高校は県内トップの進学校に通っていたのですが、2年生の時の担任がホームルームがある度に「君たちはノブレス・オブリージュを果たさなくてはならない・・」という話をしていました。

ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)とは元はフランスで生まれた言葉で、地位や財力を持つ者は、それに応じた社会的な責務、責任を果たすべきという考えです。

恵まれた教育環境を享受しているんだから、私利私欲を追求せずに、いかに社会に貢献できるか考えなさい、という指導を受けました。「世のため 人のため」の精神を重んずる学校でした。

その崇高な価値観にちょっとしたカッコよさは感じたものの、ノブレス・オブリージュという言葉は当時も今もすっと自分の心の中には入ってこないです。

どちらかと言うと貧乏な家に生まれて、中学2年生までは友達とサッカーと鬼ごっことゲームしかしておらず、3年生の時に本気出して勉強して、ギリギリで某進学校に滑り込んだだけです。

世のため、人のため。ノブレス・オブリージュ!なんて急に言われても、、という感じでした。その言葉はちょっと偏差値の高い学校に行った程度の人に使うには重すぎます。

世の中には、本当の意味でノブレス・オブリージュを果たしている人もいます。

たとえば政治家。政治家は2世3世が多くいます。大臣や首相になる人も珍しくないです。

世間は彼らを金持ちのボンボンで庶民の苦労がわかってない!と批判することが多いです。

確かにスーパーの値引きシールを見て買い物をしている庶民の生活は、金持ちの政治家にはイメージできないでしょう。食費なんて自分で計算したことないだろうし。

しかし一方で、経済的、家柄的に特別に恵まれた環境にあるからこそ、私益は無視して国益のことだけを真剣に考えれる余裕を持てる、という面もあると思います。私はそういう政治家を何人か知っているつもりです。

自分の生活でいっぱいいっぱいの人が国益なんて考えれるわけないですから、普通に考えて。

ノブレス・オブリージュという言葉はそういう政治家一族出身の人くらいに使うのが丁度いいのではないでしょうか。

自国の利益のためだけに尽くせる人って凄いなあと素直に思います。自分には無理だなと。私は自分と家族の利益のことしか考えられないです。

もちろん、社会の役に立ちたいという思いはありますが、それは仕事で成功して金銭的報酬を得たい、尊敬されたい、周りに認めてもらって自分の承認欲求を満たしたい、といった大変エゴな発想に過ぎません。

政治にしろ経営にしろ、ノブレス・オブリージュを果たしてくれる人がいるから世の中が回っている。そう思う時があります。

もちろん、金持ちの家に生まれたことを利用して、遊び呆けて私欲を満たすことしか頭にない人もいます。むしろそういう人の方が多いでしょうか。

まあそれは別に本人の自由ですから周りがどうこう言えることではないです。金にしろルックスにしろ、人生なんてそもそも不平等なものですから。

ただ一部、ノブレス・オブリージュを地で行くようなリーダーがいます。そういう人に対して、金持ちの家に生まれて羨ましいなあと思ったことはありません。日本を引っ張ってくれてありがとうという感謝の気持ちを抱きます。

そういうリーダーが突然この世を去るというのは日本にとって大きな損失です。