現代は大きな戦争がない平和な時代です。世界を見渡せば戦争は無くなっていませんが、8000万人近い命が失われた世界大戦のような事態が起きる気配はありません。

なぜか?

地球を吹き飛ばすパワーを持つ核の抑止力の存在も大きいですが、一番の理由は生きるために殺し合いをする必要がなくなったことでしょう。現代は知識社会と言われます。富を生むのは主に知識、テクノロジーであって土地や資源ではありません。戦争によって物理的な資源を略奪するメリットは小さくなりました。

これをより抽象的に言うと、世の中がゼロサムからよりプラスサムの世界に変わったということだと私は考えています。

以下は橘玲さんの『上級国民 / 下級国民』にあったグラフです。紀元前1000年から現在までの一人当たり所得の推移です。

産業革命が起こった1800年まで、一人当たり所得は全く向上してこなかったことがわかります。紀元前1000年より前も同じでしょう。生活水準が目に見えて向上したのは、人類史で考えればつい最近のことです。

1800年まで一人当たり所得はずっと横ばいですが、これは社会がゼロサムであることを示しています。富は増えない、蓄積されない。

そういったゼロサムの世界において、戦争はもはや必然の結果だと思います。 資源は有限なわけです。それを地球上に生きている人類(+他の動植物)で奪い合うしかありません。パイは増えないわけだから、少しでも多く自分のモノにするしかありません。

好きで殺し合いをする人なんていないでしょう。身近な人を失う悲しみは現代も昔も変わらないでしょう。したくて戦争をする国家なんてないでしょう。ただ、昔は生きるために他者から奪うしかなかった。なぜなら、ゼロサム社会だから。奪うためには最悪、殺す必要があった。戦争を美化するつもりは毛頭ありませんが、プラスサムの豊かな社会に生きる私たちが、生きるか死ぬかの厳しいゼロサム世界に生きていた人の戦争観を心から理解するのは難しいと思います。

ゼロサム社会とは、例えるなら、国民全員がFXトレーダーみたいなもんです。FXトレードとは短期的な為替取引で利ザヤを稼ぐことです。FXはゼロサム・ゲームです。誰かが100万円の利益を得たら、別の誰かが100万円損しています。トレード全体として見ればプラマイゼロ。厳密に言えば手数料分だけ損。

全員がFXトレーディングに興じている社会が豊かになれると思いますか。お金の奪い合いが行われるだけで、社会の富は増えません。でも生きるためには「ゲーム」に勝つ必要があります。負けるくらいなら不正をしてでも勝ちたいと思うはず。なぜなら、生死がかかっているからです。

勝ちもせず生きようとすることがそもそも論外なのだ
負けた時の処遇なんて、そんな話はもうやめろ

映画「カイジ」での利根川の言葉より


この「カイジ」の世界がかつては現実だったわけです。

FXは正当な「ゲーム」だし悪いことではありませんが、私はあまりゼロサムの世界でお金を稼ぎたいとは思いません。楽しさという意味ではゼロサムの世界は面白いです。要はギャンブルですね。競馬とかパチンコとか宝くじとか。ドキドキ感は味わえます。ただ、職業として常時ゼロサムの世界に身を置きたいとは思いません。たまの息抜き程度ならいいですが。

現代のビジネスはプラスサムです。日々の仕事が社会に富を生む。他者の富を奪っているわけではありません。多分こういう認識が一般的だと思います。あなたも普段仕事や投資をしてお金を稼いでいると思いますが、他者の財布からお金を奪っている意識はないはずです。実際に奪っていません。世の中の仕事の大半はプラスサムの世界で営まれています。

プラスサムのビジネスが当たり前。
ゼロサムなんてギャンブルだ。
これは私だけでなく、(普通の金融リテラシーがあれば)一般的な理解でしょう。

でも、人類の歴史の99.9%はゼロサムの世界だったんです。プラスサムの世界が構築されたのはここ300年の話。戦争による資源の奪い合いをせずとも、人類全体がそれなりに食えるようになったのはつい最近のことです。

ゼロサムの世界を脱してプラスサムの世界でビジネスを行える。こんな素晴らしい時代に生まれたんだから、私はゼロサムの奪い合いの世界からはなるべく距離を置きたいという気持ちがあります。あくまで感情論ですけどね。良い悪いの話ではなく。

生活保護難民が多くいると聞きます。詳しいことは知りませんが。でも、少なくとも日本では飢え死にすることはありません。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を有しています。こんな保証をしてもらえるのは、社会がプラスサムになったからです。ゼロサム世界のままだったら弱者、敗者は野垂れ死ぬのみです。

気付かぬ内に、私たちは過去の遺産に生かされています。