ホリエモンはよく「お金ではなく信頼を貯めることを意識すべき」と言っています。

私はこの考えに半分共感で半分否定的です。

この社会はギブアンドテイクで成り立っています。お金がないと生活できないのが現実ですが、他者貢献の意識なくカネカネばかり求めても豊かにはなれません。社会の役に立つことをひたむきに続けて信頼残高を蓄積しようという発想が大切だと思います。ホリエモンが言うように。

ただ、信頼をお金に変えることなく、信頼そのものを使って生活するのは個人的に好きじゃないです。

信頼を使うとは家族や友人、ビジネス仲間に直接助けてもらって生活するということです。わかりやすい例で言うと、「今日ちょっと終電逃しちゃってさ、悪いけど泊めてくれない?」と友人にお願いして、一晩お世話になるなどです。家に泊めてもらえるのは、信頼残高があるからです。嫌いな人、信頼してない人を自分のプライベート空間に入れないし、ましてや泊らせてあげるなんてしませんよね。

僕はこういう信頼を消費してリソースを得るのがあんまり好きじゃないです。要は身近な人の迷惑になりたくないということ。

お金のいいところは、面倒な村社会的な人間関係を回避できるところだと思います。お金を払えば、見ず知らずの他人があなたのためにご飯を作ってくれたり、寝床を提供してくれたり、車を運転してくれたりします。そこに温かな人間関係はありません。あるのはお金による社会的な契約のみ。

信頼=お金という発想自体には共感します。が、信頼をそのまま使うと経済取引に人間関係が介在します。それがなんか面倒なんですよね。親しい仲だから無償で物資を提供してもらって当然とは思いません。何か施しを受ければ信頼残高が減少します。借りた金を返さずにとんずらなんてしたら、信頼残高は一気にマイナスです。親しい間柄でも互いの信頼残高が同じくらいになるように、損得計算しているものです。その配慮が面倒。信頼は目に見えないし。

私は1Kのマンションに住んでますが、お隣さんがどんな人か知りません。すれ違ったら会釈するくらいです。会話なんてこれまで一度もありません。ドライな人間関係。いかにも東京って感じです。商業施設が一通り揃っている都内ではお金を介した経済取引のみで快適な生活が送れるため、ご近所さんと人間関係を構築するインセンティブがありません。特に一人暮らしでは。子どもがいるとまた話は別だと思いますが。

それはちょっと寂しいことかもしれませんが、個人的にはそっち方が気楽です。私は性格的に東京が合っています。福岡から東京に出てきましたが、明らかに違いますよ。やっぱり、福岡の方が人間関係が村社会的でした。東京は良くも悪くもドライです。ほどよい距離感を保って、他人のプライベート空間に安易には入ってきません。その代わり、お金の損得計算にはうるさい人が多い気がしますがw。

もし信頼を使うなら何らかの方法でお金に変えた上で、貨幣空間で使用したいです。てか蓄積した信頼残高は無理にお金に変えずに、そのまま放置しておく方が良いです。

私はお金が好きです。お金がないと不安です。単純に金持ちになりたい願望もありますが、細やかな人間関係構築、ご近所付き合いが苦手だからという理由もあります。お金があれば、そういう人付き合いを排除しつつ、高品質な資源を社会から調達できます。そっちの方が気楽です。お金を介した方が後腐れないし。

ただ、あまりにお金に頼り過ぎた生活を送っていると、人間関係が希薄になり過ぎて、それはそれで寂しいなあと思うこともあります。都合の良いこと言ってますが・・。信頼関係で結ばれた間柄でのギブアンドテイクが面倒だと思っているのに、強い絆で結ばれた関係がゼロなのは嫌なんです。そういう愛情、友情が全くない人生は寂しいなあと思います。 その辺のバランスが難しいなあと思うところです。