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ブルボンの「ルマンド」はかつては高級品だった

   

この前ダウンタウンのガキ使で「お菓子選手権」なるものが放送されていて、自宅でぼ~と観てました。出演者が好きなお菓子を5つピックアップするという内容だったのですが、タレントの西川貴教さんが選んだお菓子の中にブルボンの「ルマンド」がありました。

ルマンド美味しいです。私も決算で忙しいの時に残業のお供としてお世話になることがあります。小袋に入っているので、仕事の合間にちょこっとつまむのに最適なお菓子なんです。

ココリコの田中がブルボンのルマンドについてエピソードを語っていたのを聞いてちょっと驚きました。

ルマンドは昭和49年発売のロングセラーなのですが、ココリコ田中が子どもだった頃はルマンドは庶民はなかなか食べれない高級品だったそうです。お金持ちの友達の家に遊びに行くとこのルマンドと紅茶が出されて、とてもテンション上がった!みたいなことをココリコ田中が言っていました。

へ~そうなんだーと興味深く聞いてました。

結構お菓子好きでよくコンビニや「おかしのまちおか」で買うのですが、数多くある駄菓子ラインナップの中でもブルボンのルマンドは特に割安感を感じる商品です。1袋に13本も入っているのに値段は100円ちょいですから。リーズナブルで助かります。

そんなお買い得な大衆駄菓子のルマンドもかつては高級品だったとは驚きです。確かにパッケージはどことなく高級感を醸し出しているように感じます。今では小学生のお小遣いでも余裕で買えるんですけどね。

ココリコ田中は1971年(昭和46年)生まれのようで、彼が仮に小学1年生の時だとしたら1977年(昭和53年)頃の話でしょうか。当然私はまだ生まれていません。その当時のルマンドがどれくらい高級だったかは知る由もありませんが、庶民の家ではなかなか食べられないお菓子だったようです。

 

このエピソードを聞いてて、「幸せな人生を送るためにお金ってそんなにたくさんは要らないかもな~」って思いました。

だってルマンドほど美味しくてボリュームもあるお菓子がたった100円で買えるんですよ。お金ってそんなに必要なんでしょうかね。

株式投資家界隈では「億り人」となる言葉があることをブログを始めてから知りました。金融資産1億円を到達した人のことを指す言葉だと思います。確かに1億円というのは憧れます。「億」という単位を使えるのは一部の富裕層だけってイメージがあります。1億円も資産を持っていればいわゆるお金持ちと呼ばれる層に入るんじゃないかと思います。

私も億り人になれるなら当然なりたいです。カネは欲しいです。素直に欲しいと思います。くれるならいくらでも欲しいですw。

でも、お金を稼ぐにも貯めるにもそれなりの努力や自己犠牲を強いられるのが普通です。宝くじでも当たらない限りは。節約、投資、副業、出世、起業など色々と億り人になるための手段は考えられますが、果たして努力してまで1億円もの財産を築く意味があるのかな~と改めて考えさせられました。

ちなみに、1億円あればルマンド100万袋(1300万本)買えます。

高額な商品をどこまで求めるかって各個人で当然違います。フェラーリやランボルギーニを乗り回して、麻布十番の高級邸宅に住みたければ1億円じゃ全く足りません。プライベートジェットを自由に使うには上場企業のCEOになっても足りないでしょう。

何に幸せを感じるかは人それぞれなので何とも言えませんが、普段はなに不自由なく普通に生活できて、たまにちょっと海外旅行などのプチ贅沢を挟んでいく程度でいいなら、1億円もの金融資産を無理に積み上げる必要なんて全くないと思います。

お金はそりゃたくさんあればいいに越したことはないですけど、あくまで生活していくための手段に過ぎません。お金を持っていることで安心感や優越感が生まれることはありますが、それでもお金を持っているだけでは意味はないです。最終的に消費して自分や家族の人生を色鮮やかに豊かにすることが、お金を稼ぐ目的のはずです。

流動性の高い世の中になってきているので自分の生涯収入なんて予測不可能です。ですが、自分が望む生活を実現するのに必要なだけのお金を稼げればいいというスタンスでいられるのが理想的なんだろうなって思います。そんな厳密に計算できないとしても。ざっくりでもいいから、自分がどれほどの贅沢を求めているのか、それを叶えるにはどれくらいのお金が必要なのかを考えておけるといいのかなと思います。。

金がたくさんあればその分贅沢するわ!って思うでしょうが、まあそりゃそうなんですが、お金→生活スタイルという発想ではなく、生活スタイル→お金の方が健全な発想だと思いますよ。

自分の人生観・価値観という言葉はフワッとした曖昧な言葉ですが、なるべく自分の価値観を実際の生活スタイルに落とし込んでいくことが大切なのかもしれません。

40歳までに福岡に移住して並の家に賃貸で住む。車は不要。ネットビジネスの収入と株式の配当金で生活できれば理想。必要であればサラリーマンをするけどそんなにバリバリは働かない。食事はテキトーに市内のお店で美味しいもの食べたり、自炊する。昼からゆっくりスタバで本でも読みつつ、気が向いたらネットビジネスの発展に時間を割く。たまにはふらっと国内旅行でもしようかな。素敵な伴侶がいればなお良し。

たとえばこんな感じで、自分が望む生活を具体的にイメージすることも時には大切かな~と思います。この生活を実現するために、どのくらいのお金が必要か逆算で考えるということ。

 

自分の価値観を大切にして生活するって実はとても難しいことだと思います。人は社会的な生き物ですから、周りからの評判や評価は常に気にしてしまうものです。これだけSNSが普及している時代ですし。

大企業サラリーマン辞めて生活コストの低い田舎でのんびり暮らしたいと思って、今すぐにでもそれを実現できる経済的基盤があるとしても、だからってそれをすぐに実行に移せる人は少ないと思います。

それは途中でやっぱり都会に戻りたいと思っても簡単には復職できないかもという不安が先ずありますが、一番大きいのは家族や友人からの目線じゃないでしょうか。「せっかく入社した大企業を退職して、あいつは何を考えているんだ?」ってきっと思われるでしょう。親は失望するかもしれません。

もし独身ならサラリーマンを辞めて給与所得が無くなれば、結婚のハードルが上がると思います。給与所得が無くなれば、以前より女性にモテなくなること必死でしょう。それは男にとって重大問題です。少なくとも、私にとっては重大問題です。

こういう知り合いや家族からの目線、女性からの目線を気にしてしまい行動が抑制されるのは仕方ないと思います。人間ってそういうもんですから。社会からの評価を全く気にせず我を貫き通せる人は稀だと思います。逆にそこを気にせず我が道を行ける人は大きなアドバンテージがあると思います。

 

結局トレード・オフですね。あっちも取ってこっちも取っては無理だということです。
・理想とする生活スタイル(働き方含む)
・お金
・周りからの目線、社会的評価、モテ

この3つをどううまく折り合いつけて自分なりに納得のいく人生を送るかってことでしょうか。

現代のありがたいところは、きちんと働いて最低限のマネーの勉強をしていれば「お金」がネックになることは少ないということです。もちろん「理想とする生活スタイル」の水準が高ければ相応のお金も必要でしょうけどね。

でも今はブルボンのルマンドが100円で買える時代ですよ。
お金って本当にそんなに必要なんでしょうか?

落ち着いた雰囲気の良いお店でディナーしても1万円程あれば食べれます。所詮1万円です。別に毎日行くわけでもないでしょう。

ご年配の役者さんなどがテレビで昔の貧乏エピソードを語っているのを聞くと驚きます。台所の水を使って、玄関でシャワーを浴びていたという話を聞いたことがあります。玄関ですよ。途中でお隣さんとかが来ると困ったらしいです。

現代って大学生が貧乏生活していると言っても、このレベルの生活をしている人はいないでしょう。親からの仕送りが過去最低を記録したと報道されていましたが、それでもスマホを持っていて家には薄型テレビがあるのが現代の大学生です。これは本当に貧乏と言えるのでしょうか・・。

私だって社会人になるまで貧乏だったとたまに言っていますが、さすがにシャワーを浴びれないほどの環境ではなかったです。一応、1日3食食べれていました。

結局貧乏かどうか感じるのも、周りとの比較によってです。今の貧乏学生はフランス絶対王政時代の貴族よりも生活水準は圧倒的に高いわけです。それは社会の生産能力が上がって富が蓄積されてきたからです。

貧乏だと感じるのは、お金の問題というより周囲との比較や周囲からの目線という要素が大きいと思います。

でも、その社会からの評価や目線というのも馬鹿にできないものです。人間そういう周りの評価は常に気にするもんだし、誰にだって承認欲求はあるものです。承認欲求を無視するのではなく、自分には社会からの承認欲求があることを素直に認めたうえで、それをどこまで捨てれるのかを考えるべきなのかなと思います。

一度の人生だから後悔なく自分の価値観に沿って生きたい、でも一度の人生だからこそ大きな失敗はしたくないというジレンマ。バランスを取りながら歩を進めるのか、不要なものをがさっと捨てて自分の望むライフスタイルを実現させるのか。捨てるって難しいなと思います。

 - 雑談