架空の話

架空の話です。あなたは1万円札を年間1000枚、つまり1000万円を刷ってくれる秘密の機械を持っているとします。本物と見分けがつかない精巧な紙幣を刷ることができます。
※通貨偽造は犯罪です。あくまで架空の話。

1日に平均3枚の1万円札を刷ってくれるのですが、そのためには機械のマニュアル操作が毎日1時間ほど必要です。でもそんなの軽いもんです。1時間作業するだけで3万円が手に入るんだから。時給3万円!

こんな機械持っていたら働く必要なんてない(1日1時間の作業を除けば)。毎日悠々自適に好きなことして過ごせます。満員電車で会社に行って嫌な上司の顔を見る必要もない。

紙幣を刷りながらゆったり暮らしていたところ、親友Rから突然こんな連絡がありました。Rは唯一このマネー・マシンの存在を明かしている人です。

R「どうだい。生活は最高かw?」

あなた「最高だよ。仕事せずに年収1000万円だぜ。毎日美味い飯と酒を楽しんでるよ。ガハハハッ!」

R「ハハハ、いいな。ところで今日はお前に提案があるんだ。」

あなた「提案? なんだよ急に。」

R「その機械、俺に譲ってくれないか?」

あなた「はあ、嫌に決まってんだろ! 酒くらいいつでも奢ってやるから、それで勘弁してくれ。くれぐれも他言は禁止だぞ。」

R「もちろんタダでくれとは言わない。5000万円払う。どうだ、悪い話じゃないだろ?」

あなた「5000万円。んな金あるのか?」

R「ある。今すぐにお前の口座に5000万円を振り込む準備がある。どうだ?」

あなた「うーん・・・」

R「紙幣を刷るのは完全自動じゃないだろ。1日1時間も作業が必要なんだろ。そんな作業せずとも、即金で5000万円貰えるんだ。良い話だと思わないか。」

あなた「そうだな~。5000万円手に入るなら譲ってもいいかな~。いや、やっぱ嫌だな~。」

R「まあ、今すぐに回答しろとは言わないよ。1週間後にまた連絡する。それまでに考えといてくれ。よろしく。」

あなた「わ、わかった。」

あなたなら売りますか?

あなたなら、毎年1000万円のキャッシュを生み出す機械を5000万円で友人に譲り渡しますか?

どうやって判断すればいいのか。ファイナンスの基礎知識があれば考える軸を持てます。金融商品の価格とはそれが将来生み出すキャッシュフローの割引現在価値の合計です。ここで金融商品とは株や債券に限らず、キャッシュフローをもたらすあらゆるものを指します。紙幣を刷る機械も金融商品と捉えて問題ありません。

仮にこの機械が壊れることなく今後永久に毎年1000万円を生み出すなら、機械の時価はいくらになるでしょうか。答えは割引率次第です。計算過程は省略しますが、結果はこうなります。

割引率 時価
1% 10.0億円
2% 5.0億円
3% 3.3億円
4% 2.5億円
5% 2.0億円
6% 1.7億円
7% 1.4億円
8% 1.3億円
9% 1.1億円
10% 1.0億円

割引率を10%にしても1億円もの時価があるという結果になります。

では、割引率はいくらに設定するのが妥当でしょうか?

教科書的に言うと「割引率=実質金利+インフレ率+リスクプレミアム」です。実質金利は0%、インフレ率は2%としておきましょう。リスクプレミアムはどうでしょうか。ここをどう設定するかが鍵ですね。

株式のリスクは債券より高いです。なぜなら、債券は利息が確定していますが、企業の収益は不確実だからです。なので、投資家は株式に対して債券よりも高いリターンを求めます。10年債利回りと株式の期待リターンの差をリスクプレミアムと呼びます。

紙幣を生み出す機械にリスクはあるでしょうか。普通に運転できれば問題なく毎年安定して1000万円分の紙幣を刷ってくれます。そういう意味でリスクは低いです。でも、もしかしたら壊れるかもしれません。修理に出すわけにはいきません(犯罪だから)。途中で壊れるリスクを割引率に織り込むべきかな(将来キャッシュフローに織り込んでもいいけど)。

うーん、この辺は感覚になりますが、リスクプレミアムは2%とします。そうすると割引率は「0%(実質金利)+2%(期待インフレ率)+2%(リスクプレミアム)=4% 」となります。表を見ると割引率4%だと時価は2.5億円。わお、5千万円で売るなんて愚の骨頂ではないか。危ない危ない。

いや待て、一番大きなリスクを忘れていました。そう、通貨偽造は犯罪なんです。罪を犯して悠々自適な生活を送っているわけで、いつ警察にバレて逮捕されるかわかりません。もし捕まったら、無期または3年以上の懲役。機械を売っちまえば、そのリスクから解放されます。このリスクは何%と評価すべきだろうか。かなり大きなリスクです。服役なんて絶対に嫌だしな。うん、20%くらいはある。

逮捕リスク20%を加味すると割引率は24%に跳ね上がります。もはや最初の表にもありません。割引率を24%とすると、紙幣を刷る機械の時価は4千万円強にまで下がります。そう考えると、5千万円で売却できるのは悪い話ではないかもしれません。

売却するかしないかの判断は、リスクを(割引率を)どう評価するか次第です。リスクは主観的なもので絶対の答えはありません。あなた次第です。

実際にあった話

毎年1000万円の広告収入がある友人のLINE@アカウントを消去した業務妨害容疑で複数の少年が逮捕された、というニュースを見ました。

逮捕された少年らはこう話を持ち掛けたそうです。

「お前のアカウントを5000万円で買いたがっている人がいる。会わないか?」

この誘い話に乗ったところ拘束されて、無理矢理アカウントを消去されたそうです。動機は容疑者らの広告収入を増やすこと。容疑者らも多くのフォロワーを持つLINE@のアカウントを持っていたそうです。最大ライバルを潰して、自分達のパイを増やそうとしたのでしょう。

アカウントを消した容疑者が完全に悪いわけで、行為を擁護するつもりは一切ありません。ただ、毎年1000万円を生み出すアカウントを5000万円で売却する話に乗るのは、どういう判断だったのかなってニュースを見ながら思ってました。

紙幣を刷る機械の例で示した通り、将来キャッシュフロー見積もりや割引率次第では5000万円での売却も妥当でしょう。しかし、よほどシビアな計算をしない限り、5000万円は安過ぎるように感じます。まあLINE@のアカウントで広告収入を稼ぐビジネスの安定度とか理解してないんで、何とも言えませんけどね。来年には広告収入が半減してしまうリスクとかがあるなら、5000万円での売却も合理的かもしれませんし。

判断は人それぞれになりますが(リスク認識が人それぞれだから)、ファイナンスの知識があるとちゃんと数字で判断できます。将来キャッシュフローの割引現在価値の合計という金融商品の理論価値の計算方法というか概念は、投資に限らず日常生活や仕事でも役立つことがあります。転職の判断とか。知っておいて損はないです。

それにしても、現代的な犯罪だなあと思いました。高校生でも1000万円稼げる、そんな世の中になってるんですね。SNSって凄いですね。これが評価経済ってやつですか。