うちの会社にはA、B、C、Dと4つの事業部があるのですが、A事業が圧倒的な稼ぎ頭です。オリンパスにとっての内視鏡事業ばりにA事業が全体を牽引しています。A事業の営業利益率は20%以上あります。B、C、Dの3事業は赤字ではないけれど利益率は低く、株主目線で言えば資本コストを超えるリターンを生んでいない可能性があります。

特定の事業だけが荒稼ぎして他の事業は冴えないって、日本の会社ではよくあるパターンですよね。米国ではそういう部門はスピンオフの圧力がかかりますが、日本ではあまりそういう再編は起きないです。

そんな会社にいる僕がよく不思議に思うのが、「A事業の人たちのおかげで俺たちは飯を食えてるよな~」と言う人が多いことです。なんか今一共感できんのよね、この発言。サラリーマンならどの部署に配属されるかって、人事の裁量次第じゃないですか。B事業やC事業は確かに収益性が低いビジネスをやってるかもしれないけど、そこに配属になった人たちが仕事を頑張ってないわけではないです。逆に稼ぎ頭のA事業に配属された人が、特段優秀で努力しているわけでもありません。

A事業が金を稼いで、僕らの給料が払われているのは紛れもない事実ではあります。ただ、A事業がなぜ稼げているのかを考えると、その本質は過去の遺産なんですよね。10年、20年前に開発された製品が今しっかりシェアを取って高いマージンを生んでいます。数十年にわたって同一ブランドで売ってきたことによる、顧客からの信頼という見えない資産も貢献しています。

先人たちの努力によって生かされている。今のA事業を築き上げてくれた先輩達のおかげで飯が食えている。そういう思いが強いです。もちろん、今A事業で営業をしている人も利益に貢献しているのは間違いありません。でも割合としては、感覚的には、80%は過去の遺産による収入です。これまでの研究開発、マーケティングの蓄積。

冷房の効いた綺麗なオフィスで経理の仕事をやっていると、「自分は今の年収を頂けるだけの仕事をやれているんだろうか?」ってたまに思います。こんなに貰っていいのかと(そんな高給なわけじゃないですが)。

時が経てば経つほど、自分の働き以上の給料をもらえる可能性が高いのではと感じます。日本はインフレ経済にならないから、給料の絶対額はなかなか増えないかもしれませんが、労働量に対する購買力というか、生活の満足度は向上しているのではないでしょうか。なぜなら、歴史が積み重なるほど社会の「資産」が増えるからです。過去の遺産の上に乗っかってビジネスを行えるようになるからです。

株式や不動産は資産収入、不労収入と言われます。自分が体を動かさなくてもお金を稼げるからです。確かに、これらは分かりやすい典型的な資産収入です。

ただ、僕はたまに思うんです。日本のような成熟した豊かな国のサラリーマンの給料も資産収入としての性質が強いんじゃないかと。もちろん、勤めている会社によって差はあります。大企業の方が過去の遺産の恩恵に預かれる可能性が高いと思います。

太平洋戦争後、焼け野原からゼロから日本社会を復興させるために働いた人々は、本当の意味で労働だけで稼いでいました。「資産」なんて何もありませんから。ゼロから築き上げるしかない。

「高度成長期。あの頃は毎年毎年豊かになっていって給料も右肩上がりで、希望のある時代だったよ」なんて言葉を聞くときがあります。確かにそれは事実だったのでしょうが、それは裏を返せば、頼る過去の遺産はまだほとんどなく、「資産」を築き上げる時代だったということです。

貧困問題がヤフーニュースなどで取り上げられることも多いちょっと暗い世の中ですが、今の日本社会の絶対的な豊かさは1950年~1970年代よりも遥かに高いです。それは、私たちが先人たちが汗水垂らして築き上げてくれた「資産」で飯を食っているからです。「資産」とは目に見える不動産や道路等の公共財だけでなく、技術やブランド、特許、信頼なども含みます。「資産」のおかげで初期設定が高くなるから、少し働くだけで豊かな生活が送れます。

よほど自分のやりたいことがあるわけでないなら、安易にサラリーマンは辞めない方がいいかなあと最近思います。サラリーマンという「資産」収入源を放棄することになるからです。まあもともとリタイヤ願望はないですけどね。

「いやいや、こんだけ働いているのに給料全然足りねーよ!」って思う人も多いかもしれません。幸せは相対的なものだから、周りと比較して所得が低いと確かに不満に思う人は消えないでしょう。ただ、労働量に対する購買力は確実に上昇しています。テレビ1台買うのに、新卒の年収1年分でも足りない時代もあったのですから。

今年度から「働き方改革関連法案」が施行されています。実効性がどれほどかはわかりませんが、ああいう法律を賢い官僚が実際に作り上げるには何か背景あります。必然性があります。火のない所に煙は立たぬ。 その背景とは、もう日本にはそこそこ「資産」が蓄積された、だから馬車馬のように過労死するまで働かなくてもほどほどの豊かさを維持できるだろう、という判断ではないでしょうか。

これから人工知能の発達など更なる技術発展によって、さらに「資産」が蓄積されます。先人たちがそうしてくれたように、私たちの世代もなるべく後世に「資産」を残す責務があるのかもしれません。少なくとも、過去の「資産」を壊すことはしたくないですね。

労働の資産収入化の行き着く終着点が、ベーシックインカム(BI)だと私は思っています。遅かれ早かれ、BIは必ず実現するというのが持論です。サラリーマンでいること自体がBIになるかもしれません。

私たちは株式投資を通して積極的に収入の資産化を図っているわけですが、そうでなくとも、社会全体の流れとして収入の資産化は進んでいます。まだ途中、山で言えば3合目くらいですが。株式投資をしているあなたは、すでに5合目くらいに到達しているのかもしれません。

いずれ、山頂に到達する時がくるのでしょうか。そこから見える景色は果たして美しいのか。空気は綺麗なのか。わかりません。意外と一生懸命、山登りしている時が一番楽しいのかもしれません。