1億総資本家時代の幕開け

AIなどテクノロジーの発達によってブルーカラーのみならず、ホワイトカラーの仕事も機械が奪う日が来ると言われます。私がやっている経理業務もすでにかなりの部分がシステム自動化されていますが、今後はそこにAIが入ってくると思うと恐ろしいです。企業の管理部門はさらに少数精鋭になりそうです。

投資家だけでなく、すべての人が資本所得(不労収入)で食っていく時代がいつか来るだろうと想像します。一番わかりやすい例だとベーシック・インカム(BI)ですね。BIが実現不可能だとしても、サラリーマンの仕事自体が楽になって、給与所得が事実上資本所得化していくのではという気がしてなりません。1億総資本家時代の幕開けです。

さすがに私たちが生きている時代に、労働が完全に消えて平日仕事に行くという習慣がなくなるとは思いません。それは現実感ないです。社会はゆっくりしか変わっていかないから。

ただ週休3日くらいは、私たちが現役の時に実現すると思いませんか。たしか日本企業だと電通が月1で週休3日でしたっけ。そんな報道を見た記憶があります。あんな事件があった電通で週休3日なんてできるのか疑問ですが。あと、今年の夏日本マイクロソフトが週休3日をトライアルで実施してましたね。結果は良好だったみたいです。

こんな感じで大手企業から徐々に週休3日の習慣が根付いて日本全体に広がっていくのではないでしょうか。てか、これは日本だけでなく世界で決める話でもあるんですかね。仕事は月~木の4日間で、金土日がお休み。そんな時代はもうじき来る気がするけどな~。

あと10年以内かな。週休3日は。10年経てば社会は様変わりします。10年前はまだ電車でスマホをいじっている人は少数派だったと思います。今ではホームでも社内でもスマホ見ている人ばかりです。もちろん、私も。30年後はどうなってるだろうか。楽しみなのと同時に不安もあります。

1億総資本家時代は決してユートピアではない

働かなくていいと聞けば、それはユートピアに聞こえるかもしれません。しかし、全然そんなことないと思います。

定年退職した男性が家庭での居場所がなく奥さんにも相手してもらえず、寂しい老後を送っているなんてニュースをたまに目にします。ホントかどうかは知りませんが、会社が人生のすべてだった人がそのコミュニティを失えば、確かにそうなる可能性はあるわなと思います。

お金さえあれば幸せというわけではありません。生活の不安がない程度の資金力は必要だけど、あとはお金が増えてもそこまで幸福度は上がらないと言われますし、私もそう思います。

「無用者階級」にならないために、他人の役に立ち続けることが大切。

じゃあ、何が大事なのか。私は承認欲求の充足に伴う健全な自己有用感を持てることが大切ではないかと思います。つまり、周囲ないし社会から承認されるということです。人はそこに喜びを感じるのではないでしょうか。

自己意識とは何なのか、死んだら自分の意識はどこに行くのか。なんて哲学的なことを話すつもりはないのですが、自分という存在は他者の承認によってしか定義されないと思いませんか。私はそういう発想を持ってる人なんです。

具体的にはどうすればいいのか。それは社会、他人の役に立てる存在であり続けるということです。そういう仕事を持つということです。

イスラエルの歴史学者 ユヴァル・ノア・ハラリ氏は『ホモ・デウス』の中で、これから大量の「無用者階級」が生まれると主張しています。人間より知能レベルの高いアルゴリズムが社会の富の大半を生んで、人間はもはや不要になると。経済的な価値を生み出す能力は人類よりもアルゴリズムの方が高くなると。それで仕事を失った大半の人類を「無用者階級」と言っているわけです。

なかなか衝撃的な筋書きです。でも、確かにそんな未来はあり得るかもと思ってしまいます。

ただ僕は「無用者階級」になってしまうかどうかは、本人の気持ち、行動次第だと思うんです。何も考えずにただ生きてるだけでいいと思う人は「無用者階級」になるでしょう。でも、自分の頭で考えて社会の役に立てる居場所を探せる人は決して「無用」になんかなりません。

別に気楽な「無用者階級」の生き方を否定するわけじゃないですが(人によってはユートピアかもしれないし) 、それではこの世に生を受けて生きる意味はもはやないのではと思います。他人の役に立つことができ、承認されて初めて自分の存在意義を認識できるし、喜びを感じられると思います。少なくとも私はそうです。

仮に遠い未来、サラリーマンの仕事が完全に消失したとしても、誰かの役に立ちたいと思えばやれることはいくらでもあります。絶対に消えないと思うのはお笑い芸人やアーティストなどのエンターテインメントです。ここはなかなかAIが入ってこれないでしょう。人を楽しませる、笑わせる、感動させる。そういった創作活動を通じて社会から承認されて、充実した人生を送れる人は羨ましいです。

これまではとりあえず就職して会社に属していれば、サラリーマンとしての仕事を通して社会と繋がれました。一定の承認欲求が充足されました。しかし、週休3日、4日となっていく中で、段々とそれは機能しなくなります。自ら積極的に「仕事」を創る必要があります。1億総芸人時代です。大変だけど、努力する人にとってはきっと面白い世の中だと思います。

あと、ちょっと話が変わりますが、家族を持つことも充実した人生を送るための一つの選択肢だと思います。役に立つ対象は他人(社会)でなく、もっと身近な存在でもいいわけです。というか、そっちの方がより自己有用感を得やすいかもしれません。子ども、妻にいつも必要とされているパパは決して「無用者階級」にはなりません。

社会にも貢献できない、家族にも貢献できない、そんな人が本当の「無用者階級」になります。「無用者階級」は働かなくても普通に食っていけるから、ブラック企業でぜいぜい言っている人にとってそれははきっとユートピアに見えるでしょう。でも、その幸福は長くは続かないと思います。

会社での仕事以外で、自分が社会の役に立てることはないか、今のうちから真剣に考えた方がいいんだろうなってよく思います。ブログがその一環として機能すれば嬉しいことです。でも他にも考えたいです。