内部留保課税という話題がニュースで報道されていました。

これに対して、「内部留保に課税すると二重課税になる」という反論が専門家から出ています。

そりゃそうですね。法人税が課税された後に残った利益が、バランスシート右下に利益剰余金として溜まっていくわけです。その利益剰余金に課税すれば二重課税なのは間違いないです。

そんな課税されたら株主は堪ったもんじゃないですよ。日本企業の主要な株主は外国人投資家ですが、彼らは怒りを通り越して呆れてしまうかもしれません。

内部留保課税が二重課税だってことぐらい、ちょっと会計をかじっていれば誰でもわかることです。議論するまでもなく事実として二重課税ですよ。

問題なのは、そこまでして罰則を与えないと内部留保が還元されない日本のコーポレートガバナンスだと思います。

 

 

いやいや、でも問題ではないのかもしれません。

今の状態で日本人がほどほど幸せに感じているのであれば、日本的資本主義を貫いてもいいんじゃないでしょうか。アメリカのガチガチな純粋資本主義が日本国民を本当に幸せにするかは怪しいですし。

「思考は現実化する」って言うじゃないですか。これって幻想ではないと思います。人は自分が本当に心から求めていることであれば、行動を起こして必死になって掴み取りに行くものです。

「結婚したくてもできない」って思っている人は、「結婚できない」のではなく「結婚したくない」と実は心のどこかで思っているからかもしれません。「起業したい」と思いつつサラリーマンを惰性で続けている人は、結局起業に対する情熱がそれほどないからでしょう。

動物は生きるために本能で合理的な行動を取ります。群れを作ったり(シマウマとか)、体の色を変えたり(カメレオンとか)、その場から動かずにじっとしたり(ナマケモノとか)と。

人間も動物です。

今我々の目の前にある現実は、これまで人が合理性を追求して行動し続けてきた結果です。

現実は人の合理性がギュッと凝縮されて出来上がった世界だと言えます。

その現実に対していつも批判的な意見があるのは、常に刺激的な情報を求める消費者がいる限り仕方ないことです。メディアは消費者の情報購買意欲(クリック意欲)を掻き立てるのに必死です。まあ資本主義ってそういうもんだと思います。情報も商品ですから。現実への批判って自己矛盾だなって思う時があります。

今の社会や企業に批判は出るものですが、すべての国民が望んで出来上がった世界が今目の前にある現実なのかな~と思います。

 

上場企業には300兆円を超える内部留保が今なお放置されたままなわけですが、私たち一人一人がその状態を許してきた、いや望んできたから、そうなっているのではないでしょうか。その状態が快適だということでしょう。

株式の持ち合いで株主の監視が甘いだとか、銀行によるガバナンスが中心だったので株主資本主義が未発達だとか、日本の株式市場はよく批判されます。でも、そういう緩い株主資本主義でいることが快適で幸せだったからそういう選択肢を取ってきただけではないでしょうか。

世の中、絶対的に正しいって答えはないです。
正しい正しくないの判断は人の価値観に応じて様々です。

「企業はもっと内部留保を吐き出して株主利益に貢献すべき」という意見は正論に聞こえますが、実際のところどうなんでしょうかね。

経営者が内部留保を吐き出さずに貯め込んでいること、株主がそれを許していること、これにはそれなりの理由があると考えるのが必然でしょうか。

人間、本当に必要になれば嫌でも行動するもんだと思います。定期テストの勉強を真剣にやらないのは、所詮自分の人生にその程度の軽微な影響しか与えないイベントだからです。就活を必死になって(時には親まで参加して)やるのは、良い企業に就職できるか否かが人生に与えるインパクトが大だと判断しているからでしょう。

本当に必要になれば人は行動するもんかなと。それなりに経済が発展した日本において、経済的な意思決定に政府が介入し過ぎるのはお節介なのかもしれません。

なるべく多くの人が幸せに暮らせる世の中になることが目的なのであって、ファイナンス的な合理性を追求することが目的ではありません。そこを履き違えて、自分の知的な考えがさも絶対に正しいんだと言わんばかりに正義感を振りかざしてもウザいだけ。

まあ人の幸せの価値観は多種多様だから、政治的な折り合いをつける必要もあるのでしょうけども。日本の人口は1億人以上もいるわけですし。