お金を稼ぐために仕事は割り切ってやる
1年くらい前、新宿のブックオフで認知科学者の苫米地英人さんの本(タイトル忘れた)を立ち読みしてたのですが、そこに書いてあった言葉が印象的で今でも覚えています。
みんな働く=お金を稼ぐと思っているがそれは違う。お金を稼ぐことと働くことは別物だ。現代のお金は社会が生み出した実体のない存在である。つまり、お金を稼ぐのは社会のルールを理解してうまく立ち回ればいいのである。たくさん働けばたくさんお金を得られるという発想は捨てなさい。
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こんなことが書かれてました。
これ真理だなって思います。
働くの語源は「傍(はた)を楽にする」です。自分の周りの人を楽にしてあげる、便益を提供することが働くということです。
お金はありがとうの対価である、という有名経営者の言葉を聞いたことがあります。それはお金を稼ぐ=働く(傍を楽にする)という発想ですね。
確かに世の中の大金持ちは「傍を楽にする」を世界規模で行っています。
マイクロソフト創業者のビルゲイツ、オラクル創業者のラリー・エリソン、アップルCEOのティム・クック、アマゾン創業者のジェフ・ベゾスなど。Windows、Officeソフト、オラクルDB、iPhone、アマゾンのECサイトが社会に与えている恩恵は計り知れません。
そういう起業家は「お金を稼ぐ=働く(傍を楽にする)」が成立していますね。
でも、私みたいな普通のサラリーマンはなかなか難しい。
どういうことかと言うと、「働く=傍を楽にする」という感覚をあまり持てないということです。
企業の経理部として毎日数字を睨めっこしてます。最近は決算で毎日帰ったら22時くらいです。ちなみに、リモートワークはしてません。
そんなに長時間仕事をしている割に、誰かの役に立っている気はあんましないです。誰にありがとうと言われるわけでもないし。
投資家のために決算書を作ってるわけですが、自社の株主なんて会ったこともない。管理会計は内部の経営陣や事業部といった目に見える顧客がいるので、まだやりがいを感じやすい面はありますが、それでも自分の仕事が何か社会にインパクトを与えている感はないです。
そりゃしゃーない。経理という職種の問題というより、大企業の1構成員(しかも下っ端)でしかないことが主な要因です。
でも仕事は辞めませんよ。誰からもありがとうと言われなくとも、大してやりがいなくとも辞めません。なぜなら、お金が必要だから。お金が欲しいから。お金のために毎月決算書作って数字の分析をします。
そう割り切ってます。20代の頃はやりがいがどうこうとかキャリアを考えていたけど、今はもうサラリーマン労働にそういう精神的報酬は求めなくなりました。
私にとって仕事=お金を稼ぐであって、仕事≠働く(傍を楽にする)です。よってお金を稼ぐ≠働くという状態です。
仕事はお金のためです。自分の仕事を通して誰かをハッピーにしている、ハッピーにしたいという思いには至りません。残念ながら。
でもそれでいいんです。お金という社会が生み出した「データ」を得るには会社と雇用契約を結んで、労働することがもっとも手っ取り早いのです。
余暇時間との兼ね合いですが、残業代が出るなら残業した方がいい。それで給料がたくさんもらえるんだから、経済合理的に振る舞えばいい。どうせ評価が良くてもボーナスなんて大して変わらないわけだし。
残業してお金をもらるのはかっこ悪いとかそういう変なプライドはないですね。プライドよりお金の方が大事。成果ではなく労働時間で対価を決めるというルールがあるんだから、そのルールに則って自分に有利になるように行動する。
どうやれば効率的にお金を稼げるのか。マネタイズできるのか。お金儲けを一種のゲームみたいに捉えた方が楽かもしれません。社会の役に立つにはどうすべきかという発想ではなく、いかに効率的にたくさんのお金を稼げるかにフォーカスする。
そういうドライな発想は悪くない、むしろクールで好きです。
株式投資もお金を増やすゲームみたく捉えた方が上手くいくという話も聞きます。過去と今の数字、決算だけを見て冷静に判断し、淡々と自分の口座残高を増やしていく。言うは易く・・ですが
Go To Eatキャンペーンで「とりきの錬金術」が話題になりましたね。批判されて当然というのが一般的な意見とは思いますが、ルールの抜け穴を見つけてお金を稼ぐのは悪いことでもない割り切る考え方もありだと思います。何も行動せずにお金がない!ってネット上で不満を言うくらいなら、「とりきの錬金術」を思い付いて行動する方がまだマシだと思います。
働く(傍を楽にする)場を見つけることも大切
豊かに暮らしていくためにはお金が必要。まずはお金。先立つものがないと心の余裕も生まれません。衣食足りて礼節を知る、です。
一方で、幸福な人生を送る上で、働く場(傍を楽にする場)を見つけることもお金を稼ぐことと同じくらい大切だと思います。
お金を稼ぐ=働く(傍を楽にする)という等式が成立していれば何も問題ない。きっとそれは天職ですね。そのまま生涯現役で続ければきっと幸せでしょう。
でも、大半の人にとってお金を稼ぐ≠働く(傍を楽にする)ではないでしょうか。現代社会の豊かさは高度な専業化の賜物です。組織の歯車になって、全体の業務のごく一部を担うことしかできないのが普通。自分の仕事がどう社会と繋がっているか見えないし、ましてやお客さんの幸せなんて感じようがない。
立場、仕事内容によって人それぞれだとは思いますが、少なくとも私は仕事=お金を稼ぐであって、仕事=働くではないんですよね。さっき言った通り。
だからこそ、積極的に「働く」場を見つけに行くことが大切かなと思います。会社が「働く」場にならない場合は、どこか別の居場所を見つける努力をした方がいいんじゃないかって。
ただ生きるだけでは幸せではない。お金というデータを積み上げるだけでも幸せではない。自分の快楽を追求するだけでもやっぱり幸せではない。
人は他者からの承認や感謝の言葉を貰うことでしか幸せを感じれないのかなって思います。
そういう場、傍を楽にする場、「働く」場、自分を承認してくれる人が存在する場を探すことが大切なんだろうなってよく思うことがあります。ここ数年。30代になってからですが、こんなこと考えるようになったのは。
それは具体的にどこなのか。それはまだよくわかってません。
いつも興味深く拝見しています。私も同じようなことを考えていていつも勝手ながら共感しています。
傍を楽にする、と言う意味では家庭を持って、子供を設けるということこそ、ある種の社会を作り出す行為なのかなと最近30を超えて思い始めましたが、如何でしょうか?
いつもお世話になります。
はい、私も家族はそういう存在になり得ると思います。
パートナーや子どもを自分の自己実現の手段にするのは良くないかもと思いつつも、そういう場を持った方が人生は幸せなのかなと思うことが増えました。