帝政ロシアの小説家トルストイは『アンナ・カレーニナ』の冒頭で「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」と言いました。

この文章を由来とした「幸福の形はいつも同じだが、不幸の形はそれぞれ違う」という言葉が、格言のように紹介されているのをたまに見かけます。

確かに幸福な家庭はどれも似ています。しかし、現代はそもそも家庭を持つこと自体が当たり前ではなくなっています。2019年現在の男性の生涯未婚率(50歳時点の未婚率)は23%で2040年には30%に達すると言われています。

社会が豊かになったおかげで、色んな生き方が可能になりました。価値観も多様化。選択肢が多いから、どういう人生が自分にとって幸せなのか迷う人が増えました。答えはないとわかっている。だからこそ悩む。「幸福の形はいつも同じ」とは言い難い時代です。

個人的な考えですが、幸せの形は大きく3種類あるのではと思います。
①ライフスタイル追求型
②他者貢献追求型

③財力、権力追求型

①ライフスタイル追求型とは、とにかく自分の好きなように生き、自分のためだけに時間を使うことに価値を見出すタイプです。たとえば、勤務時間に縛られず朝好きな時間に起きたい、気の向くままに日本全国世界中をのんびり旅したい、1日中テレビゲームしていたい、とかです。

株式投資で財を築いて、サラリーマンを辞めることに価値を見出す人はこのタイプだと思います。金持ちになってドバイの高級ホテルで美女と過ごしたい、という願望(妄想?)もこちらに属するかな。

②他者貢献追求型とは、誰かの役に立つことをし、それによってもたらされる自己肯定感、自己有用感に幸せを感じるタイプです。もちろん、仕事で成功すれば必然的にお金を稼げるので、お金を稼ぐことも重要です。ですが、お金というよりも、他者との関係性が幸福感の肝なのかなと思います、このタイプの人は。

具体的な有名人を挙げるとソフトバンクグループ会長の孫さん、アマゾンCEOのジェフ・ベゾス氏など。ちょっと偉人過ぎて現実感ないですかね。でも、②に幸せを感じる人は結構多いのではと推測します。意識してないだけで。

③はとにかく偉くなること、金持ちになることに価値を感じるタイプです。最近の若い人は、あまりこのタイプはいないかな。

私は③には興味はなく、①と②で揺れ動いてきました。20代の頃は完全に①タイプです。株式投資で億万長者になりたい。いつか会社も辞めて、自由気ままに好きな場所に移動し、美味しいもん食べて暮らしたい。お金持ちになったら女性からモテるのかな~とか。そんなことばっか考えてました。自分中心。

でも、20代後半くらいから①よりも②の方が自分に合っているなと思ってきました。というのも、1週間くらいの長めの連休があっただけで、やることなくて暇やな~とか思うことがよくあったからです。たとえお金と時間がたっぷりあっても、それだけで幸せを感じるのは難しいんだろうな、ということに気が付きました。

理想のライフスタイルを追求するよりも、誰かの役に立つことをしている方が自分の存在意義を確認できて安心する。そっちの方が生き甲斐があるというか、単純に楽しいんじゃないかなって思ってきました。やりたくない仕事を続けるのは嫌ですけどね。何か自分なりに考えて他者貢献し続ける方が、結果として自分の幸福に繋がるのかなって今は思っています。

①と②は必ずしも相反するものではなく、共存できるものです。それが理想です。が、難しいとは思います。二兎を追う者は一兎をも得ず、と言いますからどちらが自分にとって大切なのか考えた方がいいのかもしれません。

なぜ結婚したいのか?
その目的は①(ライフスタイル追求)なのか②(他者貢献追求)なのか?

子供の頃から家族に囲まれた暖かい家庭に憧れていて、その生活を手に入れたくて結婚するなら①でしょうか。付き合ってる彼女のことが好きで、相手を幸せにしたいから結婚するなら②でしょうか。僕は①の理由による結婚願望は小さいので、もし将来結婚するとしたら②の理由かなと思います。

仕事も続けていきたいです。勤め人を続けるかどうかはわかりませんが、ビジネスは生涯現役でいたい気持ちが強いです。一番興味があるのは教育分野です。ブログみたいな執筆も好きだな。

①と②は時間とともに揺れ動くものなのかもしれません。一度完全リタイヤして悠々自適に過ごしていたけど、何か物足りなくてビジネスの世界に戻りたくなることがあっても不思議ではありません。仕事がんばり過ぎて疲れ切って、1年くらい家でぼ~っと過ごしたくなる時期があるかもしれません。

別にどっちが正しいってわけではありません。③の財産権力追求型だって否定するつもりはありませんし。僕は今は②に重きを置いています。20代前半の頃のように①に戻る時がまた来るかもしれませんが。