残業は労働者にとってお得な制度

残業代という仕組みは欧米にはないと聞きます。実際に欧米子会社に赴任している人は年俸制だと言っていました。

日本は時間外労働には残業代を支給することが法律で義務付けられています。きちんと出さない会社も多々あるとは思いますが。監査法人ではリーマンショックの時は決算繁忙期以外は残業代出なかったですね。

もしあなたがきちんと残業代がしっかり出る優しい企業に在籍しているなら、時間をコントロールしてほどほど残業するのは、結構筋の良い戦略だと私は思います。

労働者の給料は基本的にあまり残らないように設定されています。

最近、結婚しまして扶養などの手当が増額されたのですが、恐らくこの昇給分は手元に残らない可能性が高いです。将来子どもができればとても手当ではカバーできないくらい出費が増えるからです。教育費など。一人育てるのにざっくり2千万円でしたっけ。

給料は仕事の成果に連動する面もありますが、それよりは標準生活費に連動します。年功賃金もその一環です。年が上がるほど家族を持っている可能性が高く、生活費も上がるから給料も上げるということ。

最低限の生活費、娯楽費だけを支給してなるべく貯金はさせず、明日も真面目に仕事をせざるを得ない状況を作り出した方が資本家にとってメリットがあります。そうやって労働者は原価で買い叩かれます。

残業代という制度はそのルールから外れます。残業しても生活費が増えることはありません。夜遅くまで働いて体力消耗したからといって、夕飯が2倍必要にはなりません。むしろ疲れて食欲減るくらいです。趣味の時間もなくなって出費はさらに減ります。

残業代は労働力の再生産とは無関係に支給されるので、手元に残りやすいです。50時間残業して10万円支給されたら、その10万円は貯蓄できます。

労働者が金を貯めて資本家クラスに移行する上で残業代は非常に役立ちます。そういう制度はフルに活用した方がいいというのが私の意見です。

もともと労働者の給料なんて働きに応じてもらえるものでもないんです。仕事で成果を出している人よりも、結婚して手当をもらったり、たくさん残業したりする人の方が給料が多いことは往々にしてあります。

給料が成果に見合ってないことに不満を言ってもしゃーないです。これがこの社会の労働者世界のルールだと理解して、うまく立ち振る舞った方が得策だと思います。

残業は最近高校サッカーで話題になったロングスローみたいなもんですね。批判してる人もいるみたいですが、ロングスローってルール違反でも何でもないです。ルールの範囲内で試合に勝つためにやれることをやっているだけ。それにしても決勝の青森山田と山梨学院は素晴らしい試合でした。

リボ払いの存在価値はない

ちょっと話変わるんですがリボ払いってあるじゃないですか。

あれって存在価値ないですよね。自分が不要と感じる商品、サービスでもそれが世の中に存在するということは事業性があるということで、つまり誰かに必要とされているということになります。この世に虚業なんてありません。

が、リボ払いビジネスだけは虚業じゃないでしょうか。誰が20%近い金利で借金して買い物したいと思うでしょうか。

あれはリボ払いが何ぞやということを理解していない情報弱者から金を合法的に吸い上げているだけです。ただのマネーゲーム。

リボ払いビジネスも法律違反ではないからOKとなるんですね。ちょっとした金利計算さえできれば自衛できますが、それすらできない人が世の中には多くいるということでしょう。

ビジネスをやるのでなければ利息を払う側には絶対になってはいけません。せいぜい低利の奨学金くらいにした方がいいです。この低金利時代に、日常的に20%もの利息を払っていたら経済的にはほぼ間違いなく這い上がれません。

むしろ利息はもらう側にならないと。リボ払いでボロ儲けしている会社ってどこだろう、そこの会社の株を買ってやろうか。これくらいの発想を持てるといいですね。

資本主義ゲームの難易度はEasy

サッカーってめちゃくちゃ厳しい世界でプロになって数千万円の年俸取れるのは同世代から数名です。そこから、リーガなど海外の一流リーグで活躍して億単位稼げる人なんて数えるほどしかいません。

意識しているかどうかは別にして、私たちはみな資本主義ゲームに参加しています。ここは厳しいように見えて優しいイージーな世界だと思います。

なぜなら、厳しい鍛錬をせずともただルールを理解して、合理的に振る舞うだけで上位3割には食い込めるからです。3割という数字は適当な感覚ですが。

ルールを知っているだけで試合に勝てるなんてサッカーなどのスポーツではあり得ないことです。そもそも資本主義「ゲーム」に参加しているという自覚がないから、ルールを学ぼうという意識が生まれないのかもしれません。

学校を卒業するといきなり「ゲーム」に参加させられ、右も左も分からない中、がむしゃらに働くことを求められます。学校では頑張り抜くことは学べても、肝心な「ゲーム」のルールは全く教わりません。

「ゲーム」を一時中断してみて、取り扱い説明書を読んでみるとプレイの仕方が変わるかもしれません。急がば回れという言葉もあります。