企業の利益とは顧客の期待に応えることができた証です。利益が多いとはそれだけ社会に価値を生み出せたということ。利益とはありがとうの証である、というのはきれいごとではなく事実だと思います。

iPhone、YouTubeのおかげでいつもで快適に楽しいコンテンツを見て暇つぶしができています。スマホやネット環境にお金を払うことに抵抗はありません。アップル、グーグルに「ありがとう」という気持ちです。

利益=善のはず。

ですが、世界トップクラスの収益性を誇る企業ほど批判されることが多いです。それは、「あいつらあんなにぼろ儲けしやがって」といった村社会的なやっかみひっかみとかではなく、「それは本当に価値あることなのか?」という疑問を呈した批判です。

たとえば、私も投資する米マクドナルドは世界中で低価格で美味しいハンバーガーを提供することで、マイクロソフトに匹敵するほどの営業利益率をたたき出しています。

しかしながら、同社のビジネスは時に批判的にみられます。アメリカ人の肥満という社会問題を助長していると。確かに、毎週コークとポテトをバグバグ頬張っていたら太りますわな。

私たちの脳にはカロリーを溜め込むことに報酬を与える仕組みが備わっています。ハンバーガーをコーラで流し込むと、「美味しい!、気持ちいい!」と感じるようになっています。そうすることで、体内にエネルギーが蓄えられて、食料がなくなっても飢餓で死ぬ確率が減ります。

そういう遺伝子を受け継いできたからこそ、私たちのご先祖様は飢えで死に絶えることなく、私たちは生命のバトンを受け取ることができたと言えます。

でも、現代は無理してカロリーを溜め込む必要性が薄いです。特に先進国はそうですね。ゆるく働くだけでも、自分が食っていくだけの食料、飲料は調達できます。

むしろ、カロリーを溜め込み過ぎると糖尿病などの生活習慣病を引き起こします。

フェイスブックはわずか10年で世界の広告市場を席巻しました。同社のアルゴリズムによって最適にターゲティングされた広告を配信することができ、広告主はフェイスブックに高額な広告掲載料を喜んで支払います。おかげでフェイスブックの営業利益率は40%近くに達しています。

しかし、フェイスブックもまた世間から批判されることが多い企業の一つです。

フェイクニュースを統制できておらず、国民に誤った知識を伝播している。多感なティーンエージャー(特に女子)をハイストレスな人間関係環境に晒している。こんなところでしょうか。

人は他人の動向が気になるもんです。噂話が好きです。そうやって情報を収集しておくことが、コミュニティで上手く立振る舞って生き延びるために必要なことだったからです。

でも果たして、貨幣経済が浸透している現代で、そこまでして他人の動向を知る必要があるでしょうか。一緒に共同生活を送る間柄ならまだしも、赤の他人の煌びやかな生活をSNSを通じてみることのほうが多いのが実情です。

それは有利に生きるための情報にはならず、ただただ劣等感をもたらします。自分のレベルが低く感じてしまい、幸福を感じにくくなってしまいます。平和な時代に豊かな日本に生まれた時点でハッピーなはずなのに。

人が求めるサービスをなるべく低価格で提供できた企業が客に選ばれ、利益を上げます。顧客のため、顧客のためと努力するほど高収益なPLになります。

が、ここで私たち客側が求めているものって本能、遺伝子に左右されてる面が大きいんですね。無意識であれ。もっとカロリーが欲しい、もっと周りの噂話が欲しいなど。

ほんの数百年前であれば本能に従って行動していれば良かったです。飢餓が当たり前の時代に生まれたら、目の前に甘いフルーツが突如として現れたら、無理してでも食べるべきです。太ってモテなくなるかも、なんてそんな迷いは不要。生き残ることが何よりの優先事項です。

高収益な大企業というのは、人間の本能が求める商品、サービスを提供していることが多いです。だからこそ、多くの人に受け入れられて、結果として時価総額が兆ドル単位にまでなったりもします。

この辺りが資本主義が限界に達していると言われる理由の一つなのかなと思うことがあります。

つまり、現代は本能に即して行動して短期的な報酬を得ても、必ずしも中長期的な幸福は得られないにもかかわらず、企業は人間の短期的な報酬(本能)を刺激するものばかり作っているということです。その方が儲かるからです。

人間は短期的な報酬に弱いですよね。だから貯蓄して投資を続けるのは難しいわけですし。

たとえ、中長期の幸福を害することがあっても、人が目先の快楽を求めるのであれば、その快楽を提供できる企業には価値があると言えるのか?

少なくとも、今の社会、経済のルールから考えると答えはYESです。客から金を取れることが正義。そういう企業がマーケットで高く評価されます。私たち株主もそういう企業に飛びつきます。

ただし、どこかで資本主義のルールがアップデートされる可能性はあります。たとえば、砂糖税。これ以上糖分を摂取させないように、政府が砂糖を取ることに対して経済的な痛みを与えます。

これは進化生物学と哲学の戦いかなと感じます。

短期的な報酬と中長期的な報酬が嚙み合わないとき、どちらを優先するか選ぶ権利は別に政府にはないと思います。どう生きることが正しいのか、政府に決める権利があると考えるのは傲慢ですよね。ハンバーガーやポテトの販売を規制することができるとは思いません。

砂糖税の例を上げましたが、これに類似する規制をたくさん設けることは難しいです、きっと。そんな政府が国民に支持されるとは思えない。

結局のところ、これからも人間は本能に即して短期的な報酬に釣られるでしょう。個人個人が自分の生き方を哲学することは大切と思うけど、社会全体で見れば哲学は生物学に勝てない。

私たち投資家は進化生物学の見地から考えて優秀な企業に投資した方が、これからも儲かると思います。それが社会的に良いことか悪いことかは置いておくとして。マクドナルド、フェイスブックは「買い」です。