承認欲求を持つことは恥ずかしいこと。承認欲求を捨ててこそ、自分らしい人生を送ることができる。
なんて意見をたまに聞きますが、人間は誰かに承認されないと幸せを感じづらい生き物なのではと私は思いますね。
確かに、SNSにキラキラ写真をアップしまくって「いいね」を求め続けるのはどうかという気はするけど、ほどほどの承認欲求はあった方が健全なのではと思います。誰かに認められたい、必要とされたいという感情は自然なものではないでしょうか。
私はパートナーは年下が好みです。若い方がいいというより、その方が自分を頼りにしてくれるから。
収入も自分より上だとちょっと敬遠してしまう。仕事をバリバリ頑張る女性を否定するとかではなく、単に私の女性の好みの問題ですね、あくまでも。あと、経済的な主導権は自分が握りたい願望がすごく強いですw
でもだからって、専業主婦は勘弁です。それは頼りにされるという範疇を超えてます。依存です。依存されるのは嫌です。
仕事の量が多いのはそれほど苦じゃない。職場の人間関係の方が大事。そこがボチボチ良好なら、仕事が多くて多少残業続きになることは別に構わない。もちろん、残業代が出ることは大前提だけど。
無能とは思われたくない。そりゃ有能と思われた方がいい。自分のことを信頼してくれて、難易度の高い仕事を振られるのは素直に嬉しいと感じるし、その期待に応えれるよう頑張らないとって思います。
ただ、やっぱり限度はある。周りは全然残業せず、有休もフルで消化してるのに、自分だけ毎日深夜帰りで、有休も満足に取れないと不満は募ります。専業主婦の理屈と同じで、「頼りにされる」から「依存される」に変わってるわけです。
何事もいい塩梅というのは難しいですね。どちらか一方に振れがち。時間があるときは持て余すほどあるのに、ないときは十分な睡眠すら取れないくらい過密なスケジュールになったりする。
ずっと一人は寂しいからと結婚して家庭を持ったはいいけど、今度は一人の時間があまりになくて幸福感が薄れる。そんなこともあるでしょう、きっと。
頼りにされているけど、依存はされていない。それなりにやることがあって忙しいけど、一人でゆっくりする時間もそこそこある。
そんなバランスの取れた状態が個人的には理想です。難しいけど。
いつも興味深い記事を拝読させていただいております。
特に今回の記事はとても共感できました。
誰かの仕事や困難を助けてあげて「ありがとう」の一言も言われなくなった時が、依存のされ始めではないかと感じました。
自分の時間はいつも大切にしていきたいですね。
それ、最近夫婦で話し合ったばかりです。
些細なことでも「ありがとう」と言おうね、と。
たった一言でもあるなしでは全然違いますね。