テレビのバラエティー番組で、とある芸人が自分の妻を鬼嫁としてネタにしてました。まあよくあるネタですかね。「鬼嫁の妻から毎日こんな酷い仕打ちを受けてます~(涙)」と言って笑いを取るコーナーです。

本当に鬼嫁なのかどうかは置いておくとして、その鬼嫁から芸人の旦那に対するお手紙が紹介されていたのですが、それが面白かったです。

私のことをどれだけ鬼嫁と呼ぼうが私は全く構いません。それをネタにして旦那がテレビに出演できて、家にきちんとお金を入れてくれるなら、鬼嫁だろうが何だろうがどうでもいいです。

鬼嫁(芸人の奥さん)からの手紙より

やっぱ女性は現実的ですよね。特に結婚すると。直感ですけど、この手紙はテレビ用じゃなくって、芸人の奥さん(鬼嫁)の本音だと思いました。お金を頂けるのであれば、鬼嫁と呼ばれるくらいなんてことないってことですね。

プライドが高ければ高いほど、お金って稼げないと思います。余計な高いプライドなんて捨てて、社会から求められていることを真摯にこなす人がお金を稼げる人だと思います。

教授のポストを求めて日々研究に没頭しているけど、非常勤講師などで金銭的に貧しい人がいるとニュースで見ることがあります。どういう人生を歩むかは人それぞれ。プライドを捨てずに理想を追求するのか。それともどこかでプライドを捨て理想を諦めて、自分の能力でやれることを探して社会の居場所を見つけるのか。

僕は今はもうプライドなんてほとんどないですが、実は若い頃は結構プライド高かったです、恥ずかしながら。監査法人の同期で自分が最年少合格者。自分は優秀だと思っていた。でも、実際はペーパーテストが得意なだけのただの世間知らずの若者。

当時どれくらい自分が勘違いしてたかというと、監査10年目のシニアマネージャーよりも自分の会計判断の方が正しいと信じていたくらいの勘違い野郎でした。もちろん新米の意見が正しいわけがない。

僕は監査法人を数年で辞めたんですが、人間関係が原因でした。その悪い人間関係の原因はすべて自分。今の自分が当時の自分に会ったら、ホント殴りたくなるくらいイライラすると思います。

色々反省することは多かったです。先ず自分は優秀だという勘違いは完全に消えました。あと仕事は一人でするんじゃなくて、チームで協力してやるものという当然のことを理解しました。それと、変なプライドは消えた。プライドとかホンマ余計でしかないね。謙虚な気持ちで、自分がやれることをやる。自己満じゃなくって他者利益を考える。

厳しい社会の洗礼を浴びてプライドを放り捨ててからは、比較的人生は楽になった気がします。仕事も人間関係も上手くいくようになった気がします。