先日読んだ『サイコロジー・オブ・マネー』という本にこんなことが書いてありました。

「目的のない貯金こそ素晴らしいものだ。貯金があることで、好きな時に好きなだけ働く自由を得ることできる。貯金があることで、好きな時に好きな人と時間を過ごすことができる。」

原文のままではないないですが、こんな感じのことが書いてありました。

貯金があることの一番のメリットが自由を手に入れること、というのは非常に共感できます。

ただ、個人的に感じていることは、どれだけ資産を蓄えても時間の自由を手に入れるのは難しいなあということです。難しいというか、お金が問題じゃないという感じでしょうか。

時間の自由を手に入れるためにほぼ間違いなく必要なことは、働き方を変えることです。週5フルで働く正社員を辞めて、緩くパート勤務をするとか、もっと言うとリタイヤとか、そういうことです。

時間ほど平等なものはありません。誰しも時間は1日24時間と決まっています。

シンプルに考えると、時間の自由を得るには仕事を辞める必要があります。就業規則で1日8時間の労働が確定している勤め人の世界から脱しない状態で、「時間の自由を手に入れた!」と感じることは難しいです。

1億、2億円とお金があれば辞表を出すことができるのか?

年齢や家族構成にもよりますが、1億円あれば余裕で退職できるでしょう。別に一生仕事をしないと決める必要はないわけですし。

でも、実際にそれを決断するのは難しいです。これまで蓄財に励んできた人ほど、軽々しくリタイヤできないものではないでしょうか。

なぜかというと、お金が減ることに抵抗があるからです。

仕事をやめたり、仕事量を減らしたりすれば、当然収入が減ります。これまでと同じ生活水準を維持するには、多少なりも貯蓄を取り崩す必要があります。自分でビジネスやって成功でもしない限り。

それは仕方ないことです。それができるくらい十分な金融資産があるからこそ離職して、時間の自由を買うわけですから。

でも、コツコツお金を増やしてきた人ほど、自由を得るためとは言え資産が減ることを許せないもんだと思います。

少なくとも私はそうですかね。

給料2割減って週休3日にしていいと言われても、それに応じることはないと思います。まず収入が減ること自体がすっごくすっごく嫌です。給料2割も減ったら投資のペースが落ちるし、最悪、貯蓄が前年より減るかもしれない。

つまり、時間よりもお金の方が優先度が高いということです。

それは価値観の問題、人それぞれとも言えますが、一般的にお金が増えれば増えるほどお金に執着しがちではないかと感じます。資産が増えれば増えるほど、資産が減ることを許せなくなる。

お金で時間の自由って意外と買えないなあと思います。お金どうこうよりも、めちゃくちゃ仕事が嫌いとか、時間を作ってどうしてもやりたいことがあるとか、そういう強いモチベーションがないと単に「時間の自由が欲しい」くらいでは、お金で時間を買う気にはなれないと思います。

それはつまり、実はそれほど自由な時間を欲していないという潜在意識があるからということですかね。まあ、ぶっちゃけ仕事しなかったら暇すぎて何すればいいかわからなくなりそうです。ずっとゲームしたいとも思わないし。

貯金があることで買えるのは精神の自由です。仮に仕事を辞めても2、3年は不自由なく生活できると思えば、心に余裕が生まれます。それを実際に行動に移すわけではなくても、心にゆとりがある状態で日々を過ごすことができます。

この精神面での自由こそ価値があるものかなと私は思います。ちょっと汚い言葉ですみませんが、”Fuck-you money”という言葉がありますね。あれに近い感覚です。

実際に”Fuck you”と辞表を叩きつけるわけではありませんが、”Fuck you”と上司に言ってしまえる経済状況、そこから生まれる余裕感に価値を見出します。