先日、母が福岡から東京に来てました。1週間ほど。そん時に、こんなこと呟いてました。「もう孫の顔も見れたし、後は死ぬために生きてるようなもんやで。」

子の僕としては聞いてて嬉しい言葉ではないですね。別に何も言いませんけど。ああそうって感じで流しました。あ、ちなみに、私には妹がいまして早くに結婚してすでに子どもが二人います。

人生の目標なんて別に無くてもいいものですが、もし作るなら、それはできるだけ抽象的にした方がいいんだろうなって思います。なぜなら、あまりに目標が具体的だとそれを達成することが可能で、達成した後に力が抜けてしまうからです。フワッとした目標の方がいいんじゃないでしょうか。企業の経営理念みたいな感じで。

たとえば、あるお笑い芸人の目標が「M-1グランプリで優勝すること」だとします。それは実際に達成することができます。M-1グランプリを勝ち抜くのはめちゃくちゃ難しいことなのはわかっていますが、目標としては明確でその達成非達成ははっきり客観的にわかりますよね。そうやって実際に実現可能な目標だと、一度達成してしまうと「ああ、やり切った~」となって進歩が止まっちゃいそうです。

もっとフワッとした目標の方がいいと思うんですよね。たとえば、「お笑いを通じて世界中の老若男女を笑顔にする」とか。これだと目標達成は永遠に訪れません。そもそも何を以って達成なのか明確に測定することができません。それくらいがいいと思います。

短期的な目標は測定可能でかつ現実的な方がモチベーションが上がって良いですが、人生の目標という壮大なものはフワッと抽象的に定めた方が生きる活力を失わなくていいんじゃないでしょうか。

「子どもを育て上げて孫の顔を見る」というのもかなり具体性の強いゴールです。まあ、うちの母親はずっと前から言ってたことですけどね。別にそれが悪いとは思わないけど、せっかく子育ても終わったんだし、もっと自分の人生を楽しめばいいのになって思います。60歳なんてまだまだ若いやん。幸い健康だし。

仕事でも遊びでも何でもいいけど、年を重ねても「まだまだやり足りない!、時間が足りない!」という心境でいれた方が楽しいし、その方が若々しくいれると思います。あと、ボケなさそう。仕事を退職してやることなく、家でボーっとしているとボケるんじゃないでしょうか。医学的なことは知りませんが。

「人生やりたい事やり切った。思い残すことは何もない。」と最期に思えることは幸せなことのように見えて、実際はそうでもないんだろうなって気がします。あれもやりたいこれもやりたい、でももうタイムオーバーか・・ってくらいが幸せそうです。私はそう感じます。

アニメ『ONE PIECE』では各回の最後に”TO BE CONTINUED”という一文が出てきます。

「物語はこれからも続きます」って意味です。「人生まだまだ続きます!」ってくらいに最期まで充実した日々を過ごせるのが理想だな。そのためには健康が大切。金融資本より健康資本の強化を図っている今日この頃です。毎日スクワットやってます。あと休日は必ず外出してたくさん歩くように意識しています。