一般的な定義というより私個人の勝手な定義なのですが、「資本所得=半自動化された収入」です。

ロバート・キヨサキ氏は資産を「あなたのポケットにお金を入れてくれるもの」と定義しました。この資産の定義が資本所得とほぼ同義なイメージです。ロバート氏の定義を少し補足させてもらえば「あなたのポケットに半自動でお金を入れてくれるもの」が資本所得(資産)の個人的な定義です。

自分自身が体を動かさずして社会にアプローチし価値提供してお金を得る。そんな自動化の仕組みを構築することで、精神的な疲弊を最小限に留めながら経済的な豊かさを手に入れることができるのでは、と僕は考えています。

じゃあ具体的に何が「資産」、「資本所得」になり得るのでしょうか?

これは一律に決められるものではありません。株式投資=資本所得って必ずしも言えるわけじゃないです。ブログ=資本所得、不動産投資=資本所得ってことも必ず言えるとは限りません。要は収入が自動化しているかどうかが問題だということです。どれくらい自動化できていれば資本所得と呼んでいいのか明確に線引きはできません。その辺は個人の感覚に依る面も大きいです。ある収入が資本所得か否かは、各個人の主観によって異なります。

 

資本所得と非資本所得の境界線(Hiro私見)

何が資本所得で何が資本所得じゃないのか、僕が考えていることを例示してみます。

優良株へのバイ&ホールド戦略で得る収入は資本所得と言えます。決算の確認やリバランスなど最低限のメンテナンスは必要ですが、ほとんど労力を掛けずに配当金と値上がり益を得ることができますから。こういったほったらかし投資は万人にとって資本所得になります。一方で、じ~とPCに張り付いてカチカチ短期トレーディングして得る株式収入は、資本所得とは言えないでしょう。労働収入という側面が強いですね。
同じ株式収入でも、利益を得る方法によって資本所得になる場合もあればならない場合もあります。

ブログをほとんど更新せずとも毎月安定したアフィリエイト収入や広告収入が得られるなら、そのブログ収入は資本所得と言って差し支えないないでしょう。一方で、日夜更新し続けないとトラフィックが集まらず、そのトラフィックに頼った広告収入しかないならブログ収入は資本所得とは言えません。

不動産の管理を管理会社にすべて一任して、その管理費用を差し引いても十分な利益が出るなら不動産賃貸収入は資本所得と言えます。一方で、自分でマンションの掃除から草むしり、入居者集めまで全部やる必要があるなら不動産収入の資本所得としての性質は小さくなるでしょう。

夫のサラリーマンとしての労働所得は妻にとっての資本所得です。妻のサラリーマンとしての労働所得は夫にとっての資本所得です。女性が専業主婦になるということは(最近は男が専業主夫になるケースもあるそうですが)、旦那という資本所得をゲットすることに他なりません。

会社を起業して自分が経営者として忙しく働いている間は会社の利益は資本所得とは言えませんが、経営者として一線を退いて自社株を持つだけになれば会社の利益は資本所得と言えるでしょう。

塾の講師として教壇に立って学生を指導して受講料を頂く場合、その収入は労働所得です。しかし、講義を録画してWebで配信して全国の学生に広く受講してもらって対価を得ることができれば、その収入は資本所得と言えそうですね。

特許をライセンスして得るロイヤリティ収入は資本所得です。
店舗運営ノウハウやブランドを提供してロイヤリティ収入を得るのも資本所得ですね。

 

「資本主義社会をなるべく楽にサバイブしたい」なら資本所得を作る努力をすべし

何が資本所得かって形式的に外観から決められるわけじゃないです。要はどれくらい収入を自動化できているのかということですね。どれくらい自動化できていれば満足なのかは個人差があります。完全に100%自動化されると社会にアプローチしている実感が消えちゃいそうなので、ほどよく自動化されている程度が私は好きです。かなり贅沢な要求ですが。

自動化された収入=資本所得を増やしていく努力をコツコツ続けることで、精神的肉体的な疲労感を抑えつつキャッシュを稼ぐことができます。と言っても、その肝心な資本を作り上げる過程で多少しんどいことはあるでしょうけど。毎月投資資金を捻出して株式投資を続けるのだって楽じゃないですよね。その金使って美味しいもの食べたり、遊んだりすることもできるわけですから。

今苦労して資本所得を作っておけば、後で楽できるということでしょうか。結局、楽してお金を稼ぐことはできないということですね。人生全体で見れば結構バランスって取れるもんかなって思います。努力して苦労した人は(その努力が正しい方向なのが前提だけど)、後々楽できると思います。

努力は無条件に尊いものかもしれないけど、やはりリソースを振り向ける先を見誤ってしまったら、頑張りの割に人生は楽にならない気がします。

京セラ創業者の稲盛氏は、「仕事の結果=考え方×熱意×能力」だと言っています。掛け算なのがミソです。熱意と能力がどれほど高くても、考え方がゼロなら仕事の結果はゼロになります。ゼロに1億掛けても答えはゼロです。ましてや、考え方がマイナスなら熱意と能力が高ければ高いほど結果は悪くなります。

「資本主義社会をなるべく楽にサバイブする」という目的を達成するには、労働所得の向上よりも資本所得の向上を目指した方がいいと僕は思っています。毎月5万円ずつ株式を買い増すという努力の方向性は正しいですが、毎月50時間以上残業するという努力の方向性は誤っていると思います。

別にガムシャラに労働することをバカにしているわけじゃありません。「資本主義社会をなるべく楽にサバイブする」という目的を達成するための手段を探すという前提の話です。考え方は色々あるわけで、自動化された収入源を得るなんて興味ないし、自分でバリバリ働く方が好きって人がいても全くおかしくありません。会計士は自分で事務所構えて夜遅くまで働きまくるのが好きな人が結構多いです。

仕事に何を求めるかは色々あるでしょう。お金を稼ぐことだけを求める人もいれば、お客さんとのコミュニケーションが好きでそこにやりがいを感じる人もいるでしょう。ただ、仕事をマネタイズの手段と割り切るなら、収入はなるべく自動化した方がいいんじゃないかと僕は考えています。

まあ、先ずは自分なりの人生観や価値観を持つことが大切なんだろうな。