりも市場が大きくなるとはなかなか思えません。
私たちはみなリスク回避的な形質を備えている可能性が高いです。
なぜなら、そういう先祖が生き残ってきたらからです。
おっしゃる通り、仕事でも投資でもリスクを回避したいと考えてしまう傾向があります。
だからこそ、リスク資産には相応の利回りが乗っており、適切にリスクを取ると儲かるという構図がありますね。