私はいま世田谷のちょこっとお高い住宅街(付近)に夫婦二人で住んでます。街のステータス性とか全然興味なく、単にお互いの職場の中間地点で選んだだけです。

1LDKで家賃15万円もするんですが、設備が良いというよりは立地代だと思っています(それでも私の一人暮らし時代の家より遥かに快適だが)。いずれは、もうちょっと都心から離れた安い場所に引っ越したいと思ってます。

周りのご自宅に目をやると、それはもう高級車だらけです。うちの隣には似たような一軒家が二つ並んでるんですが(戸建てかな?)、車は黒のベンツと白のBMWです。いつもピッカピカでカッコイイです。二台並んでいて、なんだか競い合ってるように見えなくもない。

その隣は白のレクサスLSで、その隣はオレンジのクラウンアスリート、そのもう隣は黒のポルシェです。

なんでみんなこうも揃って高級車ばかりなんだろうかと不思議に感じます。ここに家を建てる以上、それなりの車を持ってないとメンツがとか、プライドがとか、とかそういう空気があるんじゃないかなあと思います。もちろん、買うだけの経済力あるということでしょうが。

そもそも、自宅のガレージから出ているところをほとんど見たことがありません。休日ですらガレージに鎮座しています。高級なインテリアかと思っちゃうくらいです、失礼ながら。イーロン・マスクが世界のエネルギー効率を改善したいと奮起して立ち上がる気持ちもわかります。

自分で稼いだ金で何を買うのかなんて自由だし、他人にどうこう言われる筋合いなんてないわけですが、私はこういう見栄を張る系の消費って全く興味ないです。見栄を張るような相手もいないし。

高級車=見栄消費ってわけではないです。純粋に車が好きなだけという人も大勢いると思います。が、私の周りはなんか「高級車じゃないとダメ」的な雰囲気を感じるんですよね。えいやで引っ越してしまったのでしばらくは住みますが、この街に住み続けたいとは思わないです。

マウントを取るという行為は時代遅れでもあります。というのも、現代は価値観が多様化しているからです。見栄を張る、マウントを取るというのは同じ価値観を共有しているからこそ起こることです。

女性は日常生活、特に恋愛関係でマウントを取りがちと感じますが、それは素敵な恋愛をしてハイスぺな彼をゲットして幸せな結婚生活を送ることに価値を見出す人が依然として多いからだと思います。表面的にその感情を出さないにしても。

男は年収や資産額でマウント合戦になりがちですが、それはお金を稼ぐことに関心のない男はほとんどいないからです。

ただ、社会全体として見れば価値観は多様化している。何が幸せなのかは人それぞれという世の中。

高度成長期はバリバリ働いて出世して高い給料をもらい、「いつかはクラウン」に乗ることに価値を感じる人がほとんどでした(そうらしい)。クラウンに乗ればマウントを取れました。

でも、今はそうでもないですよね。組織で出世したいと思っている人はむしろ少数派に感じます。都内で車を持つなんてむしろコスパ悪いし微妙だよね、って思ってる人も相当数います。

見栄を張っているようで、伝わっていないことが多いということ。なぜなら、価値を共有できていないから。自分の好きを追求して高いお金を使うのは後悔が少ないけど、他人の目を気にして大金を払うと後悔するんじゃないかって思います。

見栄で高級車を所有するのを止めて、カーシェアリングでも利用すれば生涯で数千万円は浮くんじゃないでしょうか。その浮いたお金で株を買えば20年で億に・・・なんて発想こそ世間には共感されない価値観ですね(笑