最近NewsPicksにソフトバンクの孫さんと、アリババ創業者のジャック・マー氏の対談記事が掲載されていました。豪華ですね。面白い内容でした。その中から一部抜粋したい文章があります。

機械が人のように働く時代が来る。そうあるべきだということです。

たった150年前、日本では明治維新があり、社会は劇的に変わった。当時、日本にある仕事の9割が農業でした。今では3%くらいになった。

9割の農業をしていた人たちが、劇的に変わって今日の姿になっている。では、そうした人たちの仕事がなくなったのか。そんなことはない。

(中略)

マサの言うように、仕事がなくなるわけではありません。20~30年後には、人間は週3日、2~3時間働けばいいんです。

私の祖母・祖父は、1日18時間働いていました。私たちの孫、ひ孫になると、一週間に3日、2~3時間働いて「忙しい」と言っているでしょう。信じてください。それが社会の進歩です。

NewsPicksオリジナルコンテンツより

機械が働いて富を稼いでくれるなら、経済格差はさほど大きな問題にはならないかもしれません。人の仕事は消えないし、所得格差はこれからも残るでしょうが、低所得だからって明らかに生活水準が劣ることはないでしょう。

しかし、経済格差よりも深刻な格差が訪れると思います。それは生き甲斐格差です。

他者の存在無くして自己は定義できないと私は思っています。あくまで私個人の考え方ではありますが、一般的にも言えることではないかと思います。社会的動物である人間は他者貢献の場がないと、生きる意味を見失いがちです。

今まではその場を能動的に探す努力は不要でした。なぜなら、会社という組織に属して働くことで他者貢献できたからです。しかし、週3日で1日の労働時間が3時間となると、もはや会社での仕事を通じて自己肯定感を得るのは難しくなります。

孫さんは機械が人のように働くことを「そうあるべきだ」と言っています。マー氏は週3日、2~3時間働くことを「それが社会の進歩です」と言っています。

果たして本当にそうでしょうか。科学の進歩と言えば間違いないですが、社会の進歩かどうかは疑わしいかもしれません。

やりたくない仕事を嫌々やらなくてよくなるのは、社会の進歩かなと思います。でも、仕事が無くなってボーっと家で過ごす人が増えるのは社会の進歩には思えません。サラリーマンを定年退職した後に家の居場所がなくて生きる意味を失うオジサンがいると聞きます。40年間猛烈社員だったら、そうなるのもわかります。「機械が人のように働く時代」になると、20代30代の若い人も同じ境遇に陥るかもしれません。

経済格差よりも生き甲斐格差への準備が必要なのかもしれません。他者貢献できる場を自ら創り出す、没頭できる趣味を見つけるとか。

マー氏曰く、そんな時代が到来するのは私たちの孫、ひ孫の世代とのことです。私たちの現役期間はまだまだ否応なく労働せざるを得ない時代かな。過渡期。それは決して不幸なことではないと思います。テクノロジーの進歩と社会の進歩は必ずしも一致しないなと最近よく思います。