半年くらい前、偶然入った書店で『暇と退屈の倫理学』という書籍が平積みされているのを発見しジャケ買いしました。最近暇だなと思うことが増えた自分の悩みに刺さりまして。

人生は長い暇つぶしという事実を受け入れて、どういう暇つぶしをすることが人間らしい豊かな生き方なのか語られています。こういう哲学的なことを長々と言語化できるの凄いなあと思いながら読んでました。

著者は消費ではなく浪費せよと言います。浪費こそが人生を豊かなにするものだと主張します。

ここできちんと言葉を定義する必要があります。

著者が言う「消費」とは、すべて消化し切れないことが明らかにもかかわらず、ありとあらゆる記号的情報を取り込もうとすることを指します。一方で「浪費」とは、必要以上のモノや情報を揃えるけれど、それらをすべて使おうとはしないこと、その中から自分が本当に好きなものだけを楽しむこと。

ちょっと書籍の文言とは違ったところもあり、私なりの解釈も入っていますが、概ねこんな定義だと理解しました。

わかりづらいので例をあげます。

「消費」の例
・ネットフリックスのあらゆるドラマ、映画を2倍速で見まくる
・バイキングでもうお腹いっぱいにもかかわらず、元を取ろうとケーキを爆食いする

「浪費」の例
・ネットフリックス、ディズニー+、アマプラあらゆるサブスクに契約しておいて、休日に気になった作品をコーヒーを飲みながらゆっくり鑑賞する
・実家に帰ると冷蔵庫やパントリーに色々な食材、お菓子、デザート、飲み物がある。何かないかと棚を漁っているとどら焼きを発見したのでおやつに食べた。

こんな感じでしょうか。

最近コスパならぬタイパという言葉を目にします。費やした時間に対する満足度を追求することを意味しています。ドラマや映画を2倍速で見る人も珍しくないとか。特に若い世代で。

確かにこれだけコンテンツが溢れていますから、2倍速で見たくなる気持ちはわからなくはないです。

ただ、たとえ2倍速で見ようとも1日の時間は24時間と決まっているわけだし、増え続けるコンテンツのスピードに消費が追いつくことはありません。無限に増え続ける情報をすべて追い求めようとしても無理です。

胃袋も時間も有限。その当然の事実を冷静に受け入れる。限界があることを知る。その中で本当に楽しめることをした方が有意義ではないか。それが著者のメッセージ(消費よりも浪費)かなと個人的に解釈し共感しました。

浪費とは選択肢を多く持つことと言えます。そのためにはお金も惜しまない。ネットフリックスもディズニー+もアマプラも契約していたら、いつでも好きなコンテンツを見れるけどお金はかかります。贅沢です。

そう贅沢すればいいんです。ケチケチせずに贅沢、浪費をすることが豊かな人生だろうと。

贅沢とはあらゆるもの、サービスを手に入れつつも、それらすべてを欲張って消費することなく、自分なりに厳選した1品を愛でることです。

まあ私はサブスクたくさん契約しようとは思わないですけどね笑。

でも衣食住では浪費、贅沢したいです。そのためにはやはりお金が必要です。たくさんお金を稼いで浪費生活を楽しみたいです。