良識ある大人ならば普通は他人の外見の批判、悪口を言うことはありません。本人の前で言わないのは当然として、陰口でも言わないものです。男同士の酒の場で、「あいつ可愛くないよな、ブスだよな」なんて話は出ませんよね。わざわざ言う必要もないどうでもいいことは言わない。
男女問わず、よほど気の知れた間柄でもなければ外見に関わることには言及しません。可愛い、カッコイイといった褒め言葉を言う事はあっても、背が低い、ブサイク、ブスといった人を貶す発言をするのは非常識です。人を傷つけることは言ってはいけないからというのもありますが、外見がかなり先天的な要素が大きいからというのもあると思います。
どんなことでも悪口を言うのは良くないですが、とりわけ遺伝的、先天的な身体的特徴を指摘するのはタブーというのが世間一般の常識ではないでしょうか。
外見の批判はタブーと言いましたが、肥満はネタにされがちじゃないですか。顔の美醜は絶対に口にしませんが、肥満は時と場合によっては軽く笑いのネタにされる時はあります。それは肥満は先天的なものではなく後天的なものという暗黙の了解があるからだと思います。つまり、太っているのは食べ過ぎや運動不足といった本人の努力不足が原因であって、ネタにされても文句は言えないだろうという雰囲気です。
しかし、肥満は遺伝の要素も結構あるらしいですよ。詳しい医学的なことは知りませんが。どれだけ食べても太らない人っているじゃないですか。大食家ほど瘦せてると思いませんか。大食い選手権に出場してる人って意外にほっそりしてますよね。逆に、あまり食べなくても脂肪として体に残りやすい人がいても不思議ではありません。肥満は本人の努力不足だけではなく、体質的先天的な要素が大きいのかもしれません。
肥満は遺伝という事実が世の中のコンセンサスになれば、肥満体形の人に対する世間の目はちょっとは変わると思います。
「あいつはホント仕事できねーよなあ」、「プレゼンが下手だよなあ」、「要領悪いよな」という仕事の能力に関する批判を聞くのは珍しいことではありません。本人に対して直接指摘することもあるし、飲み会とかで愚痴ることもあります。
同僚の仕事の出来不出来がチーム全体ひいては会社全体のパフォーマンスに影響するから指摘するのも当然と言えば当然ですが、それだけではなく仕事の能力は後天的な要素が大きいから批判されて然るべきという風潮もあると思います。つまり、仕事ができないのは本人の努力不足だという暗黙の理解です。
確かに仕事やスポーツのスキルは後天的な要素が大きい面はあるでしょう。少なくとも外見よりは後天的な要素が大きいのは間違いないです。プレゼンが下手なのは事前の準備不足の可能性もあるし、サッカー部でレギュラーを取れないのは練習を真面目にやってないからかもしれません。
ただ、私は仕事やスポーツの面でも持って生まれた才能、能力が影響している面が結構あるんじゃないかなって思います。完全に先天的とまで言わなくても、5歳くらいまでの幼児教育で形作られているとか。物心つく前の教育に依存する能力って、本人からしたら事実上先天的な性質と言いたくなります。赤ちゃん、幼児の時に受けた教育なんて子どもからしたら「知らんがな!」って感じです。
個人的な話をすれば、芸術面の能力がさっぱりダメです。明らかに平均以下です。絵画、工作、音楽とかですね。親父は器用でDIYとか得意なんですけど、なぜか私にはその性質は一切受け継がれなかったです。
絵はホント下手くそです。特に3次元の現実世界を2次元の紙に落とし込むのが超苦手です。小学生の頃に学校から見た風景の絵を描こうとかあったじゃないですか。ああいうの下手過ぎて誰にも見せたくなくて、いつも泣きたくなってました。
あと音楽センスも最悪ですね。カラオケにはちょくちょく行くのですが(今はコロナで行ってないですが)、全く上達しません。あまりに音痴過ぎて周りに申し訳ないです。きちんとした発声法の指導を受ければ変わるもんなんでしょうか。ちなみによく歌うのはスピッツ、スキマスイッチ、ミスチル、DEENとかです。最近の曲はあまり知りません。
私は芸術方面でお金を稼ぐのは無理だと確信しています。そっち方面で努力するのは時間の浪費だと思ってます。広告デザイン、コピーライティングも厳しいだろうな。芸術とはちょっと違いますが営業も向いていないと思います。数字でロジカルに考えるのが好きで得意です。左脳派です。右脳の機能が優れている人が羨ましいです。
何か物事がうまく行かない時、意識高い系の人ほど自分の努力が足りていないと思いがちです。ですが、先天的な向き不向きが多分に影響している可能性もあると思うんですよね。東京から福岡に行くのに、ある人は新幹線に乗れるけどある人は徒歩で進むしかない。どれだけ後者が早く歩く努力をしても、前者に勝つのはまず無理です。
気合と根性で何でも押し切ろうとするよりも、自分の能力、影響力の範囲を客観視して、今の自分でやれることを模索した方が戦略的に生きていけるんじゃないかなと思います。特に30代に差し掛かるとね。現実を見るしかないです。世の中どうしようもないことの方が多いです。自分の頑張りで状況を改善できることって限られていると思います。
株式投資の巧拙も実は勉強どうこうよりも、生まれ持った性質(性格)に依る部分が大きいのかも。だとしたら、私は株式投資に向いてないな、多分・・。
私も株式投資は芸術分野だと思います。
投資に必要なのは過去のデータではありません、“未来への想像力”です。
未来の人々がどういう生活をしているか?どういうモノ・サービスが生まれれば楽しいか?
そういう事だと思います。
いつもブログを楽しませていただいていながら、こういう事を言うのもなんですが、
hiroさんにはこの“未来への想像力”が致命的に欠けているように感じてなりません。
ご意見ありがとうございます。
確かに私は過去のデータに執着し過ぎかもしれませんね。
今回の暴落は多かれ少なかれみんな損をしているので才能うんぬんの話ではないのでは?と思います。それよりもhiroさんは自信を失いかけてる方が心配です。納得されないかもしれませんが思うに自分のリスク許容度が自分で思っているよりも低かったということではないでしょうか?これは悪いことではありません。今回の暴落を契機に自分のリスク許容度に合わせたアセットアロケーションを組むという投資の原点に戻ればよいのです!
自信過剰だった2016年頃から、損失を被ることで平常状態に戻って丁度よかったかなと思ってます。
今回の暴落でも銘柄入替こそしましたが特に投げ売りはせずにマーケットに居続けることはできたので、リスク許容度の範囲内かなと判断しています。
ただ、自分が思ってるよりリスク許容度が低いかもという疑いは大切だなと思いました。
マイナスの原油価格は驚きました。何が起こるかわかりませんね。慎重に保守的に余裕資金の範囲で投資を続けていこうと思います。
コメントありがとうございます!