マルクスは剰余価値は唯一労働力の搾取からのみ生まれると言いました。従業員の体力を回復させ、明日も仕事に励んでもらうえるだけの給料を資本家は支払います。労働者への給料を超える売値を設定することで、資本家は利潤を得ることができます。損益計算書を見ると人件費(給料)以外に材料費や減価償却費など様々なコストがありますが、それらも突き詰めれば誰かしらの労働力で構成されます。

テクノロジーの発達によって生産活動の自動化が進みました。私はメーカー勤務で何度か工場現場を見学したことありますが、工程はほぼすべて機械化されています。人は最後のチェック工程や一部の細かい組立作業のみです。私自身は経理として働いていますが、高機能な会計システムによって連結決算プロセスの大半が自動化されています。

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため経済が一時停止となり、職を失った労働者を支援するためアメリカ政府は2兆ドル以上の財政出動を決定しました。2000万人近い新規失業者が出ているにもかかわらず、少なくとも生活必需品の供給は滞っておらず急激なインフレリスクも当面は低いと思われます。商品の生産工程の大部分が機械化されているからです。

人が商品生産の現場からドンドンと遠ざかっています。では資本家はどうやって利潤を得るのか。剰余価値の源泉が労働力の搾取だというのに、肝心の労働者がいなくなっては資本家は利潤を得ることができないのではないか。

もちろん、そんなことはなく、むしろ資本家はこれまで以上に莫大な富を稼ぐことができます。機械やシステムが商品を作り続けてくれるからです。それはつまり、過去の労働力を搾取し続けていると解釈できます。ロボットもそれを動かす精緻なアルゴリズムもすべて人の労働によってもたらされたものです。それを使って資本家はコストをかけることなく商品を市場に供給し続けることができます。

21世紀は資本家の時代です。労働者は段々と必要とされなくなります。ベーシックインカムという議論が出てくるぐらいです。「働かざる者食うべからず」という言葉はいずれ死語になるでしょう。

そうなると、労働者はどうやって食っていけばいいのか?という問題が生じます。搾取してくれる資本家がいてくれたから、これまで不満はあれど給料をもらって食っていけたわけです。それなのに資本家が「もう労働者は要らん。これ以上搾取しないから好きに暮らせ」と言うわけです。

放り出された労働者はどうすべきなのか。他に雇ってくれる資本家を頑張って探すのか。それも一つのサバイバル方法ですが、より賢いのは自分が資本家になることでしょう。資本家が人の労働力を求めていない以上、労働者が生き残る道は自分が資本家になるしかないです。

それは株式を買うこととは限りません。株式投資は資本家になるための手段の一つに過ぎません。資本家になるとは事業家になることと同義です。ユーチューバーとして稼ぎがあれば、それも立派な資本家です。キャッシュを生み出すチャンネル、動画という資本の所有者です。雇われではありません。

労働者になるのは簡単です。なぜなら、私たちはそのための教育をみっちり受けているからです。資本家になるのは難しいです。自分でビジネスやるって言ったってどうすればいいかわからないのが普通です。誰からも教わることはないし、親から「いい大学出て(労働者として)良い会社に就職しなさい」と洗脳されているからです。

私は自分で事業をやったことはないので、そこは語ることはできません。が、これからは小さなパーソナル事業を持った方がいいんだろうなとは常々思っています。経理が完全にAIに代替されるとは思わないけど、決算などの繁忙時期以外は労働者としての自分の存在価値に疑問を感じることは多々あります。暇すぎて今月給料泥棒じゃないか!みたいな。危機感はあります。

今は株式投資しかしてません。米国株投資はアマゾンやマイクロソフト、アップルなど世界経済を牛耳る帝国企業の所有者になれるという末恐ろしいツールです。何とか年間配当100万円が見えるところまで来ました。

ただ、どんな優良企業であれ株式は所詮外的な資本です。もっと内的な資本も持ってみたいなという気持ちがあります。持たないとマズいという焦りさえあります。小さくてもいいから自分で資本を築きたい。このブログも一応資本と言えますが、如何せん小さ過ぎます。影響力がなさ過ぎる。キャッシュポイントもないし。

事業をする投資をする色んな方法がありますが、兎にも角にも資本家マインドがないと生きづらい時代だと思います。労働者マインドだとしんどい。これまでは資本家になることは特別な生き方で勤め人が普通というのが一般的な認識でしたが、これからは資本家になることが普通になっていくと思います。消去法的に資本家にならざるを得ない。労働が必要とされないのだから。