橘玲さんは人間関係を以下の3つに区分する考えを書籍で紹介されています。
・貨幣空間
・友情空間
・愛情空間

この3つの区分する明確な定義はありません。配偶者は愛情空間にいる人でしょうが、彼女はどうでしょうか。もしかしたら友情空間かもしれません。まあ、そこは個人の解釈があっていいところです。

愛情空間と友情空間では取引にお金を介さないことが多いです。特に愛情空間ではそうです。奥さんにご飯を作ってもらったからってお金を払うことはありません。友情空間も似たようなもんですね。ただ、友情空間は愛情空間ほどの無償のサービス提供を期待することはできません。要は程度の問題です。

貨幣空間は取引にお金を介します。全く知らない第3者があなたにご飯を作ってくれるのは、あなたからお金をもらうためです。それ以外にわざわざ見ず知らずの人に料理を提供する理由はありません。

現代の日本、特に東京では広大な貨幣空間が広がっています。家族という愛情空間を持つ(持てる)人は減っているし、お隣さんなど地域との繋がりも薄くなっています。私はマンションのお隣さんがどういう人か全く知りません。会ったことありませんから。

ほどほどの幸せは金で買える。これは真実だと思います。毎月カツカツの状態で幸福を感じることは難しいでしょう。

でも、お金だけあればそれでいいとは思わないです。また橘さんの話ですが、橘氏は「人の幸福は金融資本ではなく社会資本からもたらされる」という主旨のことを言っていました。つまり、お金ではなく人間関係が充実していないと幸せになれないということです。

幸せの基準は人それぞれですが、私はその通りだなと思いました。いくらお金をたくさん持っていても、楽しみや悲しみを共有し合える信頼できるパートナーがいないと寂しいなあと感じます。

しかし、これは複雑な問題をもたらします。なぜなら、現代の資本主義社会では貨幣空間が広がり続けているからです。あらゆる分野の商品、サービスがお金で調達できます。退職代行なんていうサービスまで生まれるくらいです。

ただ生きていくだけなら、いやそれよりも、経済発展がもたらす種々の高度な体験価値を手に入れるなら、友情空間や愛情空間での社会資本の蓄積はそれほど必要ではない。周囲からの信用よりもお金の方が必要。でも、人はお金だけをたくさん持っても幸福にはなれない。ここにジレンマがあります。

ホリエモンはよく「お金なんて要らない。信用を積み上げるという発想が大事なんだよ」と書籍や動画で言ってます。これは貨幣空間以外を大切にしろというメッセージでしょうが、私はこれに半分賛成半分反対です。あまり共感できない。

お金を支払うことで、見ず知らずの第3者から色んな商品を調達できて、それで豊かに生活できているのは紛れもない事実。お金を介するだけで余計な人間関係がなくて気楽というのもあります。誰かにいつでも助けて貰えるように貨幣空間以外で信用を積み上げるのも確かに大切だと思うけど、それがお金に勝るとはどうしても思えないです。信用を積み上げることで、結果として後でお金が付いてくるという発想ならわかりますが。

こう言うと拝金主義者に思われるかもしれませんが、便利な生活を送る上では信用よりもお金の方が何かと都合がいいよねって思うだけです。

一方で、人生の幸福度を決めるのは金融資本ではなく社会資本(人との繋がり)という橘さんの意見には共感します。

お金も大事。信用も大事。
ってこと。

資本主義経済が生み出す「豊かさ」を求めるのか、人間としての「豊かさ」を求めるのか。両者はトレードオフな面があるなあと感じます。後者を大切にしないといつか後悔すると思いつつ、前者を追い求めている自分がいます。