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【ただの紙切れだろ?】お金を無くしてはいけない理由

   

ぼくは結構おっちょこちょいで、忘れものすることがたまにあります。先日デパートのトイレにスマホを置いて出てしまったし。親切なおじさんが後ろから追いかけて渡してくれました。日本は良い国や。

そんな私ですが、今まで財布だけは無くしたことがありません。どれだけ酔っ払っていようと財布と定期入れ(クレジットカードも入っている)だけは肌身離さず持っています。実は定期入れは福岡空港で一度落としてしまったことがあるのですが(これも後日警察から電話があって戻ってきた!)、財布はこれまで一度も落としたことありません。お店に置き忘れこともありません。

財布は無くさない。なぜなら、大事な大事なお金が入っているから。常に3万円くらいは財布に入れてます。あと免許証、保険証、キャッシュカードなども入っています。いわゆる「貴重品」ですね。

一生懸命考え抜いて株を買ってその後株価が下落してしまったら、それはしゃーないと諦めます。含み損というのもあるし。ただ、お金を落とすのは絶対に嫌です。何の商品もサービスも体験も得ることなく、ただ自分の不手際でお金を無くすなんてもっとも避けたいことです。そういう思いがあるから、財布だけはギュッと握り締めて離さない。

冷静に考えるとこれは奇妙なことかもしれません。1万円札はただの紙切れとも言えますから。もちろんそれは詭弁に過ぎず、1万円札には間違いなく価値があります。ただね、やっぱり1万円札はただの紙切れと断じることもおかしな話ではありません。アマゾンの先住民が森の奥地で1万円札を見つけても無視でしょうね。んな紙切れ汗を拭うくらいしか用途がありませんから。

お金って何なのでしょうか?

お金とは信頼であると言われることがあります。この定義は非常にしっくりきます。お金って信頼そのものですよね。あなたが持っている1万円札は「あなたは社会に1万円相当の価値を生んだから、社会から1万円相当の資源を調達してもいいですよ」という権利を表しています。お金とは社会からの信用の証です。

やっかいなのは、その人に十分な信頼残高があるかどうかは外観からはわからないということです。現ナマや一定の預金残高ないしクレジットカードがないと、コンビニの店員は見ず知らずのあなたに信頼があるとは思ってくれません。だって家族でも友達でもないから。「毎日頑張って働いている私には一定の信頼があります。だからサンドイッチとコーヒーを下さい」なんて言ったら、やべえ奴来たと思われて警察呼ばれます。きちんとお金という形でサンドイッチとコーヒーを買えるだけの信頼残高を保持していることを証明しなくてはなりません。

家族間や恋人間の愛情、親友との友情に基づく取引では信頼をお金で示す必要はありません。お互いの心の勘定があるからです。ただ愛情や友情であってもギブアンドテイクが原則であることを考えたら、お金を通じた市場取引と本質は同じと言えるかもしれません。利害関係なしで支え合えるのは血の繋がった親子関係くらいではないでしょうか。

誰かの助けを得ないと私たちは生きていけません。自分一人だけの力では野宿生活すらままなりません。社会の力(コンビニで買い物するなど)にしろ、家族友人の力にしろ、どちらにしてもそれを借りるためには信頼残高が必要です。これまでギブしてきた信頼があって初めて、第3者の協力を得ることができます。その信頼をお金で示す必要があるのが市場取引(貨幣空間)、暗黙の信頼残高があれば事足りるのが家族友人間での助け合い(愛情空間、友情空間)。

社会が豊かになればなるほど、愛情空間と友情空間は狭くなり、お金が介在する貨幣空間が広大になります。これは仕方ないことです。高水準の所得は狭い家族友人間の協力体制のみでは実現しません。企業での仕事などを通じて各人が専門領域に特化することで、社会全体の所得が上がります。

単身世帯の増加は必然です。これが私たちが暗黙の内に選択してきた社会の形です。愛情空間、友情空間が狭くなってもいい。それよりも資本主義的な経済的成功を求めると。

果たして、これが本当に幸せなことなのか。それはわかりません。所得最大化と社会厚生最大化は必ずしも一致しないかもしれません。

ただ、もう戻れません。戻れるかもしれないけど、容易なことではない。広がった貨幣空間が縮小して、愛情空間と友情空間が拡大する未来は当面は訪れる気配がありません。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏は『サピエンス全史』の中で「農業革命は人類史上最大の詐欺である」と喝破しました。農業によって食糧生産量は急増したけど、それは人類の幸福度を上げるどころか下げてしまいました。人口が増えて一人当たりの食糧が減ったからです。ただ、狩猟採集生活にはもう戻れなかった。なぜなら、莫大に増えた人類を養うには農業を続ける他なかったからです。

それと同じことが起こりかねない。ここまで貨幣空間に頼った社会基盤を一度作り上げてしまった以上、愛情空間と友情空間に依拠した生活に戻るのは事実上不可能です。そっちの方が幸せだと思っても、生活の便利さを捨て去ることはできないでしょう。

そんなわけで、ただの紙切れでしかない1万円札は大切なのです。貨幣空間では1万円札を持っていないと信頼されません。詐欺集団でもお金さえ持っていれば信頼があると見なされる。逆に、真面目に仕事をしてお給料を貰っても、財布を落として無一文になれば信頼のない人と見なされる。貨幣空間とは何てドライで感情のない世界なんだろうか。でもこれが私たちが作ってきたリアル社会です。快適に生き続けるために今日も仕事と投資に勤しんでお金を稼いで、財布は落とさないようにしっかり握り締めておくしかありません。

 - 雑談