私たちが生きるこの社会でお金持ちになるにはどういう姿勢、発想が必要か?

それは、自分が気持ち良くなる前に先ず他人を気持ちよくしよう、という発想かなと私は思います。

設備の整った広いマンションで快適に暮らすのではなく、そんな暮らしを他人に提供して、他人を気持ちよくしようと考える。不動産投資、REIT、ゼネコンで働く、建築士になるとかが具体的に考えられるでしょうか。

スタバで800円する甘くて美味しいフラペチーノを買って自分が食べるんじゃなくて、それを他人に提供して楽しんでもらおうと考える。スタバ株を買えば、かなり間接的ですが実現できます。

私達のDNAには利他の精神はあまり備わっていないのかもなってたまに思うことがあります。なぜなら、人類の歴史の大半は暴力、奪い合いで、争いに勝った者が生き残ってきたからです。食物、飲み水、生活する場所といった限りある資源を、力で奪い取った者が子孫を残すことができました。

男性の平均身長が女性のそれより高いのは、肉体的に強い男が女に選ばれてきた証です。が、現代は背が高くても特に有利というわけではありません。億万長者であるソフトバンク孫さんは身長160cmほどと小柄な方です。

少なくとも今の日本は平和で、暴力はコンテンツの世界でしか見られないものになりました。他者と協力して生活していく中で、遺伝子に元から備わっている暴力性は薄れていくのかもしれません。

が、やはり本質的には力で資源を奪い取ることに快感を覚える性質が残っているような気もします。そういうバトルゲームは人気がありますよね。

その本能を丸出しにしても、残念ながら豊かにはなれません。狩猟採集時代はそれで良かったかもしれませんが、現代資本主義社会では通用しません。

暴力で圧倒して資源を奪い取ろうとする者は法の裁きを受けます。

そうではなく、他人、社会の役に立つ商品、サービスを提供できた人が、対価としてのお金をたくさん得ることができ、結果として裕福な生活を送ることができます。

他人を気持ちよくできた人だけが、気持ちいい生活を送れることができる。他社貢献=自己利益という仕組みで世の中は動いています。

きれいごとに聞こえるかもしれませんが、投資であれ労働であれ、他人を気持ちよくしよう、幸せにしようという発想を持てる人の方がお金持ちになれると思います。特に長期的には。

暴力性の強い人が裕福になる社会か。たくさん他者貢献できた人が裕福になる社会か。どちらの方がいいですか?

争いが好きで、肉体的に強靭な人はもしかしたら前者の社会の方が望ましいと思うかもしれません。私は後者の現代社会の仕組みの方が好きですけどね。

資本主義という仕組みには限界が来ていると言われることが最近増えました。確かに、完璧な制度ではないと思います。

でも、その根本にある他人を気持ちよくできた人、他人を幸せにできた人が報われるという仕組みは代替不可能なものだと思います。そうじゃないと、地球上にいる78億人という人間同士が協力して豊かな社会を築くなんて無理です。

若い内に消費を我慢して投資をするというのも、実感は薄いかもしれませんが、自分が気持ちよくなる前に他人を気持ちよくする行為です。コツコツ金を貯めて株を買った人が豊かになれるのは当然のこと。

他人を十分気持ちよくした後に、自分が気持ちよくなればいい。長期投資はそんな発想でやるのがいいのかなと思います。精神論ではありますけどね。