保有金融資産が1億円を超えている人を「億り人」と呼びます。私も一応そこを目指しています。株式が1億円あれば利回り3%でも300万円もの年間配当があります。独身ならそこまで行けば経済的自由獲得したと言える気がします。益回り7%としたら理論株式利益は700万円もあるわけだし。

ただ、仮に「億り人」になれたとしても、僕の人生はこれまでと何ら変わらないだろうと確信しています。資産1億貯めたら起業したいとか、そういう計画は何もないし。普通にサラリーマン続けてると思います。平日は家と会社の往復。休日はカフェでPCカタカタやったり、読書したりして過ごしているかな。

今約2,300万円の株式を運用しています。1億円はまだまだ遠いけども、何だろう、、別に想像できない金額でもありません。

僕にとっては一桁小さい1000万円の方が遥かに遠かったです。貯金1000万円にはすっごく憧れた。「もし貯金が1000万円もあったらどんな気分なんだろう。岩田屋(※)に行って好きなもの何でも欲しいだけ買えるだろうな~。車も一括で買えるな~。」って学生時代に思ってましたね。
※福岡にあるデパート

学生時代は貯金という概念がなかったです。基本的に自転車操業。日々の生活費と大学の学費、会計士予備校の学費の3つをいかにデフォルトを起こさずに払っていくか。日々の生活で一杯一杯で、貯金なんて概念はなかったです。

そりゃすっからかんじゃないです。10万円以上は口座にありますよ。でも、それは「貯金」とは言えなかった。余剰資金ではなく運転資金です。両者の差は大きい。今後数カ月で学費などで消えることがわかっているお金。だから絶対に無駄には使えない。余剰資金という意味での「貯金」を持てるようになったのは社会人になってからです。

実質貯蓄ゼロ。だから1000万円という数字はとても想像できなかったです。雲をつかむようなフワフワした感じ。自分は労働者階級の凡人だから、そんなにお金を持つことは一生できないだろうなと何となく思っていました。学生の発想です。コツコツ株式投資なんて全く知らない頃です。

社会人になって給料を貰い始めたわけですが、監査法人ということもあって年収は高めでした。1年目で500万~600万円はあったかな。それに相応しい仕事ができていたとは思わないけど、まあ会計士試験に合格したご褒美だと思って有り難く頂いていました。

貧乏性であまりお金を使わなかったから、結構貯金できました。 金欠だった学生時代の反動もあったと思います。口座残高が増えていくのが快感でした。

そんなこんなで貯金1,000万円に到達したのは2013年後半。社会人5年目。意外に早かった。でもいざそれだけのお金を持ってみると、特に感動はありませんでした。目標だった1000万に到達したな~と思った記憶はあるけど、それ以上の特別な感情はなし。自分へのご褒美を買う気も起きませんでした。

「億」の世界にはちょっと憧れます。今のまま地道に米国株投資を続ければ、いずれは実現できるかもしれません。でも、1000万円到達の時より感動は小さいと思います。結局、金だけ増やしても意味はないというありきたりな結論にたどり着きます。

でも金は大事。ホントお金は大事なんです。貯金10万円の状況で女性に1万円の飲み代をおごるのと、貯金1000万円ある状態でおごるのとでは意味が違う。自由というより余裕感が欲しい。経済的なゆとりは自分には必須です。健康の次に重要。

金にはこだわる。そこは自分に嘘をつかない。お金がなくても人生楽しめるなんて全く思わない。お金欲しい。たくさん欲しい。億の世界も見てみたい。でも、金額だけ追求しても幸福度は増えないこともわかっている。バランスか。使うところはしっかり使いつつ、資産形成を続けていきたいです。お金は貯めるより殖やす方が難しく、殖やすより使う方が難しいと感じています。

最近、飲み代で散財気味。でも、良いお金の使い方だと納得しています。美味しいご飯とお酒にお金を使うのが一番好きかな。物は要らない。