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許せる心

   

子どもの頃、大人は絶対的な存在でした。親には反発心を抱くこともあったけど、学校の先生や部活のコーチには常に従順。歯向かうなんて発想はなかったです。先生、コーチの言うことは絶対に正しいんだと疑ってませんでした。特に小学生、中学生の時は。

幼少期に学校教育のあり方を疑問に思って反抗心を持つ人っているじゃないですか、稀に。こんなの暗記して何の意味あるんや? 学校教育なんて意味ねーだろ、ってな感じで。ホリエモンみたいな。日本の学校教育が正しいかどうかは横に置いておくとして、子ども時代にそういう発想を持てること自体がすごいなあと僕なんかは思います。

今思うと、確かにこんなの勉強とは言えないなあと思うことは多々ありました。たとえば、教科書に書いてある二次方程式の解の公式をそのままノートに写すとか。中学校の数学の先生は50前後の野球部の顧問でちょっと強面の人だったんですが、授業の半分は教科書に書いてあることを丸々ノートに写す「作業」だった記憶があります。色ペンたくさん駆使して。こんなことしても、ぶっちゃけ意味ないですよね。時間の無駄。一題でも多く問題解いた方がマシです。

でも、中学生だった私はその授業内容に何の疑念を抱くこともなく、素直にノートに解の公式を書き写していました。綺麗にノートを書くとなんだかやった気になるんですよね。頑張って勉強したなーって錯覚します。

大人の世界は子どもの世界とは違う。スーツを着て仕事をしているあの大人たちは、僕ら子どもにはできない難しい仕事をやっている凄い人たち。大人になるってどういうことなんだろう。ヒトカゲからリザードンに進化するみたいな感じなのかな。

こんな風に思っていましたね、子どもの頃。

でもそれは違いました。自分が大人になると嫌でも気付きます。大人と子どもを分かつ非連続な境界線なんてありませんでした。大人は大人っぽい振舞いをしているだけですね。あと当然ですが見た目が老けるからそれらしく見えてくるのもあります。「子どもの頃にわかりかけてたことが 大人になってわからないまま」という名探偵コナンの主題歌の歌詞に妙に納得しました。

大人の世界なんて完璧でも何でもない。子どもがやるのと同じレベルのミスを大人も普通にする。学校に算数の教科書を持っていき忘れるのと同じで、仕事のメール返信を忘れることもあります。そんなもんです。所詮人がやることだから、忘れることやミスは絶対に起こり得えます。自分が経理の仕事をする中でしょっちゅう凡ミスをしているから余計にそう思います。もう会計処理ミスに慣れ過ぎて感覚が麻痺してきました(笑)。

大人になって、大人の世界も子どもの世界と大して変わらないということを理解して良かったことがあります。それは許せる心を持てたこと。日常生活で遭遇する些細なミスには寛容になりました。

たとえば、居酒屋でビールを注文したのに10分、15分経っても持ってこない時。そりゃ「すみませ~ん、注文したビールがまだ届いてませんけど。」くらいの一言は店員さんに言いますよ。でも別にイライラしない。色んなところから注文が舞い込んでてんやわんやだから、オーダーを忘れてしまうことくらいたまにはあるでしょう。

先日お昼にサブウェイで、えびアボカドのサンドウィッチ、ポテトと一緒にアイスティーを買いました。テイクアウトで。自席で食べようと思ったら、なんとストローが付いてなかったです。ショック。。コップのまま飲みました。コンビニとかで買い物する時も、スプーンやフォーク、箸が入ってない時たまにありますよね。

こういうことに対してイライラしなくなった。ああ、しゃーないなって思うだけ。社会人になるまではそうは思わなかったです。「んだよあいつー、ちゃんと仕事しろやな~」って思ってたのが本音です。でも、今はしゃーないなって思うだけ。システムではなく人がやることだから必ずミスや漏れは起こります。

社会で働く大人も、公園で遊ぶ子どもと変わらない。

 - 雑談