社会人になったら日経新聞には目を通しておいて当然という風潮があります。経済ニュースは一通り把握しておくのは当然的な。

昔は「その通りだ!日経すら読まないなんて社会人失格だ!」くらいに思ってましたが、最近はそんなこと全く思わなくなりました。むしろ、社会人になったら日経読むべきってただの洗脳なんじゃないかとさえ思います。

人生は有限です。その有限の人生をどう生きるかは人それぞれです。経済ニュース読むのが楽しい人(僕はこのタイプ)、サラリーマンとしてのキャリアアップを求める人などは日経に目を通す意味があるでしょうけど、そうじゃなければ別に社会人だからって無理に日経読む必要なんて全くないと思います。

結局、自分が楽しいと感じることに有限な時間を充てればいいだけかなって思います。経済ニュース読むよりモンストする方が楽しければ、通勤電車でWSJなんか読まずにモンストした方がきっと有意義な時間になるはずです。

 

固定観念を持たずに自分が楽しいと思うことを追求していくことが、後悔のない良い人生を送る秘訣なのかなって最近よく考えます。だから他人に左右されずに自分の価値観を持つことが大事ですね。

ただ一つ考えるべきことは、自己中心過ぎると社会で生きていけないということです。楽しいことだけしたいと思う気持ちは当然ですが、必ずどこかで社会と折り合いをつける必要があります。ゲームが好きだからって、社会に出ずに家に引きこもってしまっては生活が破たんします。

どこかで自分以外の第3者の利益に貢献しないと、この社会では生きていけないようになっています。「働く」とは「傍(はた)を楽にする」が語源ですが、誰かの生活を楽にしてあげて他者貢献することでお金を得て、そのお金を使うことで社会で生きていけます。それが経済です。経済とは人と人との助け合いです。ホームレスを許容しない限り、この経済の輪の中に参加する必要があります。つまり、必ず誰かを助けてあげてその対価としてお金を頂くということです。サラリーマンの仕事も間接的に社会の誰かの生活を支えています。

と、まあこんな感じでどこかで社会との折り合いをつけて働いてお金を稼ぐ必要はあるものの、必要以上にお金を遮二無二稼ぐ意味なんてあるのでしょうか。自分(と家族)が生きるのに必要なだけの他者貢献をしちゃえば、後は好きなように自分の時間を生きる方が楽しそうです。仕事は仕事で成果が出ると承認欲求が満たされて快感を覚えるところはありますがね。

普段、健康でいる間は特に意識しないのでしょうが、人生の晩年に「あ、俺は今まで働き過ぎていた・・」と後悔する人は多いらしいです。社会を取り巻く何となくの雰囲気、常識から嫌々日経読むくらいなら、好きなスマホゲームやってた方がいいんじゃないでしょうか。