配当再投資戦略で資産を大きく積み上げるには、当たり前ですが配当を再投資する必要があります。

株式時価=株数×株価です。配当再投資は左側の株数を多く確保することで株式時価の最大化を目指す戦略です。

S&P500の配当利回りが2%前後であることを考えると(2017年9月現在)、3%弱からが高配当銘柄と呼べるかと個人的に思います。たとえば、ペプシコ(配当利回り2.8%、)コカ・コーラ(同3.2%)やフィリップ・モリス・インターナショナル(同3.5%)などです。

そもそも、高配当な銘柄に投資することで市場平均より高い投資リターンが期待できるのは決して自然なことではありません。配当利回りが高い銘柄とは大型の成熟企業が大半で、利益成長がマイルドな分将来の大きな増配は期待できません。

高配当銘柄への投資とはたとえて言うなら、400M走の第6レーン(外側)を走るようなものです。
確かにスタート直後は先頭を走ることができますが、ゴールが近づくにつれて配当利回りが低い内側のランナーに追い抜かれる恐れがあります。配当利回りが高いことそれ自体は長期投資の有利な要因にはならないはずです。

しかし、歴史を振り返れば配当利回りが高い銘柄に投資して配当を再投資する戦略は、高い投資リターンを達成してきました。

連続増配15年以上のS&P100構成銘柄の中から、配当利回り上位10銘柄に毎年投資し続ける投資戦略(S&P10種)を採用すれば、20世紀後半にS&P500指数をアウトパフォームすることができました。

なぜ高配当銘柄に投資する方法は市場平均を超えることができたのでしょうか?

それは、高配当銘柄は概してミーハーな投資家には人気がない地味な大型企業なため、過剰に株を買われることが少なく株価が適正値ないしそれを下回る割安価格で放置されがちだからだと思います。

グーグルやアマゾン、アップルはウォール・ストリート・ジャーナルでしょっちゅう取り上げられる人気企業です。一方で、コカ・コーラやペプシコ、ファイザーなどに関して書かれた記事はWSJには(少なくとも日本語版には)、ほとんど掲載されません。

株式市場は概ね合理的だと思います。効率的市場仮説は現実世界で成立しているように感じます。

とは言え、、株式市場は完全には効率的ではないのでしょう。株式市場は四半期損益のブレ幅が小さい大型成熟企業の株をやや割安で放置してしまう傾向があるようです。

それは大型成熟企業は短期的なキャピタルゲインがほとんど期待できないので、「ゆっくりお金持ちになるなんて嫌だ!」と思っている多くの夢見る投資家や投機家の投資対象として選ばれないからだと思います。

マーケットは大型成熟株のプライシングを誤っているわけではなく、企業の魅力に比して買い需要が少ないという事実を正しく反映しているとも言えます。

長期でゆっくりお金持ちになることを我慢できる地味な個人投資家は、そこに一筋の明るい光を見つけることができそうです。

配当こそ高いけど成長はあまり期待できない銘柄に長期で投資して、配当再投資を繰り返すことで高い投資リターンを期待できます。それは短期でぼろ儲けしたいという欲望を我慢したご褒美かもしれません。

高配当銘柄への配当再投資戦略は有効だと確信しています。

でも、そのためには配当をきちんと再投資することが求められます。

そうあくまでも、配当をきちんと再投資してこその高い投資リターンです。

配当を再投資か~。
美味しいステーキ食べるのを我慢して、配当を再投資なくてはならない。
友達と海外旅行に行くのを我慢して、配当を再投資しなくてはならない。

・・・

・・・

それはどうなんだろうかって最近よく思います。

う配当なんて無理に再投資しなくていいんじゃないかなって最近思うんです。

 

 

配当金を無理に再投資する必要はない。
株式投資は人生を楽しく生きるための手段に過ぎない。

あなたはなぜ株式投資をコツコツやっているのでしょうか?

それは株式投資を続けるとお金を稼げるからだと思います。
では、なぜお金が欲しいのでしょうか?
それは、やはりお金がたくさんあった方が人生を楽しく豊かに過ごせるからだと思います。

そうお金はあくまでも手段ですよね。
そのことを再認識せねばと思っています。

株式投資をしている目的を改めて思い返すべきかもしれないなって最近思います。

とにかく金融資産を積み上げて億万長者を目指すというのも決して間違いだとは思いません。
生き方、人生観に正しいも誤りもありません。人それぞれです。

億単位の金融資産を積み上げることに喜びを感じるのは普通だと思います。やっぱり、自分が億レベルの資産を持っているとなんだか優越感を感じますよね。特に男は動物本能的に、社会的資源をたくさん保持したいという願望が強いと思います。億万長者になりたいという願望は、特に男性にとっては自然な感情な気がします。

ただ、本当に自分にとって、ただただ株式資産を積み上げるだけで満足なのかはよく自問したほうがいいと思います。

ここは正解不正解はないです。あるのは自分の価値観だけです。

 

私は20代前半で社会に出たばかりの頃は、とにかくお金持ちになりたかったです。大学卒業するまでが貧乏過ぎたのでとにかく金が欲しかったです。カネの亡者でした。学生時代は、学食で素うどんにするかきつねうどんにするかで真剣に悩むくらい金がなかったです。

仮にたくさんのお金を得てそれで何がしたいか、どんな人生を送りたいかなんて全く考えていませんでした。とにかく金さえあればいい。預金残高が毎年増えていけばそれで安心、嬉しいという状態でした。

でも、株式投資を5年ほど続けてきて今は考えが変わりました。
ただ金融資産を積み上げてお金持ちになってもしゃあないなと思っています。

 

今の楽しみを犠牲にしてまで、金融資産に投資を続ける意味はないと思っています。
私たちには「今」しかないわけです。
「未来」はいつも不確実です。

人生なんていつ急にプツッと途切れるかわかりません。ドラクエでも、余裕ぶっこいてダンジョン進んでいたら雑魚的に負けてゲームオーバーになることたまにあります。ドラクエは前回セーブした時点からリスタートすればいいですが、人生はそうはいきませんから。

今この瞬間を有意義に後悔なく生きることが一番大事なんだろうなって思います。

 

ホリエモンは著書『多動力』でこんなことを言ってました。

人生に目的なんてない。
今を楽しむことだけが、すべてなのだ。

堀江貴文『多動力』


私もこのホリエモンの価値観に共感します。

今を大切にしたいです。
未来に過剰な期待はしたくないです。

今を楽しまないで、年寄りになって金だけあっても仕方ないかなって思います。まあ金がないおじいちゃんにもなりたくないですけど。そもそも、自分がおじいちゃんになるまで生きることができるかもわかりませんが。こんな平和な時代に豊かな日本で生きているだけで素晴らしいとも思います。

 

 

ブログを運営していて一番嬉しい時は、「このブログを見て米国株投資始めました!」っていう連絡を読者さんから頂いたときです。

文章は人の心を動かせると、文章で人の人生を改革できると私は信じています。素人ながらそういう信念を持ってブログを書いているつもりです。

人生が大きく変わる時って、先生とか恋人とか親友と呼べる人と出会う時だと思います。人との出会いほど人生にインパクトを与えるものはありません。文章とは人と人との出会いであり、コミュニケーションです。ただ意思疎通の手段が文字なだけです。

そうであれば、文章で他人の人生に影響を与えることができないわけはないと思っています。

私自身、文章の力にとても影響された人です。

私が投資を知ったきっかけはブログではなく書籍でしたが、これも文章です。勝間和代氏、山崎元氏、内藤忍氏などの投資金融関連の本を読んで、株式投資に抱いていた先入観がガラガラと音を立てて崩れ落ちていきました。株式投資はギャンブルじゃないんだって知りました。

証券市場の番人たる公認会計士の勉強をしていたにもかかわらず、株式投資=ギャンブルだと思い込んでいました。そんな自分の誤った認識を正してくれたのが先人の方々の文章でした。

金融の勉強をして、正しいマネーの知識を身に着けて、正しい株式投資を実践すれば誰でも経済的に豊かになれるんだって知りました。私みたいな貧乏庶民でも、資本家としてお金持ちになれる道があるんだって知ってワクワク興奮した気持ちになれました。

そんなワクワク感をもらった文章を今度は自分が書ければいいなって思ってブログ始めました。なので、「ブログ見て米国株投資始めました!」というコメントやメールを頂くととても嬉しいです。

なんですが・・

本当にそれでいいのかなって悩むときがあります。

このブログを通じて低コストなS&P500ETFなどを活用した長期投資を知ってもらって実践してもらい、果たしてそれで、その人の人生を本当に幸せにできているのだろうかって疑問に感じる時があります。

「俺ももう65歳でサラリーマン引退か。30歳の時に偶然Hiroって奴のブログを見て米国株投資を35年間も地道に続けて今や俺も1億円の資産を持つ億万長者だ。ふ~、ここまでよく頑張ったもんだぜ、俺ってば。この1億円何に使おうかな・・。あれ、よく考えたらお金使ってやりたいことって特にないなあ。どうしようこのお金。。てか俺って何のためにここまで頑張って節約して株式投資を続けてきたんだろうか?」

こんな風に思われたら嫌だなって思います。嫌というか、自分がブログで情報発信して読者を投資の世界に引き込んでおいて、結局その人の人生を不幸にしてしまう恐れがあるんじゃないかって悩むときが最近あります。

 

以前、こんなコメントを読者さんに頂きました。

残高が積みあがっていくのが楽しくなってきている現状では、資産が増えても贅沢にならないのではないかという気がしています。

(中略)

一周回って何のために投資してるのかわからなくなることもあります。


この気持ちすごくわかります。
共感しました。

うんうんそうですよね、株式投資を地道に続けていると一周回ってなぜ投資しているのかわからなくなることって、長期投資家あるあるではないでしょうか。

 

改めて、自分が何のために株式投資を続けているのか?
どういう人生観を持っているのかってことを考えることが大切かなって思います。

株式投資を続けること自体は大切だと思っています。そこは自信を持って主張できます。なんらかの手段で資本所得を持たないと、どうしても資本主義社会では経済的に苦しくなりがちです。最も手軽に資本所得を得られる手段が株式投資です。私はこれからも米国株投資を続けていくつもりです。

やっぱり、先立つ金をある程度持っていないと何をやるにも選択肢が狭まりますし、心に余裕をもって生活できません。心に余裕がないと人に親切にする余裕もなくなると思います。

うちの親父はしょっちゅう酒に溺れていつも不機嫌でしたが、それは結局金がなかったからだと思います。住宅ローンや自動車ローンの支払いで可処分所得がほぼゼロで、経済的な余裕がなく心にも余裕がなかったんだと思います。だから、巨人が試合に負けたのに憤って僕のガンダムプラモデルを突然ぶん投げて壊したりするのです(幼少期のトラウマw)。

ある程度お金がないと幸せな人生を送れないと思います。それは絶対にそう思います。
金がなくても愛情と優しさに包まれた家族がいれば人生幸せだなんて言える人は稀だと思います。

お金がないと幸せになれない。確かにそうです。でもそうだとしても、あまりに「今」を犠牲にして未来にお金を繰り延べるのもどうかな~ってここ数年よく思います。

今を後悔なく楽しく生きるってのが先ず大切であって、それでも余ったお金はきちんと株式で運用するっていうスタンスがいいのかなって思います。

今を楽しむなんて言ったら、有り金全部使っちまうわっていう人もいるかもしれません笑。
そういう人もいるかもしれませんが、普通は違うと思います。今を楽しむことが大事だから、貯金300万円全額使って高級キャバクラで豪遊するぞ!っていう人は多くないと思います。

今を楽しむこと=今持っているお金を全部使う、ってわけではないと思います。

2万円の高級ディナーに毎日行っても気疲れするだけだと思います。同僚や一人で飲むなら、赤提灯の焼き鳥屋の方が美味いくらいです。

私はこのブログで米国株への長期投資を推奨しています。そこは信念を持って主張しているつもりです。米国の優良株への投資が、個人にとって最も合理的な長期運用方法だと確信に近いものを持っていますから。

ただ、今を楽しむことをあまりに犠牲にしてまで株式投資を続けるべき、というのは私が伝えたいメッセージではないなと気付きました。株式投資は人生を楽しく生きるための手段であって、株式資産を積み上げることそのものを目的とするのは止めた方がいいと思っています。

ブログ副題の「億万長者になる!」というのも変えようと思います。億万長者になることが株式投資の目的になってはいけないと思います。少なくとも私の目的はそこじゃないです。

 

「どう生きるのが幸せかな?」って考え悩んでいる人は大勢いると思います。

ホントに贅沢な悩みだと思います。ありがたい話だと思います。

そもそも生物的に考えたら、動物なんて生まれて生殖活動を通じてDNAを後世に残すことだけが生きる目的です。

セミなんてまさにそんな一生を送ります。10年以上土の中で幼虫として過ごして、成虫になって生きれる期間は約1カ月です。しかも天敵も多い(含人間)。その1カ月の成虫期間になんとか交尾して、あっという間に地上での一生を終えます。交尾できないセミもたくさんいるそうです。

人間も昔はそうだったと思います。

こんな話を聞いたことがあります。戦後すぐの平均的女性の一生です。10代後半くらいまでは家事手伝いをしながら学校で勉強する。二十歳前後で結婚して子供を数人産む。忙しい子育てが一段落する頃には自分も寿命を迎える。

終戦直後の日本人の平均寿命は約50年ほどだったと言われます。

昔は人間もこういう動物に近い一生を送ることが普通だったのかもしれません。もちろん華やかな文化も生まれたので、完全に動物的一生だったとは思っていませんけどね。あくまで相対的な話です。

現代は違います。医療の進歩で寿命も健康寿命も延びているし、仕事もシステム化が進んで人がやれることが減っています。

人々は(特に先進国の)めちゃくちゃに暇になりつつあるんだと思います。暇があるから「人生を如何に生きるべきか?」なんて疑問が生じるのだと思います。

普段仕事で忙しいよ!って思っているかもしれませんが、私たち人間はかつてないほど余暇時間を持て余しているのかもしれません。

そして、それはこれからもっと進行すると思います。週休3日なんてそう遠くない未来実現するかもしれませんよ。プレミアムフライデーとか言い出すくらいですから。

余暇の時間が増えるのはありがたいことです。私たち現代人は、確実に過去の遺産で食っています。先人の方々に感謝しなくてはならないと思います。

ただ余暇が増えれば、それはそれで人に悩みをもたらすのでしょう。

 

昔は「どういう人生を送れば楽しいかな?生き甲斐があるかな?」っていう疑問をあまり抱かなかったと思います。ただ日々を懸命に生きる、忙しく毎日を過ごす、そして気が付いたら寿命を迎えるみたいな感じが普通だったのではと思います。

今は違います。
色んな人生のコースの選択肢があります。

「ナンバー1にならなくていい、元々特別なオンリー1」なんていう歌詞の歌が結構前に流行りましたが、現代人の生活環境の変化・多様化をうまく表していると思います。色んな人生コースがあるということですね。

人それぞれ、どう生きるか色んな選択肢があって悩むことが多い時代かもしれません。結婚するしないなんていうのも、その例の一つだと思います。

どう生きるのが幸せかということに関して絶対解はないですが、やっぱり今をとにかく全力で楽しむというスタンスでいることが一般解なのかなって思います。ホリエモンが言うように。

 

私の好きな言葉です。
「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。」

これはマハマト・ガンジーの言葉です。

「学びなさい」とは決して机に座って勉強しろって意味ではないと解釈しています。時間を忘れて熱中して没頭できることを見つけて、子どもに戻ったかの如くそれを楽しみなさいという意味だと思います。「明日死ぬと思って」それをやりなさいってことだと解釈しています。

今という時間を本気で楽しむことが大事なんだろうなって思います。

この一節を一番大切にしていますが、もう少し続きがあります。

「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。あなたの夢は何かあなたの目的とするものは何か、それさえしっかり持っているならば必ずや道は開かれるだろう」

あなたの夢、あなたの目的は何なのかそれをしっかり持てとガンジーは言っています。自分の価値観や人生観を確立させて、自律しろということだと解釈しています。

 

今を楽しむためにお金が必要であれば、その楽しみより投資を優先する必要性は全くないと思います。

大事なことはただ株式資産を積み上げるのではなく、自分の人生の価値観や目的をなるべくはっきりさせて、自分が幸せを感じる急所を自覚して、その実現のために株式投資を利用することだと思います。

無理に配当を再投資する必要なんてないと思います。
株式投資は、楽しく生きるための手段に過ぎません。

20年後、30年後「自分の人生に後悔はなかった!」とあなたが自信を持って言えるように、株式投資を徹底的に利用し尽して欲しいです。株式投資に飲み込まれないで欲しいです。