桜井章一さんというとっても格好いいダンディーなおじ様がいます。
これ、桜井さんの最近の書籍です。
諦める技術 (ポプラ新書)
「諦める」ってネガティブな印象を持つ言葉です。
努力を放棄して逃げ出す、というマイナスイメージを持つ言葉かもしれません。
でも一概に諦めることが悪いことだとは思わないです。
”何を”諦めるのかが大事なのかなって思います。
人生そのものを諦めるって言っちゃうと、それを言ってしまったら何も始まらないだろって思います。確かに、人間はいつか必ず死にます。人生はいつか必ず終わります。
だから、どう生きたって人生いつか終わるんだから人生なんてどうてもよくね?って思ってしまうのは、それはちょっと違うなって思います。
どうせいつかラスボス倒して全クリするからRPGゲームはやりません、みたいな感じがします。いやいや、その過程が楽しいんじゃないのって思います。
天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は自分の死を悟った時に、「ああ自分が今死のうとしていることを考えれば、天下統一なんて大したことないどうでもいいことだったわ」みたいな辞世の句を残しています。
自分は天下統一という歴史上の偉業を成し遂げたけど、そんな自分は今死のうとしている。あの世に逝ってしまえば天下統一したことなんて何の意味もないではないか、といった趣旨だと思います。
そうでしょうか?
人生は必ず終わるからって、天下統一のような偉業は何の意味もないことなんでしょうか?
逆じゃないかなって思います。
人生は有限だからこそ、天下統一のような偉業に価値を感じることができて、それに向けて努力することができたのではないでしょうか。
「どうせ死ぬから人生なんてどうでもいいわ、人生そのものを諦める」
これも一つの価値観かもしれません。ですが、私はこの価値観には共感できません。
人生は有限だからこそ、その一度の人生を全力で生きる価値があるんだろうなって思います。
もし不老不死の薬を飲んでしまったら、何もする気が起きないと思いませんか?
「どうせ永久に時間あるんだから、今やらんでもいいやろう」って。
もし永久に時間があれば、あれもこれも何でもできるって思いますよね。
それって羨ましいですか?
そうでしょうか?
人生って限りがあるから、刺激的で楽しいんだと思います。
人生に限りがあるから、出会いは貴重なんです。一期一会なんて言葉があるんです。
時間は有限だからこそ、その時間を自分が納得いく方法で最大限まで使って人生を楽しくしようと思えるのではないでしょうか。
人生が有限だと無意識的に理解しているから、みんな仕事や勉強、恋愛をあれほど頑張ることができるんじゃないでしょうかね。時間というリソースに限界があるから、自分がどんな仕事をするのか、どんなビジネスをやってみるのか、誰と一緒にどんな暮らしをするのかとかを真剣に考えるんだと思う。
人生の時間が有限だからこそ、その限りある時間をどこにどう配分するのか真剣に検討する必要があります。
だから、「諦める技術」は必要な技術だと思います。
人生そのものを諦めるんではない。人生を諦めずに生きると決めたからこそ、あらゆるものを諦める必要が出てくるんです。
起業する道を選ぶためには、安定したサラリーマンになるという選択を諦める必要があります。
女性が結婚して子供を産むには、バリバリ仕事でキャリアを築き上げることを諦める必要があるかもしれません。
ブログを続けるためには、ゆっくり読書したり映画を観たり友達と会ったりする時間を確保することを多少は諦める必要があります。
株式にお金を投じるってことは、債券にお金を使うことを諦める必要があります。
何かを選ぶことは、何かを捨てること。
豊かな現代の日本では、圧倒的に捨てる方が難しいと感じます。
周りに流されずに、自分の人生観とか価値観をしっかり見据えることが必要なのかなって思います。
でも、それって難しいなって思います、正直。
人生で何を重視するかって結構流動的だと思うんですよね。少なくとも、私は流動的です。ころころ考えていること変わります。
今は結婚なんて興味ないって思っていても、年をとってからやっぱり結婚したいって思うことがあるかもしれません。
今は安定したサラリーマンを続けて株式投資で蓄財をすることが最良の選択だと思っているけど、起業したいという思いがいつか沸々と湧き上がってくるかもしれません。
何でもかんでも無暗に諦めればいいわけではないと思います。
なぜなら、一度諦めたものはもう二度と手に入らなくなる可能性もあるからです。
例えば、一流大企業サラリーマンという地位を捨ててしまえば、よほど能力経歴が高い人でないと、それはもう二度と手に入らない可能性が高いでしょう。
慎重すぎるのもダメですが、大胆過ぎるのもダメだと思います。私含め人生経験浅い人が、人生わかった風をして、あれもこれも諦めすぎると人生後悔するかもしれません。
でもやっぱり人生の時間は有限だから、その有限な時間をどこに突っ込むのかという意思決定において「諦める」という発想はとても大切だと思います。
時間軸によって変える必要もあるかもしれません。20代の間は捨てるけど、40代で大事にすることとか。でも、そんなことを予め戦略的に20代の若者が判断できるでしょうか。
う~ん難しいです、人生は。
だからこそ『諦める技術』はおすすめです。
いや、おすすめ、という言葉もホントは好きじゃないけどね。
“おすすめ”ってよく使う言葉かもしれないですけど、なんか自分の価値観を周りに押し付けている感じがして実はあまり好きな言葉じゃないんですよね~。
会計のテキストとかはあまり価値観に左右されず、客観的に良し悪しを評価できるので、”おすすめ”という言葉を使いやすいです。でも、こういう人生論的な書籍を”おすすめ”という言葉を使って紹介するのはあまり好きじゃないんですよね。
ってことで、この本は単に私が好きな本ってことです。
私の価値観に沿った本ってだけです。
ここは私のブログなので、自分が好きな本を好き放題紹介しているだけです。
あなたにこの本が合うかどうかは知りません。
ただ「諦める技術」が大切だってことは、結構万人に当てはまることだと思います。
あなたが、人生そのものを諦めていない限り。
こういう年の取り方したい。
男でもアンチエイジングの美容整形とか流行っているらしいけど、マジで理解できんわ。
PS
「できた女房を諦める」という節があるんですが、ここめっちゃ面白いです。真似できんけどね。
人生が無限だったら、慌てなくてもそのうちやればいいってなりますよね。永遠の命はいらないですが、永遠の若さは欲しいです。死ぬ時も若いって感じで。
さて、もし永遠の命だったら、それこそ高配当銘柄を永久ホールドで暮らせそうですね。巨大な雪だるま式で増えていきそうで楽しみですね。
人間の命が無限だったら、人口が増えすぎてどうなるんだ?って考えてしまいます。
不老不死が無理だとしても、医療の進歩で世界の平均寿命は伸びる一方でしょうね。
そうやって人生の時間が長くなることは時間的余裕が出来て良いことにも思えますが、実際はそうでもないかもしれません。
江戸時代の平均寿命は50年ほどだったらしいです。
命が短いからこそ20代、30代でなんでもチャレンジしてやろう!という気になるかもしれません。
そうやって、短いながらも充実した人生を送ることができるのかも。
時間は大切なリソースですが、あり過ぎてもいけないのかもしれません。
>永遠の命だったら、それこそ高配当銘柄を永久ホールドで暮らせそうですね。
確かにそうですねw。
本当の意味で永久投資家になれますね。
あの世に逝ってしまえば天下統一したことなんて何の意味もないではないか、といった趣旨だと思います。>先が見えてくるとそう思います。あの世まで行かなくても、会社員生活が終わればみんな一緒だと思います。だからこそ、まっすぐに生きていたいです。どうせ終わるならどんな立場でも他人を思いやって生活していきたいです。仕事は心折れることの連続ですけれど。抜くところは抜かないと身が持たないんですけど、人の道に逸れたようなサラリーマン生活は送りたくないです。先が見えてるからこそおいしいとこどりしてバイバイって先輩も少なくありません。そんなのぜんぜん違います。
人生は有限だからこそ、天下統一のような偉業に価値を感じることができて、それに向けて努力することができたのではないでしょうか。>きっと、サラリーマン生活で自分の目標を達成し体現できる人は少数だと思います。周りの環境も大きいと思います。目標が達成できなくても一生懸命やっていくモチベーションをキープしていきたいです。ある先輩には組織に自分の夢を託すなよと言われた事があります。
全力で生きていくことは大事です。最近定年された上司からあんまり頑張りすぎないようにねってメールもらいました。なんか凄くおもいやりを感じて救われましたよ。
世の中のビジネスって綺麗ごとばかりではないのが現実ですからね。
自然界が弱肉強食なのに、人間界だけが甘ったるい世界ってことはないと思います。
ですが、今の時代の日本に生まれている時点で私たちの人生は相当イージーモードだと私は考えています。
もちろん幸せとは相対的なものだから、それを素直に受け入れることは難しいかもしれませんがね。
人を信用することは大切だと思います。
人を信用しないで小さくまとまっていたら、つまらないだろうなって思います。
ビジネスでも自分一人の力でやるのではなく、銀行や同僚などパートナーの力を借りた方が早く成長できます。
ただ一方で、人に過度な期待感を持たないことも大切だと思います。
失望は期待値を下回った時に起こるものなので、株と一緒で。
人のことを人間として信用するんだけど、過度な成果を期待しない。
こんなスタンスがいいのかなっていうのが、私個人の意見です。
サラリーマンって、所詮は会社との雇用契約に基づく労働に過ぎないと思っています。
サラリーマンの仕事に全リソースを振り向ける必要は全くないと思いますね。
サラリーマンは副業だと言えるくらいになれるのが個人的には理想的です。
そのためには何か自分でビジネスを持ちたいです。
もちろん、だからってサラリーマンの仕事に人生を掛ける人を否定するわけではありません。
組織に夢を託すべきではない、という意見には賛成ですね。
自分でコントロールできないものに対して過度に期待しても仕方ないと思います。
まあ、健康で普通に生きていられるだけで儲けもんやと思っていますよ、私は。