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人生はまぐれ。投資もまぐれ。

   

初詣行きました?

私は行ってません。もうここ5年くらいは行ってないかな。昔は誘われたら行ってましたが、今は誘われることもなくなったし、自分から行こうとは思いません。寒いし、人多いし。基本的に引きこもり体質なもので。

神頼みを当てにはしないです。ちょい意識高い系発言かもしれませんが、神頼みの前に先ずは自分が努力することが重要かなと。ただ神頼みを馬鹿にもしてません。何かの機会で神社に行くことがあれば、お賽銭投げて手を合わせます。

鼻っから神様に頼ろうとは思わない。でも、神様のご利益も信じる。そんな中途半端な折衷スタンスです。

というのも、どれだけ努力したって最後は偶然、まぐれによって人生左右される面が多々あるからです。自分でコントロールできないことが世の中にはたくさんあります。

人生はまぐれ

車は持っていません。運転は好きですが、やはりコストが高いので都内で車を持つ気にはなれません。ただ福岡の実家に帰ったら、父親の車(マークX)を借りてドライブしてます。電車もあるんですが、天神や博多に買い物に行くときは気分転換も兼ねて車で行くことが多いです。

やっぱ車移動はいいです。運転中は本も読めないしスマホもいじれないから、時間の無駄という見方もあるかもしれません。ですが、車は完全プライベートな空間なので気持ちが落ち着きます。電車は読書とかできるのはメリットですが、やはり公共空間で隣に知らない人いるし、車に比べるとちょっと落ち着かない。

実家に帰ったときだけのたまの運転だからというのもありますが、とにかく安全第一。歩道や止まっている車の陰から人が飛び出してこないかめっちゃ注意してるし、サイドミラーもバックミラーも頻繫に見ます。でも、僕自身がどれだけ安全に気を付けても、もらい事故のリスクは消えません。

あのですね~、偏見かもしれませんが福岡ってちょっと運転マナー悪いと思いますよ。昨日も黒塗りのクラウンアスリートが、右折レーンに並ばずに本線から急に割り込み右折してきて超ビビりました。こんなのにぶつかって事故ったら、たまったもんじゃないです。それでも100%相手責にならんからね、車同士の事故って。

足場が組まれた建設現場の横を通る時、「どうか頭上に鉄パイプが落下してきませんように。」って心の中で祈ってる時があります。お前アホかと思われるかもしれませんが真剣です。

可能性はあるから。たまにそういう事故のニュースを見る時もあるじゃないですか。それが自分に起こらないとは限らないです。鉄パイプが落っこちて頭に直撃し、急に絶命するなんて嫌だ。でも自分じゃどうしようもない。こういう時は神様にお祈りするしかない。まあ、建設現場の横を通らないようにすればいいかもしれませんが。

子どもの頃、母親に不信感を持っていたことがありました。テレビで「車同士の正面衝突で子どもを含む3名が死傷・・」といった感じのニュースが流れると、母親は「あら、可哀想ね~」、「まだ小さいのに気の毒ね~」とよく言ってました。

それを聞いてた当時小学生の僕は「え、それだけ・・」、「未来ある子どもの命が急に失われたのに、可哀想ね、気の毒ね、とそんな簡単な一言で済ませるのか。お母さんなんてひどいんだ。」って思ってました。

でも今はそれが普通の反応なのかな~って思ってます。命は尊く大切であると同時にすごく脆いもの。不幸な出来事は誰にでも起こり得る。それはもう運が悪かった、可哀想、お気の毒、としか言いようがない時もあると思います。起こる確率の低い不幸な出来事が自分の身近で起こるのか、知らない第3者に起こるのかの違いでしかない。3人称の死、不幸な出来事は日々のニュースに埋没されて(あるいはニュースにすらならず)、いずれ(というか翌日には)人々の記憶から忘れ去られるもの。

ふとしたきっかけで出会い仲良くなった魅力的な女性が既婚者だったら、それはもう仕方ない。不倫に走り過ぎるわけにもいかんし。YouTubeでEXILEの「Ti Amo」を聴いて、ちょっと感傷に浸るくらいです。

今私たちの目の前に広がっている世界は、起こり得る数多のシナリオから偶然に現実化した一つのシナリオに過ぎません。全く別の世界が現実化していた可能性もあります。因果関係を無理矢理付けて必然のように思わされる時もありますが、実際は現在とは過去の偶然の重なりに過ぎないのではと思います。

そういう考えを持っているから、やっぱり神様を馬鹿にはできない。でも、何の努力もせずに神様に頼ることはしたくない。鼻っから100%偶然に頼るのはそれはもはやギャンブルです。自分の努力でいくらかは偶然を必然に変えることができると信じてます。ただし、100%必然にするのは無理。どれだけ努力しても偶然、運を味方にできないと上手くいかないことは多いです。

人事を尽くして天命を待つ、ってことですね。

投資もまぐれ

投資も同じかもしれません。現実化する未来が偶然に左右されるなら、投資リターンにもいくらかは偶然性が介入することになります。

でもだからって適当にポートフォリオを作るわけじゃない。完全に偶然に任せはしない。自分なりに過去の業績チェック、未来を想像する努力をしてポートフォリオを作る。で、自分の力でやれることをやった後はもう天命を待つしかない。

80%の確率で成功するポートフォリオを作った優秀なファンドマネージャーのAさん。不幸なことに20%の想定外のシナリオが現実化して、Aさんの投資パフォーマンスはボロボロ。歴史はAさんの投資判断を批難するでしょう。結果、数字がすべての投資の世界。それは仕方ないかも。

20%の確率でしか成功しないポートフォリオを作ったダメ・ファンドマネージャーのBさん。ラッキーなことに想定外?の20%のシナリオが現実化して、Bさんの投資パフォーマンスは世界でも目を見張る水準に。Bさんはきっと称賛されて、メディアにも度々出演してドヤ顔で投資方針の根拠を語ることでしょう。

Aさんは、きちんと勉強して堅実なポートフォリオを作ったけども、偶然に翻弄されて経済的に成功できなかった。Aさんはお気の毒です。可哀想。そうとしか言いようがない。

別に株式投資の成果は偶然で決まるって言いたいわけじゃないです。バフェットの過去の年率20%超の投資リターンが、偶然によるものと言いたいわけじゃないです。ただ投資においても、偶然性を完全に排除することは不可能と言いたいだけです。

「成功する人は偶然をチャンスに変える」なんて言葉が、自己啓発系の本に書かれてるのをよく見ます。これはつまり、BさんよりAさんの方が確率論的に成功しやすいと言っているだけだと思います。でも、優秀なAさんも偶然に翻弄されて成功できないこともあります。人生は一度切りだから、それは残酷なことかもしれません。生き残りバイアスはどこの世界にもあること。

というわけで、今年も初詣に行ってないくせに図々しいですが、神様のご利益に預かれるよう日々精進していきたいです。神様のご利益を頂ける確率を上げるのは自分の努力。不安定なマーケットに居続ける経験、読書でのインプット、ブログでのアウトプットなどを通じて、運を味方にできるよう今年一年頑張っていきたいと思います。

 - 投資理論・哲学, 雑談