イラン革命防衛隊(IRGC)の精鋭組織「コッズ部隊」の司令官を務めるガセム・ソレイマニ将軍が米軍のドローンによる攻撃で死亡する数日前、 イラン海軍の司令官は同国とロシア・中国が初めて行う海軍合同演習を視察するため、空路で現地入りしていた。

ウォールストリートジャーナル

年初から地政学リスクが表面化しましたね。2020年最初の買付を行う予定でしたが、ちょっとだけ様子見しようかな。まあ、マーケットは読めないのでさっさと投資します。

イランの司令官が米国によって殺害されました。冒頭に引用したのはウォールストリートジャーナがそれを報じたものです。いや、普通のニュースの一文なんですがね、こういう文章を読むと、テクノロジーの進化(変化)を感じちゃいます。当たり前のように「ドローンによる攻撃で・・」と書いてあるからです。

つまり、米国は無人機で襲撃したということです。軍事は門外漢ですが、これが現代の武力行使のスタンダードなのでしょうか。ドローンで攻撃なんて言葉が当然のように使われていますが、こんなの10年前の人が読んだら??って思いますよね。「ど、ドローン!?なんじゃそりゃ!」ってな感じで。

こうやってテクノロジーは気が付いたら社会に浸透しているもんです。最初は民用ではなく軍事目的で使われるというのも一般的な流れです。インターネットもそうでしたよね。政府が採算度外視でコストを掛けるテクノロジーは加速度的に研究が進みます。EV技術の発展も中国の政策なしには語れません。

10年ほど前に社会人になりましたが、当時はまだスマホは持ってなかったです。ガラケーでした。それで特に不便は感じてませんでしたが、今思うと信じられないです。スマホでニュース読んだり、音楽聴いたり、YouTube観たりできないなんて、そんな生活今じゃ考えられません。

よく言われることですが、私たちの生活を変化させるようなテクノロジーの進歩のスピードがあまりに早過ぎます。考えてみてください、人類史の99%は狩猟採集をしていたのですよ。農業革命ですら、つい最近(1万年前)のことです。産業革命が起こったのは18世紀半ば。社会の工業化どころか農業化にすら、私たちのDNAは追い付いていません。ましてやIT、AIなんて、、。

お金の稼ぎ方も変わります。工業化時代はマニュアルに沿って淡々と作業をこなせる人材が求められます。それが今の学校教育カリキュラムの土台です。機械化が高度になるにつれて、業務全体を管理できるホワイトカラーが重宝されるようになりました。ここもギリギリ学校教育の範疇でした。しかし、AI時代になると、高度なアルゴリズムを組めるスキルや、エンタメ領域で「芸人」として活躍することが主な稼ぎの場となりそうな予感がします。これは完全に現在の学校教育の範疇外です。

「これからの時代は学び続けることが大切」と最近よく耳にします。一つのスキルで稼ぎ続けるのは困難だから、自分の過去のキャリアにこだわり過ぎずに柔軟性を持ちましょうという意味です。

確かに、その通りだとは思います。でも、それは簡単なことではないです。勉強しろ!っていうのは正論ではあるけど、学校を卒業して社会人になってから勉強する人はそれほど多くありません。本を全く読まない人も珍しくないし。それは別に悪いこととも思いません。勉強=苦痛って認識の人は多いだろうし。私も好きな金融、投資、会計の分野じゃなければ勉強は苦痛ですね。勉強が苦痛というか、未知の領域に足を踏み入れることがストレスです。

一部の意識高い人は常に学び続けて、社会、テクノロジーの変化に対応して仕事を変えていけるのかもしれません。しかし、大半の人は無理じゃないかなって思います。

それは恥ずかしいことじゃないです。そもそも、動物は変化が苦手です。チャールズ・ダーヴィンは「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。 唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である 」という言葉を残していますが、この言葉の意味を曲解しない方がいいです。

私たちは例外なく遺伝子の選抜試験を通った人です。だから、この世に生を受け今こうやって生きています。それは、私たちの祖先が「変化できる者」だったからではありません。そうではなく、その時代の環境で生き延びれる特性を備えていただけです。

氷河期を経て生き残った種は寒さに強いでしょう。でも、それはもともと寒さに強い特性を備えていただけです。氷河期になったからって耐寒性能が突然向上したわけではありません。私たちのDNAにそんな能力はありません。遺伝子は変化するにしても、それは何世代もかけて長い時間を経てのことです。

長い人類史を考えれば現代は異常です。私たちの遺伝子はパニック状態かもしれません。万年いや億年単位で起こるような環境変化が10年、20年スパンで訪れるのです。この変化に対応しろって言うのはちょっと無理があると思います。

学ぶのが楽しいなら、好きなだけ勉強すればいい。でも、世間の警鐘にビビッて無理に休日に勉強しまくる必要はないと私は思います。テクノロジーの進化は人間の生活を楽にしてくれます。フィンランドは週休3日を検討しているそうです。そういう流れです。人間が社会に価値を生み出す必要がない時代が訪れようとしています。

変化に対応していかに稼げる人材になるか、と意識高く考えるのを否定はしません。でも、もっと気楽に好きなことすればいいんじゃないかって思います。日本にいれば飢え死にすることはないわけだし。ホリエモンが言うように「遊べ」ってことです。他者利益ベースの視点が完全に欠けるのは良くないと思いますけどね。