価値と使用価値

マルクスは『資本論』の中で、商品には価値と使用価値という二つの側面があると言いました。

「価値」とはその商品を作るためにかかったコスト、労働力です。会計的に言えば原価です。

「使用価値」とは顧客がその商品を使うことで得られる便益、メリットです。これは基本的に売値と近似します。

あなたがお昼に800円払って唐揚げ定食を注文するのはなぜですか?

唐揚げとサラダと白米とみそ汁で腹を満たすのに800円の価値があると感じているからですよね。その800円はあなたにとっての唐揚げ定食の「使用価値」です。唐揚げ定食の原価はいくらか知りませんが、仮に300円としたらそれが「価値」です。差額の500円が利益です。

「価値」は低いけど「使用価値」は高い商品を作って売ると儲かります。たこ焼きなどの粉モノは儲かると言われますね。小麦粉の原価つまり「価値」が低いからです。

「価値」は低いけどそれなりに美味しく腹を満たせるたこ焼きには、下手したら唐揚げ定食に匹敵するくらいの「使用価値」があります。銀だことか結構高いですよね。私は本場大阪のふわっとしたたこ焼きよりも、カリッとした銀だこのたこ焼きの方が好みです。

「使用価値」と値段は基本的に連動します。「使用価値」が上がれば値段も高くなる。パナソニックのノートPC「レッツノート」は軽くて丈夫で高性能ですが、値段は高いです。20万円はします。

しかし、世の中には「使用価値」と値段が連動しないものもあります。

「使用価値」はすごく高いのに値段は安いと感じるものってありませんか? 「こんな安い値段でいいの?」って思うものってありませんか?

私は水道水にそれを感じます。たった月2~3千円程度で、蛇口を捻れば綺麗な水がいつでも出てきます。

水って凄くないですか。アイス食べてて手に付いたら、ちょっと水で洗い流せば取れます。無味無臭。衛生的にも生活の上でも水は欠かせません。日本の水道水は料理に使っても問題ないですよね。冷やしてそのまま飲んでも健康に問題はないでしょう。

日本の水道水は「使用価値」と値段のバランスが良い意味で崩れていると思います。「使用価値」>値段です。月1万円でもいいくらい。それくらい無くてはならないものです。

あとちょっと屁理屈かもしれませんが、水以上に「使用価値」と値段が釣り合っていないと思うのが空気です。空気はタダですね。私たちは空気がないと数分と生きれないです。そんな貴重なものを無料で毎日吸っています。

エアコンで空気を冷やしたり暖めたりするのはお金がかかるけど、空気そのものはゼロ円です。なぜなら、空気は自然界に存在するもので、その生成に人間の労働力が投入されていないからです。エアコンを作るのは当然コストがかかります。

実用価値のない婚約指輪の値段が高い理由

逆に一見「使用価値」がほとんどないように見えるのに、値段は超高い商品もあります。

その筆頭が婚約指輪です。給料の3ヵ月分とか言われていた時代もあったんでしたっけ。ティファニー、カルティエ、スタージュエリー、4℃、ダイヤモンドシライシあたりが有名なブランドでしょうか。

神々しく光り輝く「石」がリングに乗っているだけのあれが、数十万円もします。ピンキリですが安くて20万円、高いものはいくらでしょうか、1千万円くらいするのもあるんでしょうか。ハリーウィンストンとかそれくらいするんかな。知らんけど。

とにかく高い。「使用価値」は限りなくゼロに近いのに。いや、「使用価値」とは主観的な概念で絶対の数字はないから、あくまで私にとっての「使用価値」という意味ですが。

コツコツ節約して株を買ってきた身としては、「使用価値」を感じないものにお金は1円たりとも使いたくないという思いがあります。ドラム式洗濯機に30万円使うのは構わないけど、指輪に30万円とかちょっと、、って思います。

なんですがね、そもそも婚約指輪は「使用価値」がゼロだからこそ意味があるんです。逆説的ですが。

『進化心理学から考えるホモサピエンス』という本にこんなことが書いてあります。

よい父親になるには二つの資質が必要だ。まず資源を手に入れ、蓄積する能力。そしてそれを妻子に与える気前のよさだ。

投資する能力があり、かつまた投資をする意思があることを確かめるには、高価な贈り物を要求すればいい。資源を得る能力があり、資源を与える意思のある男だけが、進化生物学で「求愛の貢ぎ物」と呼ばれる高価なプレゼントをするはずだ。

その場合、プレゼントはどんなものでもいいのだろうか。メルセデスベンツでも、郊外の一軒家でもいい?

いや、車や家ではだめだ。

(中略)

父親タイプと女たらしを見分けるための求愛の貢ぎ物は、高価であって、なおかつ実用的な価値のないものではなければならない。

『進化心理学から考えるホモサピエンス』より抜粋

ちょっと長めの引用ですみません。最後の一文に注目です。最愛の女性への求愛(=資源を提供し続ける覚悟)は、高価だけど「使用価値」がないもので示さないとダメなんです。だからダイヤモンドは最適というわけです。

なぜ実用的な価値がないものを貢ぐ必要があるのか?

それは男の覚悟を試すためです。車を買ってあげても、それを一緒に使うのであれば自分へのプレゼント的な意味もあります。それじゃダメ。「使用価値」がない高価な物を買わせることで、浮気をせず自分だけに資源を与えてくれる意思があるのか確認することができます。

手付金みたいなもんでしょうか。指輪そのものというより、とにかく高額なお金を払わせることに意味があるということです。

長く付き合ってゴールインするカップルほど、高級ホテルとかでロマンティックにプロポーズして高価な婚約指輪を渡しているイメージがあります。でも、5年10年も同じ時間を共有してきた深い関係なら、婚約指輪という名の「取引継続保証金」は必要ないのかもしれません。

逆に、お見合いや結婚相談所とかで出会って比較的短期間のお付き合いで結婚に至る場合は、男はそれなりの値段のする指輪を買って渡した方がいいのかも。その方が女性は安心するでしょう、きっと。付き合いが短い方が「この人は本当に自分だけに資源を与えてくれるのだろうか?」という不安が相対的に大きいはずなので。

とこのように考えると、高価な婚約指輪にも「使用価値」を感じられる、、かもしれません。「使用価値」がないことが「使用価値」というわけで。ま、相手が喜んでくれることが一番ですけどね、結局は。