戦後から一人当たりGDPが6倍以上に増えて、経済的に豊かになったのに自殺者が年間3万人弱もいる。経済は豊かになっても、心は豊かになれない、それはやっぱり希望が持てない人が多いからなのかな。

テクノロジーの発達は人に希望を与えないのかもしれません。マイクロソフトのエクセルのおかげで(せいで)生産効率が上がって、、益々忙しくなる日々。マイクロソフトのアウトルックのおかげで(せいで)、簡単に仕事のメールが見れてしまう土日。
(別にマイクロソフトを否定したいわけではありません)

社会に出て働いてお金を稼ぐことって甘いことではなく厳しいことですし、そんないつも希望を持って楽観的に生活できる人なんてそういないと思います。私は何か考え事をするとすぐにネガティブ思考をしてしまう性質があります。

そこで、たまにはポジティブになろうと思いました!

株式投資の実質リターンは一般的には7%くらいと言われます。PERが上昇しつつある昨今では5~6%くらいで見積もるくらいが丁度いいくらいかな。

しかし。

ジェレミー・シーゲル教授は『株式投資の未来』で、インデックス投資よりも高いリターンを得る投資法を紹介してくれました。それが高配当な成熟企業への長期配当再投資です。

20世紀後半の実質株主リターンが高かった会社です。

ティッカー 会社名 年率リターン
PM フィリップ・モリス 19.75%
ABT アボット・ラボラトリーズ 16.51%
BMY ブリストル・マイヤーズ 16.36%
TR トゥーツィー・ロール 16.11%
PFE ファイザー 16.03%
KO コカ・コーラ 16.02%
MRK メルク 15.90%
PEP ペプシコ 15.54%
CL コルゲート・パルモリーブ 15.22%
CR クレーン 15.14%

どうでしょうか、年率15%を超えています。しかもこれはインフレ考慮後の実質リターンですから、名目リターンはもっとあったわけです。

ということで、高配当な優良株への配当再投資を実践している投資家は年率15%くらいのリターンは期待できるかもしれません。もちろん15%ってコツコツ配当再投資を続けた最終リターンを単純平均した結果であり、毎年このリターンを得ることができないのは理解しています。皮算用、、というか妄想です。

収益率15%を前提とした投資元本毎の年間収益です。

投資額(円) 予想収益(円)
500,000 75,000
1,000,000 150,000
3,000,000 450,000
5,000,000 750,000
10,000,000 1,500,000
15,000,000 2,250,000
20,000,000 3,000,000
40,000,000 6,000,000

私事で恐縮ですが、投資額2千万円であれば数年のうちに到達しそうです。15%掛けたら年間300万円。

300万円って私の年間生活費としては十分すぎる金額です。家賃が高い東京でも余裕で大丈夫です。一人暮らし前提ですが。

サラリーマン辞めれるんじゃないか!って思うこともあります。

 

 

絶対にサラリーマンを辞めたいという願望があるわけではないです。むしろ、今の状態であれば辞めたくない。1億円あっても辞めないです。

もう少し、ネットを通じてでも何でもいいので社会との繋がりがある状態で辞めたい、もし辞めるなら。

金銭的な問題というより、社会との関わりの問題です。

この資本主義社会を生きるには絶対にお金を使う必要があります。すべて自前、自給自足は不可能です。

お金を使うって、家族でも友人でもない他人に助けてもらうことだと思っています。

洋服を買うという行為は、自分で生地を用意して服を作るなんてできないしそんな時間もないから、別の第3者にお願いする。ファーストリテイリングにお願いする。

その代わりお金を払う。そのお金を稼ぐために自分は別の分野で他人を助ける必要があります。仕事をするってそういう意味だと解釈しています。他人を助けて幸せにすることが仕事だと思います。

そうやって社会は回っています。お金という無機質な情報が回っているように見えますが、お金の本質って社会を構成する人と人の助け合いではないでしょうか。

アーリーリタイヤってことは、自分はもう十分仕事という名の人助けをしてその対価としてのお金があるから、もうこれ以上は人助けはしないということですね、もし全く働かないのであれば。ここから先の人生は、専ら人に助けられる人生を送る宣言です。

それって別に悪いことでも何でもありません。社会に十分価値貢献し尽くした人は、悠々自適に過ごす権利があります。

ただ私は、現在進行形で常に何らかの社会との接触がないと辛いと感じる性質があるようです。もちろん、消費者として社会と関わることは死ぬまで続くと思いますが、生産者としての社会的役割も死ぬまで果たし続けたいと思っています。一般論ではなく、私個人の価値観の話です。

 

 

生産者側として社会にアプローチし続けたい、でも好きでもないサラリーマンを定年まで続けたいとも思わない。別に今の仕事が嫌いなわけではないです。いやむしろ好きなくらいです。上場企業の連結決算をまとめて事業別の収支計算とかしていますが、会計の専門知識も必要でやりがいもあります。

ただ、サラリーマンという身分の性質上どうしても仕事を100%自分事にできないという思いがあります。仕事は真面目に頑張るけど、所詮雇われに過ぎない存在。固定給で労働時間を買われている存在に過ぎないという意識があります。

まあそりゃ仕方ない。それが嫌なら自分で起業しろって話ですから。それをする勇気がないからサラリーマンを続けているわけだから文句は言えませんな。

今の仕事内容は好きだし人間関係にも恵まれているけど、仕事を100%自分事にできない。我を忘れて熱中して仕事に没頭できていない。そんなことにこれからの人生の大半の時間を捧げてよいのか迷うことがあります。

生産者側、価値提供側として死ぬまで社会の輪の中に居たいという気持ちがあります。でも、サラリーマンとしては嫌だ。こんな自分勝手な悩みがあります。

じゃあどうすべきなのかな。

株式投資だって立派な社会貢献であり、生産者側として社会にアプローチできる手段です。株式投資を続けることで価値提供側として社会に居続けることができるとも言えます。ですが、株式投資は外観的にはあくまでバーチャルの世界を出ないのもまた事実。

生きていくにはお金が必要です。だから株式投資によってもたらされるキャッシュは大切にしたい。ただ株式投資だけで仮に引退したら後悔しそうな気がしています。たとえ、金銭的に生活ができても。

何かもっと人間的な社会との接点が欲しいです。それは必ずしもリアルに人と会うという意味ではなく。このブログも別に大してマネタイズしているわけではないですが、社会との接点を持つことができるツールだと思っています。

そういう準備って大切なんじゃないかって若輩者ながら思います。

不動産投資収入で引退したけど、なんか今一物足りなくて仕事を再開したっていう人の話を聞いたことがあります。その「なんか今一物足りない」っていう感情って、社会との接点がなくなって寂しくなるってことなのかなって思います。

やっぱりこの社会の構成員として生きている以上、どこかで社会と繋がっていないと不安に思うのかもしれない。消費者としてだけでなく、価値提供側として社会との関りを持ち続けることが充実した人生を送る上で、大切なことなのかもしれません。

 

 

仕事辞める辞めないって贅沢な悩みだとは思っています。これから社会に出る若い人はあまりそんなこと考えずに、がむしゃらに仕事頑張って欲しいなって思います。最低限の生活を送れる金銭的余裕がないと元も子もないと言いますか、社会の中の自分という視点で自分を見ることすらできないでしょう。だから、しっかり蓄財して株式投資を続けることもまた大切なことだと思います。