ネット上にあらゆる情報が山のようにある現代、誰も知らない新しい知識を提供するのは不可能に近いです。意図せずとも、どんなコンテンツであれちょっとはパクリ要素があるもんだと思います。「あれ、この人の言ってること他の人も言ってたな」みたいな。

そんな時代に読んでて面白いなという思うコンテンツは、筆者独特の世界観というか物の見方を示してくれる文章です。世の中の事象や現象を自分の言葉でわかりやすく、でも抽象的に説明しているような文章。

サラリーマンの給料を人的資本と表現したのは、恐らく橘玲さんが最初じゃないかなと思います。違ったらすみません。山崎元さんだったかな。初めて聞いた時、「なるほど、面白い言い方だな!」って思いました。資本と言えば株式や債券などの金融商品や不動産が思い付きますが、キャッシュフローを生み出すという意味では確かにサラリーマンたる自分自身も同じ資本としての性質があります。

誰しも若いサラリーパーソンには、人的資本が少なくとも1億円はある。

言い得て妙だな~って20代前半の頃思いました。人的資本の豊富さを考えたら、金融投資では思った以上にリスクを取れる。うん、なるほどなるほど。

と当時は納得したのですが、私はやっぱり人的資本を「資本」とは認めたくないです。

私が(勝手に)定義している「資本」とは以下の2つの性質を共に兼ね備えているものです。

・キャッシュフローを生み出す
・労働力を投入しなくてよい

要は自動的にお金を生み出してくれるもの、不労収入源が「資本」です。

人的資本はサラリーマンとしての労働の対価です。給与という安定キャッシュを生むのは良いけれど、労働力の投入度合いは半端なく多い。てか、労働力こそが人的資本そのものですから。平日は毎日嫌でも会社に出勤して、少なくとも8時間前後は会社のために働かないといけません。そんなの「資本」とは呼びたくないです。

ただ例外もあって、配偶者の人的資本は「資本」に該当すると思います。特に女性にとっての旦那の人的資本ですね。高給のハイスぺ男子を捕まえた女子は、無意識のうちに「旦那の人的資本」を2億円か3億円くらい自分のバランスシートの資産の部に計上してるんじゃないでしょうか。自分が労働するわけじゃないから、立派な「資本」の定義を満たします。

女性が公務員や上場企業勤務など安定した職業の男を求めるのも、旦那という人的資本を最大化するための合理的な行動だと思います。将来のキャッシュフローが安定しているということは、ファイナンス的には割引率が低いという事です。割引率が低いと資本の価値は高くなりますから。株価と一緒です。

すみません、ちょっと余談でした。配偶者の人的資本ではなく、自分の人的資本である限りそれは「資本」ではないと思っています。ではない、というか私がそう認めたくないだけです。別に資本の明確な定義とかないので。あくまで私個人の考えです。

まあでも、これからサラリーマンの人的資本の「資本」としての性質は高まってくるとは思います。というのも、テクノロジーの発達で仕事がドンドン自動化され、労働が楽になっているからです。私は自分の仕事でヒシヒシとそれを感じています。今の会社に入社して8年くらい経ちますが、労働時間の減り具合はかなりのものです。会社の風土が変わったのもあるし、やはりシステムによって業務が効率化された影響が大きいと思います。

私たちが現役の時代に会社勤めという労働形態が完全に消えることはないでしょうが、週休3日制くらいは実現するかもしれません。そうすれば、祝日合わせれば年の半分が非稼働になります。それで給料が今まで通り貰えるなら、サラリーマンの人的資本は段々と本物の「資本」としての性質が強まっていきます。

そもそも、「労働力を投入しなくてよい」というのを「資本」の条件に挙げましたが、完全非労働でキャッシュを生んでくれるのは株式くらいです。あとは多少は労働が伴います。不動産は寝てても家賃収入が入ってきますが、客付けやトラブル対応、修繕とかは最低限必要ですし。株式ってキングオブ資本だと思いますよ、ほんとに。

週休3日どうこう言いましたが、んなの現時点では夢物語ですよね。明日も変わらずチャリで出勤します。自転車通勤になって初めての冬を迎えておりますが、予想通りめちゃくちゃ寒いです。手が凍りそうです。そうやって辛くとも毎日会社に行く生活は、これからも変わらないだろうなと思います。10年、20年したらだいぶ変わってるんですかね。これだけ変化が早いと10年後の生活なんて想像もできません。

少なくとも現段階では、サラリーマンという人的資本は「資本」と呼べる代物ではありません。株式など本物の「資本」がもたらすキャッシュだけで、ちょっと贅沢な生活しても金が余るような状態になれることが理想です。まだまだです。