二次方程式の解の公式なんて社会に出てから一度も使ってない。サイン、コサイン、タンジェントなんかも同じく高校を卒業してから一度も触れてない人が大半ではないでしょうか。

子どもの頃から何となくそんな気がしてたけど、やっぱり案の定大人になって全く不要な知識だった。勉強した意味なかった。

と安易に断じていいのかと言えば、そうは思いません。数学的な発想は知らずうちに必ず役に立っているはずです。

法則を考える、物事を抽象化する、そういう力は子どもの頃の算数、数学の勉強を通じて養われています。言うまでもなく、ビジネスで必要なスキルですよね。

何でもかんでも具体的に考えようとするのはよくないと思います。学ぶ教科は表面的な題材に過ぎません。子どもに教えたいのは、表面的な知識どうこうよりも、もっと汎用的な思考力とか忍耐力、抽象化力ではないでしょうか。もちろん、知識それ自体も大切ではありますが。

テクノロジーが進化して時代は変わっているのに学校教育の内容はほとんど変わってないなんてあり得ない、という批判を耳にすることもあります。でも、時代が変わろうとも幼少期に学ぶべきことなんて本質的にはさほど変わらないと私は思いますけどね。

数学みたいに、すぐにビジネス実務に役立たないことを時間をかけてしっかり勉強できるのは学生時代だけです。今の勉強カリキュラムは時代遅れだからとか斜に構えずに、しっかり勉強しておくことは凄く大切だと思います。不登校をネタにしてる某ユーチューバーには否定的です。

社会に出るまでの時間が短くなればなるほど、どうしてもビジネス直結の勉強に時間を割くことが増えてきます。私が会計士試験の勉強をしたのは大学生の頃です。会計、簿記実務の勉強なんて小中学生はすべきではないと思いますね。もっと他にやるべきことがある。

と、社会人のあなたに言ってもあれですが。

一見、役に立たなさそうなことをしっかり腰を据えて学べるのは、勉強することが仕事の学生時代だけじゃないでしょうか。どうしても、社会人になると仕事に直結する勉強をしがちです。時間がないから仕方ないのです。

哲学の勉強をもっとしておきたかった

若い頃もっと勉強しておけばよかったとは、大なり小なりみんな思うことでしょうか。

私は哲学の勉強をもっとやっておけばよかったなあと、今になってよく思います。

1カ月くらい前のNewsPicksの記事に「哲学とは現代社会と私たちの遺伝子との差異を埋め合わせるために必要なんだ」的なことが書かれてありました。

なるほどなあと思いました。テクノロジーが進化して経済も豊かになって、社会は私たちの遺伝子が想定しているそれはとは全く異なる世界になっています。私たちの脳みそは社会の進化のスピードについてこれてません。

飢餓が死因のトップだったちょっと昔は、食料を確保して生き残ること自体が壮大な人生の物語でした。ミスしたら死ぬわけで、これ以上ない刺激でしょう。

現代は少なくとも日本では食うに困ることはない。セブンの冷食、丸亀、吉野家とか値段の割にめちゃ美味いです。給料高くなくても食っていける。最悪、生活保護もあるし。飲食を確保して生き残ること自体はなんの物語にもなりません。当たり前のことになる。医療も発達して健康寿命も延びている。

そうなると、何を目的に生きればいいのかって考える機会も増えてきます。贅沢な悩みです。どこで働くかの前に、そもそも働くとは自分にとってどういうことか、そういうことを考えた方がいいのかもしれませんね。

そういうが哲学なのかなって私は解釈してます。

カントの『純粋理性批判』とかデカルトの『方法序説』を読むことが、哲学の勉強ってわけでもないと思ってます。まあ、読んだ方が思考は深まるんだろうけど、なんせ眠くなりそうで読む気がしないw。それこそ、時間のある学生時代に読んでたかったですかね。

別にそういう小難しい本を読むんじゃなくって、世の中の常識を疑って少し立ち止まって自分の頭で考えるだけでも哲学なのかなって思ったりもします。それくらいなら今の私でもやれそうではある。

ところで、余談なのですが、ジョージ・ソロスって哲学者なんですよ。哲学者の目線で金融市場を分析し、そして巨額の富を得るってなんかカッコいいなって思います。