億単位の財産築いても使わずに死んだら意味はない、と思う人は多いでしょうか。所謂ラストエリクサー問題ですね。

確かに金は使ってなんぼというのはその通りとは思いますが、墓場まで持っていけないのは何もお金に限った話でもありません。ノーベル賞という名誉ある賞を受けたところで、それもやっぱりあの世には持っていけません。

ノーベル賞を取るような人は社会にすごく価値ある功績を残したわけだし、今後一生歴史に名を残すことになります。

が、だからといって、その人が幸福な人生だったかどうかは別問題ではあります。

どうせ人間いつかは朽ち果てます。無宗教の私は特に死後の世界なんて考えません。なぜ生まれて意識があるのかもよくわかりませんが、せっかく親から人生を与えてもらったなら、なるべく楽しく生きたいと思うだけです。

楽しく過ごしたいけれども、我を忘れて夢中になれる趣味とか特にない私です。なぜこれほど無趣味なのか自分でもよくわかりません。30代半ばにもなればこんなもんでしょうか。子どもの頃はサッカーとゲームが大好きだったけど、今はそれほどでもないですね。

そんな私が唯一本気でやり込みたいと思えるのが資本主義ゲームです。事業をやっているわけではないただの勤め人ではあるけど、株とか不動産で富を築く機会は色々あります。

過度な節約に頼らず、限られたリソースをいかに上手く配分し、資産を増やすことができるか。これが資本主義ゲームです。競争相手はいません。一人で桃鉄やってるようなもんでしょうか。

お金があればいい生活を送れるわけで、そりゃ大人になればみんな大なり小なりお金には関心があるものです。真面目に仕事するのはお金を貰っているからです。お金が絡むと人は本気になるんですね。シビアです。そこが面白いですね。

組織での出世競争を勝ち抜くことに生き甲斐を求める人もいます。

私は興味ないですが、出世ゲームが楽しいなら仕事や社内政治に熱を入れるのもいいかもしれません。要は本人が満足ならそれでいいわけなので。周りがとやかく言うことじゃない。

ただ、こういう仕事の出世ゲームって終わりがあるのがネックだと思います、個人的には。

というのも、40代か遅くとも50代になれば勝負はついてるものです。役員クラスまで出世する人材のスクリーニングはそれくらいの年齢には終わっていると思われます。そこから人事評価逆転というのは同じ組織では無理でしょう。

人生100年時代。40歳、50歳なんてまだまだ健康、人生これからです。そんな年齢レンジで終わってしまう「ゲーム」を生き甲斐にしてしまうと、その後の目標を失いかねません。また新たな「ゲーム」を見つけることができればいいかもしれませんが。

それに引き換え、資本主義ゲームに終わりはありません。1000万円達成したら次は1億、次は5億10億と金はいくらでも増やす余地があります。

世界トップの大富豪はジェフ・ベゾスやイーロン・マスク、ビルゲイツで総資産額は10~20兆円です。

極論言えば、資本主義ゲームのゴールはこのレベルなわけですが、もちろん普通の勤め人が到達できるステージではありません。つまり、私みたいな庶民にとって資本主義ゲームは、生涯楽しめる終わりなき旅なのです。

70、80歳になっても「あの株が儲かるか、このマンションは割高過ぎるか」と頭を悩ませているでしょうか。もしそうなら幸せかなと思います。ボケなさそうですし。