日本の労働生産性は低い

日本は労働生産性が低いとよく言われます。それは事実です。日本生産性本部のデータによると2018年の日本の労働生産性(1時間当たりの付加価値)は、47.5ドルでOECD加盟36カ国中20位。先進国の中ではほぼ最下位です。

普段、日本企業で働いていれば、この結果はなんら驚くに足らないことですよね。アップルの財務諸表を見て「ああ、やっぱり儲かってるなあ」と思うのと同じです。想定通り。現実が淡々と数字に表れているだけ。

労働生産性=付加価値 / 労働時間なわけですが、日本は分母の労働時間が長いから生産性が低いです。無駄な就業時間が多いということ。んですよね。違和感ないですよね。んな些細なこと気にする必要はある?みたいなことでも、夜遅くまで残って議論することありませんか。0を90にするために10時間かけて、90を95にするためにまた10時間かける、みたいな。もう90のままでいいんじゃないって。有給休暇を全部消化していない人も周りにたくさんいます。私も未消化のまま消えたこと何度もあります。

いい加減日本の労働生産性を改善させようよという風潮がありますね。いいことだと思います。「働き方改革」もその一環です。そのためには労働時間を減らすことです。企業がEPS(一株当たり利益)を改善したい時は、トップラインを伸ばすよりも自社株買いして株数を減らした方が手っ取り早いです。それと同じです。

無駄な就業時間って山ほどありますよね。自己満になるだけで社会に何ら富を生んでいない時間。残業してパワポの体裁整えるみたいな。日本の全労働時間の20%をカットしても、GDPは変わらないかもしれません。それだけで労働生産性はめちゃくちゃ改善します。

国家としては生産性改善を目指した方がいい

生産性を改善するのは大切なことだと思いますが、それはあくまで手段であって目的ではないということは念頭に置いておくべきだと思います。目的は生活の幸福度を上げることです。生産性改善が幸福度向上に繋がらないと意味はないです。効率化を進めてむしろ国民の幸福度が下がるなら、それは本末転倒です。

ただ、その心配は不要でしょう。労働時間が減って嫌がる人はかなり少数派のはず。「こんな遅くまで仕事やって意味あんのかなあ」、「さっさと帰って子どもをお風呂に入れたいなあ」と思っている人の方が多いでしょ。

だから、国家として労働生産性の改善に取り組むことには賛成です。それはきっと日本人の幸福度を全体として上げることになると思うから。

もしかしたら、残業規制を嫌がっている人もいるかもしれません。仕事が大好きでお金が貰えなくてもいいから、長時間働きたいと思っている稀有な人もいるかもしれません。労働時間削減のしわ寄せが来ていると嘆いている管理職の人もいます。しかし、全体として見れば就業時間が減って生産性が改善することを喜んでいる人の方が多いと思います。

国家はマクロの視点で意思決定しなくてはなりません。個別の個人や家庭の事情を考慮することはできません。1億人2千万人すべての人を満足させるのは不可能。日本として労働生産性改善を目指すのは良いことだと私は思います。

個人は無理して生産性改善、効率化を目指さなくていい

「合成の誤謬」という言葉があります。ミクロで正しいことでも、マクロで見ると悪いことが起こるということです。将来に備えて貯蓄するのは個人としては合理的な行動ですが、経済全体で見ればデフレを促して悪影響になります。

で、これは私の勝手な造語ですが「分解の誤謬」という現象もあると思います。マクロで正しいことでも、ミクロでは必ずしもそうではないということです。日本全体として生産性を改善させるのは正しいことでも、個人単位で見れば必ずしも正しいとは言えません。つまり、生産性改善、効率化をしても幸福度が上がらない場合もあるということです。

何でもかんでも効率化しろ、合理化しろと言われることが多いです。特にインターネットが発達してビジネスのスピードが一段上がったので、昔からの商売の非効率さがより目立ちます。

でも、非効率の商売を楽しんでいる人だっています。そこにこだわりを持っている人もいます。職人さんとか。それはそのままでも全然いいじゃんかって思います。

家の近くに老夫婦でやってるお惣菜屋があります。旦那さんが調理して、奥さんが販売してます。これがめちゃ安いんです。唐揚げ100gで198円。とんかつ1枚198円。で、たまに思うんです、このショーケースにある惣菜がすべて売れたらいくらになるんだろうかって。一日の売上はどれくらいだろうかって。そこから材料費や家賃を差し引いたら、どれくらいの利益が残るんだろうか。夫婦2人で贅沢せずに暮らすくらいのお金しか残らない気がします。

その夫婦の真意はわかりません。でも、何となく今の惣菜屋さんが好きでやってるんだろうなって気がします。客のおばちゃんとよく楽しそうに世間話してますし(私は事務的な会話以外したことありませんが)。地域の暮らしに貢献していることにやりがいを感じているかもしれません。楽しくやってるなら、非効率な(儲けの効率が悪い)商売でもそれを無理に変える理由はありません。

それと、世の中にはなかなか生産性を改善できない仕事もあります。特に対人の仕事です。たとえば保育士とか。機械やITで合理化できないからどうしても賃金は低く抑えられがちです。効率化を善とする風潮が強くなると、こういう合理化できない職業を見下す人まで出てきます。特に意識高い系の人がよく言います。

それは違うやろって思います。子どもの面倒を見るという仕事は社会に必須です。子どもの面倒をロボットに任せるわけにはいかないでしょう。子どもが好きで働いている人もいます。効率化できたビジネスによって生まれた余剰価値で、効率化できない職業に就く人の待遇を少しでも上げれないか考えることも必要だと思います。

最初に書いたことですが、生産性改善、効率化自体を目的にすると本末転倒です。効率化することで幸せになれるならやればいいし、そうじゃないなら効率化する必要はない。

ちなみに、私は効率化が好きなタイプです。仕事も私生活もなるべく効率的にすることに快を感じます。お金だけじゃなくて時間の使い方も。最近は通勤時間やお昼休みにNewsPicksの音声コンテンツを聞いてます。今までより時間の有効活用ができている気がしてちょっと嬉しい気持ちになります。「非生産的」な時間が多いとテンションが下がります。休日に昼まで寝ちゃうとか。

と、これは私個人の話。休日に昼まで寝ることに幸せを感じる人もいるでしょう。むしろそっちがマジョリティか。ま、好きに生きればいいんですよ。世間に惑わされずに。

ビジネスを効率化し過ぎている人を見ると、機会費用が高過ぎて窮屈に見える時があります。「俺は時給10万円もあるんだぞ! 寝てる暇があったらメルマガ、ブログ書かなきゃ!」みたいな。ま、昼まで寝ることに罪悪感を覚える私も同じ穴の狢ですけどねw