1971年に資本主義のルールは変わりました。

1971年、当時のアメリカ合衆国第37代大統領リチャード・ニクソンは金とドルの交換を停止しました。歴史の教科書などでニクソン・ショックと呼ばれる出来事です。

金とドルの交換を停止したことによって急激なインフレを引き起こし経済の金融化を助長した。元をたどればニクソン・ショックがリーマンショックの元凶だ。などという批判的な意見を目にすることがあります。

私はこのニクソン批判に否定的です。

ニクソン・ショックは必然の出来事だったと思います。金本位制には決定的な欠点があります。金本位制は持続不可能でした。

貨幣、通貨の本質って何でしょうか?
お金の価値って何でしょうか?

 

金本位制の欠点⇒金保有量という上限のせいで、必要十分なマネーが経済に供給されなくなる。

通貨とは経済の媒介役に過ぎません。経済は元はただの物々交換でした。物と物の交換ではどうしても需要と供給がマッチしないことがあるので、間に通貨を介在させようと考えました。

Aさんは肉と交換にジャケットが欲しいと思っていました。Bさんはちょうど夕食に肉を食べたいと思っていたけど、あいにく今は靴しか持っていませんでした。Aさんは靴ではなくジャケットが欲しい。Bさんは肉が欲しいのだけどAさんが求めているジャケットは持っていません。そこで、一旦は通貨で取引を決済することにしました。Bさんは通貨をAさんに渡すことで肉をゲットできました。

Aさんは通貨を使っていつかどこかでジャケットを手に入れたいと思っています。Aさんは通貨を使ってジャケットを手に入れないと、Bさんに肉を渡した意味がありません。通貨をそのまま持っていても何らメリットはありません。「俺はカネを持ってるぜ!」というただの安心感があるだけです。

その通貨が現代のお金です。
米ドルも日本円も経済の需要と供給を繋ぐ橋渡し役に過ぎません。

なぜ、橋渡し役に過ぎない通貨をかつては金と交換するようにしていたのか?

それは、人々に通貨に対する信用を持たせるためです。国が勝手に発行した通貨を本当に信用していいのか疑問に思うのが普通です。

ゴールドマン・サックスCEOのロイド・ブランクファイン氏はビットコインの価値についてこんなツイートをしていました。

ビットコインについては、まだ考え中だ。結論は出ていない。是認もしなければ、否定もしてない。ゴールドに代わるものとして紙幣が登場したとき、人々が最初は懐疑的だったことを思い出したい。

(参考外部サイト:Market Hack

私たちは子ども頃から、お金は価値あるもの、お金は大切にしなさい、お金を人様の前で見せないこと、などと教わってきました。でも、冷静に考えるとお金なんてただの紙切れです。原価20円程度のちょっと精巧な紙切れです。

経済のすべての参加者が「紙幣には価値がある」と信じるからこそ紙幣に価値が付与されます。紙幣にパワーが宿るのは人の信頼がある時だけです。紙幣が出来たばかりの頃は、国家がどれだけ「紙幣には国家の信用があるから安心して使ってください」と主張しても無理がありました。

だから、通貨の価値を有限な貴重資源である金で保証しようとしました。1オンス=35ドルという比率でドル紙幣をいつでも金と交換すると言えば、人々はドル紙幣の価値を信頼してくれます。紙幣はただの紙切れではなくなります。

ただ、紙幣と金の交換を保証することには大きな弊害があります。それは、紙幣の量(=金の量)が経済の規模に追いつかなくなるという弊害です。

繰り返しですが、紙幣(=通貨、貨幣)はあくまで物と物との交換の媒介のために存在しているに過ぎません。紙幣(=通貨、貨幣)は経済取引に従属しているものであって、紙幣単独では何ら存在価値はありません。

(余談ですが、通貨単独では価値がないから私は絶対にビットコインに投資はしません。でも、投機で参加したい誘惑には駆られます。)

19世紀後半のイギリス産業革命を皮切りに世界の経済規模は毎年グングン成長してきました。第一次世界大戦あたりから欧州が衰退してアメリカが台頭し始めました。米ドルが世界の基軸通貨の地位をポンドから奪ったのもその頃です。当時は金本位制でした。

米国の経済規模が拡大すれば、それに応じて米ドルの貨幣量(紙幣量)も増やす必要があります。じゃないと、経済取引の決済ができません。せっかくビジネスが拡大して国家が豊かになろうとしているのに、紙幣がないからビジネスできませんって本末転倒ですよね。

スティーブン・ジョブスがiPhoneを開発して世界中の人々の生活に革命を起こしたいと野心を燃やしていたとしても、「あ、もう紙幣は金保有量の限界まで発行しているのでこれ以上信用創造はできません。あなたにお金を貸すことはできません。ごめんなさい」って銀行が見放していたら、今頃あなたの手元にスマホは存在しなかったかもしれません。

画期的なビジネスアイデアがあるにもかかわらず、「通貨の量は金の保有量まで」というルールのせいでそのビジネスが白紙になるのは社会的な損失です。

貨幣(紙幣)は必要に迫られて創造された社会的な概念です。その紙幣という概念的存在が実体経済を規定するのは変な話なんです。でも金本位制の下では、金の量が紙幣量の上限となってしまいます。金本位制には、金の保有量が経済規模に追いつかなくなり、その結果経済に必要十分なマネーが供給されなくなるという欠点があります。

経済活動に必要なマネーの量が不足しているとデフレ経済になります。デフレ経済は国民を貧しくします。デフレになるくらいなら、ちょっと激しいインフレの方がまだマシです。

最近、金本位制に戻すべきという意見を聞くことがありますが、ITセクターを中心にこれだけ経済規模が急激に拡大している時代にそれは無理です。アップルの時価総額は遂に100兆円を超えました。

経済学者のケインズは、『貨幣改革論』という書籍の中でこんなことを言っています。

事実上、金本位制は未開社会の遺物と化している。

やがて合衆国は、一定の価格で金の購入に応じなくなる可能性があることを忘れてはならない。

『貨幣改革論』

この『貨幣改革論』が公表されたのは1924年です。ニクソン大統領が金とドルの交換を停止した50年も前に、ケインズは貨幣の本質を見抜いていたのです。いずれ米国経済が発展すれば、ドルと金の交換は不可能になると予言していたのです。

1924年時点で金本位制を「未開社会の遺物」と言っているのです。いわんや、現代経済で金本位制に戻るなんて不可能です。

ニクソン・ショックは必然の出来事でした。仮にニクソン大統領が金との兌換停止を宣言しなかったとしても、次のフォード大統領やカーター大統領が宣言していたでしょう。偶然ニクソン・ショックになっただけで、フォード・ショックやカーター・ショックもあり得たでしょう。時間の問題に過ぎません。

 

 

別にフルインベストにする必要はない。でもお金の価値はファジーで長期的には減価していくということは理解しておこう。

今あなたの財布に入っている一万円札、破れますか?
いや、無理ですよね(笑)。私も無理です。

でも紙幣そのものに価値がないことは紛れもない事実です。金と交換もできないし、ただ信用の上に成り立っている紙切れに過ぎません。

今後、金本位制に逆戻りする可能性はゼロだと思います。政治の問題ではなく経済構造的に無理だからです。管理通貨制度は今後も続きます。

管理通貨制度では、紙幣の価値は基本的に減価していきます。紙幣を刷って負債を後世に繰り延べるという欲求を政府が(私たちが)我慢できないからです。金融機能の維持という名目で、「仕方なくやってるんだよ~」という言い訳をしてこれからも紙幣を刷り続ける可能性が大です。

投資では常にフルインベストが正しいとは思いません。一定の現金を手元に持って慎重にやろうという保守的な姿勢は長期投資では大切なことです。ただ、現代資本主義経済において、その手元現金の価値とは何なのか考えてみることも時には必要かもしれません。