世間一般と同じく土日と祝日がお休みですが、仕事が忙しくない時期には有給休暇を取得することもあります。今まですべて消化し切ったことは一度もありませんが、どれくらいだろう、年間10日~15日くらいは消化してるかな。

ただ僕は何か予定があって休むことは少ないです。旅行に行くから有給を取るといったこともなくはないけど、大抵は特に理由もなく何となく休むだけ。ま、そんなもんでしょ。休める時に休む感じです。

狭い家でゴロゴロしてても一日が無駄に過ぎちゃうので、都内のどこかにふらりとお出かけすることが多いです。ノートPCの入ったリュックを背負って。好きなのは丸の内や日本橋、京橋近辺。最近は銀座、有楽町あたりをフラフラ歩いていることもあります。運動不足解消という目的もあって適当に散歩し、疲れたらカフェに入ってブログ書いたり、本読んだりしてます。

同じ街でも平日と休日とで見える景色はだいぶ異なります。休日は買い物客が多いですが、平日はスーツを着たビジネスパーソンが多いです(当たり前だけど)。

有給取って平日の昼間にカフェの窓からスーツ着たサラリーマンが闊歩しているのを見ると、なんか違和感を抱くことがあります。「あれ、何で僕は今仕事してないんだろう」って。なんか落ち着かない。平日みんな働いている時に、自分だけ私服でゆっくりしていることに不安を感じるんです。ましてや「みんな働いてるなか、俺は休みだぜー」みたいな優越感は一切ありません。

有給取った日に絶対避けているのが、朝夕の通勤帰宅ラッシュに乗り合わせないようにすること。満員電車が嫌というのもあるんですが、それよりも周りはみんな働いているんだという事実を突きつけられるのが嫌なんです。なんか自分だけサボってるような感じがして。サボっているというか、社会の輪から弾き飛ばされている感じがするんですよね。有給休暇という正当な権利を行使しているだけなのですが・・。

有給取った日は朝早い時間に出かけるか、あるいは通勤ラッシュが終わった10時くらいに出かけることが多いです。自宅に帰るのは帰宅ラッシュになる前の16時頃か、帰宅ラッシュが終わった20時くらい。18時前後に電車に乗るのは嫌。電車内が仕事終わりのサラリーマンばっかりだから。そこに居合わせると妙な不安を感じてしまいます。

敷かれたレールに乗った人生。そんな感じです、僕は。真面目に小中高大と卒業して、22歳で就職。一度転職したけど(監査法人→事業会社経理)、まあ普通のサラリーマン生活ですよ。組織に属して決まった時間に活動する、という生活を30年以上も続けています。有給はそのサイクルから外れる行為。土日や祝日は問題ない。周りもみんな休みだから。自分だけ休みを取る有給は、どうも心が落ち着かなくなります。

脱サラ起業して成功した人が「自由な生活に慣れるのに半年から1年は掛かった」と言ってました。何となくわかる。経済的自由を得て時間に縛られない生活を送ることに憧れはありますが、いざそんな境遇が実現したらどうなるんだろうか。結局不安が消えず、また組織に属して働きたいと思っちゃいそうです。

もし10億円もらったら今の仕事続けますか?

10億円あれば利回り5%で回しても年収5000万円。不自由ないどころか、贅沢な暮らしを維持できます。でも多分、仕事は辞めない気がするな。もし毎日が「有給」になったら、凄まじい不安感に襲われそうです。

社会との関りがないと不安。別に組織に属していなくても、投資家でもアフィリエイターでも、どんな仕事でも社会とは繋がっています。たとえ仕事してなくても消費することで、社会と関わることになります。つまり普通に生活しているだけでも、(ホームレスでもなければ)必ず社会との接点はあります。

だから、これは私の感情の問題でしかないということです。組織に属してないと社会との関りを感じられないという個人的感情に起因する問題です。そう簡単に克服できそうにはないです。僕は起業には向いてないし、株で成功してアーリーリタイヤというのも向いてないんだろうな。

この不安問題をもう少し突き詰めると、「僕は友達が少ない」という件に行き着きます。

橘玲さんは「資本には金融資本、人的資本、社会資本の3つがあるが、幸福は社会資本からしか得られない」と言っています。僕にとって社会資本は会社しかない。悲しいかな、これが現実。別に会社に忠誠を尽くしているわけでも、社畜仕事人間なわけでもないです。一生今の会社で働き続けたいという思いは特にないです。良い会社だと思ってはいるけど、転職することもあり得ます。まだ30代前半だし。

とにかく何かの組織に属してないと、金融資本だけになってしまうという危機感があります。もし会社を辞めてしまったら、人的資本と社会資本の2つを同時に失ってしまう気がする。それが有給取った時にふと襲ってくる不安の正体かな。