企業がお金を使うか使わないかの判断基準は明確で簡単です。利益を生むか否かです。もっと言えば、リスク調整後で資本コストを上回る追加リターンをもたらすか否かです。

YESなら支出するし、NOなら資金は内部留保、株主還元、あるいは負債返済といった選択になります。

企業の存在目的はステークホルダーの利益(株主の利益と言いたいところだが空気を読んで・・)を最大化することです。突き詰めれば株式時価総額をいかに大きくするかということですね。

一方で、個人や家計がお金を使う目的は経済利益の追求ではありません。

エアコンを省エネモデルに買い替えることで、電気代を月2000円節約できる。よってエアコン本体代金20万円の投資は8年で回収でき・・みたいな購入判断もあるはありますが、限定的ですよね。

そういった経済計算は個人、家計はあまりしません。それよりも、物やサービスを買うことでいかに満足度を得られるかに関心があります。満足度、幸福度、効用など色んな表現がありますが、要は本人が買ってよかったと思うどうかです。

企業はコストに対して十分な金銭リターンがあるかどうかが支出の判断基準。個人はコストに対して十分な満足度を得られるかどうかが支出の判断基準になります。

なんてことを敢えて考えてみると、個人にとっての幸せになるお金の使い方って難しいなあと思います。

そんな話、雑談です。

目に見えない満足度の過小評価

満足度や効用は数字で表現できないのが難点です。

一杯千円のコーヒーを銀座のカフェで頂いたことがあります。落ち着いた空間でゆっくりできたけど、特段コーヒーが美味しいとは感じなかったです(私の味覚の問題です)。

奥さん(当時の彼女)の分を含めると2千円の出費になったわけですが、ドトールやスタバでは味わえない特別な体験だったと言えばカッコイイですが、もう一度行きたいとは正直思わないです。実際、それ以来一度もそういうお高いカフェには行ってません。

ということは、私にとってはコーヒーと大人な空間に千円(二人で2千円)を支払っても、コストに見合う満足度は得られなかったということでしょう。

じゃあ、その満足度を数字で評価するとどうなの?と聞かれてわからないです。500円以上の価値はあったと思います。800円くらいか。わからんけど、1000円は高いと感じました。

とこんな感じに、満足度や効用は主観的な感情の問題なので数字で評価するのは不可能です。一方で、出ていくお金ははっきりと数字で見えます。

それがコストを過大評価し、得られる効用を過小評価してしまうのではと思う時があります。

先ほどの例では満足度が低かった例を出しましたが、逆に、今まで高いなあと思って敬遠していたけど、いざ買ってみたら想像以上に満足だったということって結構ありませんか?

ちょっと奮発して5千円~1万円クラスのランチに行くと、コスト以上の満足度を感じることが多いです。

食べログとかで調べている時は「ランチで一人6千円はもったいなくないか~」とやや渋ってしまうのですが、いざ行ってみるとホスピタリティ抜群で、ゆっくり1時間半くらいかけて落ち着いて食事ができて、ああ6千円の価値はあったなあと感じることが多いです。

とは言え、せいぜい3ヶ月~半年に一度くらいの贅沢ですが。

コストは目に見えて確実に口座残高を減少させますが、満足度は目に見えないし、何より不確実です。だから、お金を払って得られる効用の評価はどうしても慎重になってしまいます。

実際にお金を使ってみると良かった!となったとしても、検討段階では本当に価格に見合う満足があるのか疑ってしまいがちです。

コストは共通の話題になりやすい

都内で車を持つ必要はないという意見が多いです。私もそっちの派閥です。

電車で色んな場所に移動できるし、もし車が必要になればレンタカーやカーシェアを使えばいい。都心は駐車場代がバカ高いし、数年保有するだけで維持費が車両本体価格を超えてしまうこともある。経済性を考えれば車を持つのは非合理。

こういう主張ですね。同感です。

ただ、この意見はあくまで車を移動手段として捉えた場合です。

車の価値を移動手段だけとは捉えない人もいます。

成功の証、優越感、所有欲が満たされる。車をいじるのが好き。運転が好き。車そのものが好き。好きな車を所有しているだけで幸福感が増すという人も知っています。

特に都心住まいで車を持っている人なんて、車=移動手段という価値観の人はほぼいないのではと思います。そうでもなければ、あんだけポルシェやベンツが走っている説明が付きません。

要は価値観は人それぞれ違うという当然のことを言っているだけです。

クルマ非所有論者は車の価値を移動手段としか捉えていないわけで、クルマ好きな人とそもそも議論にすらなりません。両者では車を購入することで得られる満足度、効用がまるで違うからです。

リターンが違えば、それを得るために支払ってもよいコストも当然に異なります。

変動費であるガソリン代を除けば、誰が買っても車を買って維持するコストに大きな差は出ません。満足度は人それぞれで主観的なものだけど、コストは万人に共通な客観的なものです。

これが議論をコスト側に集中させます

ネットニュースとかで、「車を持つとこんだけ金がかかるぞー!」と言っているのはよく見ますが、「車を持つとこんな満足が得られるぞー!」というのはほとんど聞きません。

これは報道にバイアスがかかっているというよりは、満足度は人それぞれ異なるので万人向けのコンテンツにしづらいからです。

車が金食い虫なのは事実ではありますが、そのコスト側のことばかりが話題に上がれば若者の車離れも当然の帰結です。

お金を使うのは難しい

お金は稼ぐより使う方が難しい、とは言い得て妙だと思います。

資産が減るのが嫌でついつい溜め込んでしまうという意味でも言われますが、それよりも自分にとって本当に満足度が得られるモノ、サービスが何か自分でもわからない、そしてコスト側ばかりに気を取られるところが、お金の使い方を難しくする一番の理由だと思います。

新築マンションを買ったのですが、予算の都合で低階層(2階)です。採光は最低限ありますが、眺望価値はゼロです。道路を挟んで建物が見えるだけ。景色もクソもないです。

予算的に限界だったのもありますが、奥さんが「眺望は全く気にしない」と言ってくれたことが背中を押してくれました。

同じマンション、間取りで2階で7千万円、10階で8千万円。これくらいの価格差は普通にあります。毎月の支払額で2~3万円変わってきます。

眺望に1000万円の価値があるか?

私も妻もわからないです。

妻は一戸建てで育ち、一人暮らし時代は2階建てのアパートの2階に住んでいました。私の実家は9階建てマンションの1階。一人暮らし時代に最高で5階に住んだことはありますが、目の前が建物で眺望価値はなかったです。

つまり、私も妻も「眺めのいいマンションで暮らすことで得られる満足感」を知らないのです。

だから、眺望に1000万円を支払う価値があるかどうかの判断が付きません。どっちにしろ10階は予算的に無理でしたが、仮にローンがもっと降りたとしたら、2階7千万円か10階8千万円かどっちを買うことが私たちのコスト対効用を上げてくれたのでしょうか。

こういうのは一度経験しないとわかりませんね。

1杯千円のコーヒー、6千円のランチならえいやで買うこともできますが、数千万円のマンションとなるとそういうわけにもいきません。

10~15年後にマンション買替えを計画していますが、その時はできれば20階くらいの高階層を選んでみたいです! タワマン住んでみたいー!!

家計の経営資源をどこにどれだけ配分すべきか?

企業経営よりも遥かに難しい問題だと思います。