数カ月前の話ですが、佐藤健と上白石萌音が主演のドラマ『恋はつづくよどこまでも』を観る機会がありました。全く興味なかったけど、とりあえず一話だけ。

ドラマってそういうものではありますが、あまりの非現実世界に呆然としました。ツンデレキャラの佐藤健のあま~い言葉に見てるこっちが恥ずかしくなる感じ。「とりあえず抱きしめさせろ」とか、、佐藤健だから様になるけど、とても一般男子が言えたもんじゃないっす。

「これは世間ではあまり人気ないんだろうなあ。ちょっと現実離れし過ぎやろー。こんな恋愛あるかいな」っていうのが一話見終わった後の感想でした。

しかし、後で知ったんですが、『恋つづ』は凄い人気だったんですね。視聴率も回を重ねる毎に上がっていたとかで。

へ~、いま世の中の需要があるのはこういう恋愛コンテンツなのか~と、俺にはわからんなあ、共感できないなあと思ったのを覚えています。

ただ、ああいう女子がキュンキュンする理想の「恋愛」を、ドラマという仮想世界の中で疑似体験するのはコストもかからないし、なんかそこに需要がある理由も何となくわかるなあと思いました。あれが現実になるなんて思ってる女性はいないと思うんですよ。佐藤健みたいなイケメンに後ろから抱きしめられる、そんな世界線は現実にはない。

最近の若い人は現実的な人が多いからこそ、幻想の「恋愛」はドラマというコンテンツの中だけで楽しみたいと思うのかなと。

主題歌を歌う髭男は『I love…』や『Pretender』がめっちゃ売れましたが、あれもラブソングですね。よくあんな歌詞書けるなあって思います。歌声も綺麗だし。私は超音痴なので歌が上手い人が羨ましいです。

ドラマにしろ歌にしろ恋愛系というのは非常にニーズが高い。最近、再放送された松嶋菜々子主演の『やまとなでしこ』もそうですよね。最初に放送されたのは私が中学2年の時だったと思います。なんかはっきり覚えています。主題歌の『Every thing』(MISIA)がちょっと流行ったんですよ。なぜか部活の男子の中で。

CD持ってる人はイケてるみたいな風潮がありました。ストリーミング全盛の今では考えられないですね。私もなけなしのお小遣いで買った記憶があります。ちなみに、初めて買ったCDはポルノグラフィティの『サウダージ』でした。

ちょっと話が逸れましたが、恋愛系のドラマや曲の人気が高いのは、現実世界ではそんなあま~い「恋愛」なんかないからだと思うんです。一部の恵まれた人はドラマのような恋を経験できるのかもしれないけど、大半の人にとっては無縁なんじゃないでしょうか。言うまでもなく、私も無縁です。

男女付き合いって究極的なことを言うと繁殖なわけで、恋愛という言葉がその本質を曖昧にさせていると思います。遺伝子の生存競争です。資本主義社会での企業間競争と同じ、いやそれ以上の競争社会です。

女は資源(≒金)をたくさん持っている男がいいと本能的に思うし、男は繫殖力の高い若くて綺麗な女を求めます。

マッチングアプリで「やりもくお断り!」とかプロフィールにわざわざ書いてる人を見かけましたけど、もてないだろうなって思いますね。男は本質的にやりもくなところありますよ。最初は大なり小なりやりもくだけど、付き合っていく中で情も湧いて自然な関係になっていくもんじゃないでしょうか。

そもそも「やりたい」と思える女性じゃないと頑張って資源を投じて口説く気にならないし。それを「やりもく最低」と言われるのはすごい違和感というか心外です。やることやって即音信不通とかはさすがに不誠実だとは思いますが。

あ、どうでもいい話ですが、私は以前マッチングアプリを使ってました。なので結構詳しいです。

男側も金目的の女は最低だと思いがちですが、確かにあからさまに金銭条件を突き抜けられるのは嫌なもんですが、まあそれくらい普通のことだと認識してた方がいいのかなと思います。なぜなら、男女関係は「恋愛」という美しい物語ではなく、その本質は遺伝子の生存競争だからです。ドロドロしてるもんじゃないでしょうか。

『恋つづ』を見てキュンキュンな気分になっておきながら、その1時間後にはマッチングアプリで「年収600万円以上、30代、身長175cm以上、正社員」とかでソートして男を探してるんですよ。それはいたって純な心だと思います。

『恋つづ』よりもマッチングアプリの方が現実の恋愛なわけです。なんか恋愛という単語自体があんま好きじゃないですね。なんか甘ったるい印象があります。これもマーケティングの一種かな。別にどうでもいいけど。「恋愛」なんてしたことないし、したいとも思わないです(僻み)。