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投資の出口戦略を考えるのが億劫な個人的理由(感情?)がわかった気がする

   

今まで、それなりにサラリーマン業を頑張り、節約するところは節約して株式投資を頑張ってきました。
資産額も1,800万円と、少なくはない金額まで成長しました。

果たして、何のために目先の消費を我慢して(別にそんなに欲しい物ないけどね)、こんなに株式に資金を突っ込んでいるのか?

将来の為?

そう、将来の為。
投資って今の楽しみを犠牲にして、将来の大きな楽しみ・安心・自由を買うことだと思います。

いずれにしても、将来株を売却して消費に使わないと意味はないですよね。

なんですが、私はよく思うんです。
このまま株式投資を続けて、資産総額が増え続けていくネット証券の画面を見て悦に浸って、で、そのまま一生株を売却せずに人生を終えてしまうんじゃないかって。

なんか、自分がいつか株を売却している姿が想像できないんです。
投資の出口戦略を考えるのが嫌なんです。
億劫なんです。

なんでだろう?
株式投資で財を成して、将来こういう生活を送りたい!、こういうビジネスをやってみたい!というのが具体的イメージとして持てていないからってのもあると思います。

ただ、それはなんか自分の本心とは違う気がしていました。

で、最近ふと気が付きました。
なんで、自分が投資の出口戦略を考えるのが億劫なのか?
なんで、一生株を売却しないと思ってしまうのか?

それは自分の死を意識するのが怖いから、なのかなって。

いつから株を売却し始めていつまで毎月いくら位なら使えるかを考えるのって、必然的に人生の終わりから逆算しなくてはならないですよね。

自分はいつか必ず死ぬ。
という当たり前の現実を直視するのが嫌なのかな~って最近自分の心理を分析している次第です。
一般的には当てはまらない、私個人に特徴な心理状態だとは思っていますが・・。

よく書籍や雑誌のマネー特集とかで、「最近は長寿化が進んでいるから自分が95歳まで生きると想定してライフプランを立てましょう!」とか書かれることあるじゃないですか。
いや、言いたいこと凄くわかるんですけど、なんかこう「マネーより先に考えるべき人生の課題が別にあるんじゃないの?」って思う時があります。

なんかね~、自分がいついつに死ぬということを想定して物事を考えるのが嫌なんです、怖いんです。

 

 

 

死んだらこの意識は一体どうなるんだろう?
世界は、宇宙はどうなるんだろう?
って一時期よく考えて込んでいました。

特に子供の頃。

こんなことをまだ覚えています。

小学校3,4年生くらいだったかな、Hiroは1人で子供部屋でエンエン泣いていました。
シクシクではなく、ワンワンエンエン泣いてたと思います。

母親も父親もめっちゃ驚いていました。
そりゃ、叱ったわけでもないのに、急に息子が号泣し出すのですから。
何か急病でも発生したのかと心配もするわな。

何で急に泣き出したかと言うと、小学生だった私は、
「人間っていつか必ず死ぬんだよな。僕もいつかは死ぬんだ。そしたら今の意識はどこにいくんだろう?、寝ている時の感じがず~と続くのかな?、死んだらお母さんにもお父さんにも会えなくなるんだな。」
てなことをふと考えており、怖くなって号泣してしまったのです。

まあもちろん、何で泣いていたか母親にも父親にも言いませんでしたが。

大人になった今、さすがに泣くことはありませんw。
でも、未だに考え込んでしまうことがある人生課題です。

こんな例え話を聞いたことがあります。

人生とは、いつか必ず墜落する飛行機に乗っているようなものだ。
でも、多くの人は飛行機が安全に目的地に着くと思い込んで、飛行機の中で美味しいご飯食べたり、映画を観たりして楽しんでいる。
飛行機はいつか必ず墜落するというのに・・

別に、大半の人が人間がいつか必ず死ぬことを知らないと言いたいわけではありません。
当然、みんな人生には終わりが来ることを知っている。
ただ、それを直視してその課題に取り組んでいる人はほとんどいないということです。
(まあ普通は直視なんてしたくないもんですよね!)

ちなみに私はたまに意識はしますが、何か具体的な取り組み(例えば、宗教とか哲学を勉強するとか)をしているわけではありません。

 

 

 

49歳で病に倒れた上杉謙信はこんな言葉を残しています。

四十九年 一睡の夢

一期の栄華 一盃の酒

意訳「戦功を競った一生も、一眠りする間の夢のようだ。天下に名をはせた栄華も、一杯の酒ほどの楽しみでしかなかった」

 

天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、死の直前にこんな言葉を残しています。

露とおち 露と消えにし わが身かな
難波のことも 夢のまた夢

意訳「天下を取り太閤にまで登りつめ、大阪城や聚楽第を造り、栄耀栄華を極めたことも、夢の中の夢のような、はかないものでしかなかった」

 

自分が死の床についた時、秀吉は天下統一すらむなしくあっけないものだったと言っています。

地位も名誉も財産を大変くだらないものだということですね。
これらをたくさん持っていると、死期を察しても現世に未練タラタラになってしまうかもしれません。
まあ現世に未練が残るのは、感情ある人として普通のことだとは思いますけど。

天下統一という一大事業を成し遂げてもそれは儚いことだったと、秀吉は最後に言っているんです。

ましてやね、、部長になる、執行役員になる、取締役まで出世するとかしないとか、やっぱりどうでもいいことなんだと思っちゃいますね。
もちろん、仕事を真面目にやることは大切ですが。

時間を忘れて仕事に打ち込むことで死生観とかそういう邪念を払いのける人もいるかもしれない。
あ~でも、サラリーマンの身分で時間を忘れて仕事に打ち込み続けるってなかなか難しいかも。

地位も名誉も最後はきれいサッパリ消えるわけです。
そして、財産も。

やっぱり、財産なんて残してあの世に逝ってもしゃあないよな~。
人生は必ず終わりがくるからこそ、その一度の人生を精一杯楽しく生きることが大切なんだろうな。

自分がいつ死ぬかなんて絶対に知りたくない。
だけど。
だけど、もし仮に知れたらいい感じで散財できるんだけどな~。

あー、月曜からなんか暗い話を書いてしまった、ごめんなさい。

 - 投資理論・哲学