この前、新宿のスタバでブログを書いてたら、横に20代後半くらいと思しき女性二人が談笑していました。別に盗み聞ぎするつもりはなかったのですが、なんせ声が大きかったので嫌でも話し声が耳に入ってきました。その話がちょっと面白かったです。
Aさん「最近ほんっとに結婚したい!って思う。」
Bさん「また言ってるww」
わちゃわちゃ5分くらい会話(内容覚えてない)
Aさん「年収は500万円以上が条件」
Bさん「なんで?」
Aさん「別に仕事辞めたいわけじゃないけど、辞めようと思えばいつでも辞めれる状態になりたいの。500万円くらい稼いでもらえれば大丈夫でしょ。」
わかるー、って横で聞いてて思いました。あ、聞いてたわけじゃなくって勝手に耳に入ってきただけですよw。
そうそう、別に仕事を辞めたいわけじゃないのよ。もし嫌になったら不安なく気軽に辞めれる状態になりたいだけ。選択権、オプションを持ちたい。生活のために何があっても気合で出社しなくちゃならない奴隷状態からの脱却。それが経済的自由の獲得だと思っています。私はそう定義しています。
今3億円貰っても多分会社は辞めないです。暇でやること無くなりそうだから。読みたい本、観たい映画、旅行で行きたい場所、たくさんあるけど今まで仕事だった平日8時間がぽっかり空くとなんか時間を持て余しちゃいそうです。一緒に遊ぶ友人もほとんどいないし。
でも仕事を辞めようと思えば辞めれるだけの経済力は欲しいです。その方が仕事にも余裕が生まれます。嫌な上司の言いなりになる必要もなくなるし。会社に対する交渉力が増すということ。「気に入らない部署に異動なら転職しますんで~」とは決して口にしないけど、それくらいの心構えで働きたいものです。そのためには市場価値のあるスキルと経済力の両方があると理想です。
会社に依存しないキャッシュフロー源として株式投資に光明を見出しました。現在のS&P500平均のPERは17倍~18倍、益回りは5%~6%。私のポートフォリオも概ね同じくらいだと思います。今の運用資産は約2,400万円だから益回り6%を掛けると年間144万円の利益です。すっごい皮算用ですが、長期で10%のリターンを得られると仮定すると年間240万円の利益です。一人暮らし前提なら、最低限の生活費は株で稼げる状態になりつつあります。この調子で増やしていきたい。ストックというよりフローを増やしたいです。
男は親がよほど裕福でもない限り、自力で経済的自由を獲得するしかありません。サラリーマンにしろ投資にしろ起業にしろ。金持ちの女性に養ってもらって専業主夫になるという選択肢も理論的にはなくはないですが、まあ現実的ではないでしょう。時代遅れの発想かもしれませんが、私は女性に経済的に依存するのはかなり抵抗ありますね。共働きは普通だと思っていますが。
一方で、女性は経済的自由の獲得方法として仕事や投資の他に結婚というのもあります。金持ちの男と結婚できれば働かなくていいかもしれません。経済的自由は言い過ぎでも、結婚によって生活の安定、安心感は増します。女性はパートナー選びが人生に与える影響が男より大きく、また、誰かに愛されたいという欲求が男よりも強い。男は人生自分次第なところがあるけど、女性は自分も大事だけどどういう相手と一緒になるかもかなり重要。だから女性には占い好きが多いのかなってたまに思います。
人はリスク回避的な性格があるという前提を経済学は置きますが、この前提は概ね正しいと自分の感覚として思います。リスクに満ちた人生の方が刺激的で楽しいという人もいますが、安定を求める人の方が圧倒的多数派です。就職活動の様子を見れば一目瞭然。自分もそうです。経済的自由が欲しいなんてリスク回避的発想以外の何物でもありませんから。リスク回避的なのは男女共通。
長い人生の途中にあるあらゆるリスクを回避するもっとも有効な手段は、経済力を付けること。男はそれを仕事や投資に求めるしかないけど、女性はパートナーに求めるという発想もあります。動物本能的にそれは普通のことだと思います。
過去に突然振られた経験とか、飲みの場で友人女性から色々話を聞いてきた経験から一つ思っているのは、女性はイケメンや金持ちを求めているというよりは、結婚制度を求めてるんだなってことです。もしくは子どもが欲しい。このどっちかだなと感じます。一般論ではなくあくまで私がそう感じ取っているだけですけどね。
結婚という制度があるならその庇護のもとにいたいという願望。昔は生活のために好きでもない男と結婚して、床の世話が嫌だったという話を聞いたことがあります。今では女性の社会進出も進んで、生活のために嫌々結婚せざるを得ないことはほとんどありません。
でも、結果として結婚という制度は残っている。時代遅れと言われることもあるけど残っている。法的にカップルと夫婦は全くの別物です。結婚は男性側に経済的な責任を持たせる面があります。それは法的な要素もあるし文化的な要素もあります。特に稼ぎが良い男にとっては、ぶっちゃけ言えば結婚は経済的には損です。
何となくそれがわかっているから女性は結婚制度を求めるんじゃないかなと。あと、制度を利用してパートナーの本気度を確かめたいのかもしれない。あなたにとって経済的、精神的負担のある結婚をしてまで、私を本気で大切にし続ける気持ちがあるのかって。
僕は男女の純愛を全く信じてないわけじゃないけど、ある程度年齢を重ねてからの男女づきあい、結婚なんて基本的には打算の産物でしかないと思っています。でも別にそれで構わないです。動物はみな生きるため、幸せになるために必死なものですし。打算が基本だからこそ、その中にほんの僅かでも無償の愛が見えると嬉しい気持ちになるもんだと思います。
>今3億円貰っても多分会社は辞めないです。暇でやること無くなりそうだから。
もちろん、個人の価値観は人それぞれなので、別に(どうでも)イイと思いつつも、ということになりますが、とても(悪い意味で)日本人的だな~と思いました。
私は、「何もやることが無い状態」が欲しいなと思っています。
それがどんなに暇であっても、その「とことん暇な状態」が欲しい。
繰り返しますが、個人の価値観の問題です。全く否定する気はございません。
が、典型的過ぎる日本人の感性だな~っとは思います。それだけは間違いないと思いますよ。
価値観、人生観に良い意味も悪い意味もなく、仕事したい人はお金に関係なく好きに働いて、ゆっくりしたい人はゆっくりすればいいと思います。
価値観の「良し悪し」じゃなくて、日本人的だな、ということなのです。
時々見聞きする話ですが、仕事が無い暇な状態が耐えられないっていう発想になるのって、世界中見渡して日本人だけらしいですね。
それって既に、頭の中を占めてる一番大事な要素が仕事だってことなんですよね。
私は、仕事はお金を稼ぐ「手段」であって、人生の「目的」ではないのですが、日本人の多数派って、違うみたいですね。
仕事は人生を楽しむ「目的」なのですね。
仕事の考え方も色々ありますね。
最近は仕事と日常の境界線もだいぶ曖昧になってきたなあと感じます。
確かに、日本人は仕事中毒の人は多いと感じます。
最近の若い人はそうでもないですが、上司を見ているとそう感じることがよくあります。
例え3億円あってもやることないから仕事してしまう、というのは仕事中毒とは違うのですか?
私は、イコールだと思っていました。
仕事と日常の線引きがスパッと分かれないのも、日本人ならではなのですよね。
米国の優良企業を支える従業員の人達、彼らはビジネスはビジネスとしてキッチリと割り切っています。
その結果、米国株が優良なのはご存知のとおりです。
一方で、仕事が日常に侵食している日本人の働き方、その結果日本株の有り様がああなのも、ご存知のとおりです。
う~ん、どうなんでしょうかね。
少なくとも私は全く仕事中毒ではないです。
経理の仕事は少し飽きてますし(笑)。
最近は毎日定時上がり、時間休暇、有給休暇たくさん取ってます。
ただ、完全に仕事を引退するのは何か嫌だなと思うだけです。
うまく言語化できずすみませんが、単に会計や数字が好きで、また職場の人間関係も良いからだと思います。
監査法人にいた時は上司が嫌過ぎて、一刻も早く辞めたかったです。
こんばんは。京セラの記事以来の2度目のコメントになります。
元京セラマンです。覚えていらっしゃいますでしょうか?
私も勉強不足ながら米国株へ投資しており、こちらのサイトにて勉強させて頂いております。
拙いですが投資の結果などを記事にもしております。
度々コメントしたかったのですが、難しいこと書いてあるな~、コメントし辛いな~、
などと思い、なかなか出来ないでいたのですが。。。
今回の記事については書きやすそうだったのでコメントしてみました(;’∀’)
私は妻とは10年一緒にやってきていますが、まだ付き合っていた頃、「結婚して仕事辞めたい」
と言っていました。現在まで、主に私が経済面を支えてきましたが、妻にはお金や将来について考える意思とか習慣がなく、本当にイライラすることがたくさんありました。
今は「また、あの時の仕事をしたい」と言う妻を見ると、仕事自体が嫌いだったわけではなかったようです。「生活のため、お金のため」が絡むと、好きに仕事や人生が回らなくなるのかな、と思います。私も生活関係なしに仕事できるなら、もっと強気に好きにやれて楽しくやれそうです。
男女ともにアイデンティティを守りたくて、社会実情を鑑みて、その術をどこに求めるか、ということでしょうか。妻を見ると、「自分が自分らしくいることを守ってもらいたい」、みたいな感じがします。
でも、結婚は打算ばかりじゃなくて。私は愛の中に打算があるのだと思います。
結婚は打算じゃできないですし、打算なしに、何度イライラしても妻子は可愛いですよ。
可愛いから、喜ぶ顔が見たいからやってあげてしまう、というのもある意味打算的なんでしょうかね。。。?
こんにちは。
はい、印象的だったのではっきり覚えていますよ。
打算というと悪い言葉のように見えるかもしれませんが、男女関係にかかわらず人間関係はすべて打算の元に成立していると思っています。
自分の中にある打算(計算)、そして相手にも自分と付き合う打算(計算)があると素直に認めた方が人間関係は円滑になるし、相手に過剰な期待を抱かなくなります。
愛は打算を見えなくするために必要なものかなと思っています。
どう思うか自分の感情次第ではありますが。
あと記事にも書いたのですが、無償の愛もゼロではないです。
ただ常に無償の愛があると勘違いすると、いつか三下り半を突き付けられるものだと思います。
相手にとってメリットのある存在で居続ける努力は必要かと。
ブログもされてるんですね。
お互い頑張っていけるといいですね!
よろしくお願いします。
またまた示唆に富む記事ですね。これだからHiroさんのブログは楽しいです。
打算、いいじゃないですか。
キチンと愛を感じて相手に敬意を払い居心地が良ければ上手く行く気がします。
無償すぎると怖いです。ナマじっかミスできないです。ケンタウロスさんと同じかも(笑)
三億円あったら、、、悩みますね。同じ業界でも楽しそうなほうに軸を動かしてペーペーから再出発もいいな。
資産は一億をゴールデンバタフライのポートフォリオにして一億を今のポートフォリオの延長、もう一億は通貨を分散して放置しようか。あぁ、叶えたい。
相手に敬意を払うって大切ですね。親しき中にも礼儀あり。
あと仲が良いからって安易に相手の発言を否定しないことが大切かなって個人的に思っています。
大人の人間関係で100%無償の愛は成立し得ないというのが持論です。
三億円あったら思い切った行動をし易いのは確かにあります。
私は引退はしませんが、外資など別の企業の経理にチャレンジしてみたい気持ちがあります。
どんな経理システム、業績管理の仕組みがあるのか普段から気になっています。