Grow Rich Slowly シーゲル流米国株投資で億万長者になる!

米国株投資を通じて資本主義社会を豊かに楽しく生きる

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お金を稼ぐのは好きだけどお金を使うのはあんま興味ないみたい、僕は。

   

働いてお金を貯めて毎月米国株に投資しているけど、ただただ資産を増やすだけでは意味がない。お金は何らか消費として使ってこそ意味があるはずだ。株式投資は人生を楽しく生きるための手段であって目的ではない。運用額もそこそこ大きくなってきたし、これからはお金を積極的に使って投資はほどほどにしよう!

みたいなことを真剣に考え悩んでいた時期がありました。つい1、2年前のことです。

で、何となく自分の心理がわかってきたのですが(今さらかいw)、どうやら僕はお金を稼ぐことには興味があるのですが、お金を使うことにはあんまり興味がないようです。何でかよく分からないけどそれが本音です。稼ぐだけ稼いで使わないって傍から見たら損な奴ですよね。

お金を稼ぐことにはめっちゃ興味があります。もっともっとお金を稼ぎたい。会計やファイナンス、簿記のスクールっぽいのをWeb上で開講してビジネスできないかとか、本気で考えたこともありました。世の中そんな甘くないことは重々承知しているので、サラリーマンを安易に辞めるようなことはせずに副業としてやれないかと。ただ、そんな甘っちょろい態度では時間も確保できず、真剣度も足りず結局挫折しているわけですがね。。

お金を稼ぐのってなんだか快感です。株価が上がって資産価値が上がるのはあまり稼いでいる感はないのですが、経理の仕事をしてお給料をもらったり、株式投資で配当をもらったり、ブログでアフィリエイト収入を貰ったりするのは素直に嬉しいです。ブログのアドセンス広告収入も、所詮自分は広告主の「場」を提供しているだけで、社会に直接的な付加価値を生めている実感はないのですが、それでも自分で稼げたお金ってことで入金された時は嬉しいです。

なんでお金を稼ぐことに快感を覚えるのか、、まだ自分の心理状態をいまいちメタ認知できてなくて言語化が難しいんですが、何て言うか、、結局社会からの承認を自分は求めていて、その承認欲求を満たすもっとも手っ取り早い方法がお金を稼ぐということなのかなって思います。

 

「関ヶ原の合戦が行われていた頃、僕の意識はどこにあったんやろうか?」とか、こんなこと昔よく思ってました。変なこと考えていると思われるかもしれませんが、よくこういうこと真剣に考えてたんです。戦国時代って確かにあったんですよね。つい500年前には鉄砲でバンバン打ち合っていたんですよね。その時、自分の意識はどこかにあったんやろか?って。自分が今こうやって意識を持ってこの世で今生きていることが不思議過ぎて仕方ないです。500年前僕は死んでたってこと?みたいな疑問です(変な疑問ですよね・・)。

われわれが存在するかぎり死は現に存在せず、死が現に存在する時には、もはやわれわれは存在しない

エピクロス(古代ギリシアの哲学者)

 

ビデオや写真で自分が存在する光景を目にすると違和感を感じます。自分で自分の声を聞くと不思議な感じがします。「え、俺ってこんな声やったんや」って思ったこと一度くらいありませんか。僕は監査法人の新入社員研修で、自分の1分間スピーチをビデオに録画してみんなでそのビデオを見て意見を言い合うという研修がありました。あれはめっちゃ嫌でしたね。恥ずかしいったらありゃしない。当たり前ですが、自分の視界の中には普段は自分自身はいませんから、自分の存在しない世界がいつもの普通の世界です。なのに突然、自分が存在する世界をビデオとかで見せられると凄まじい違和感を覚えます。

僕は自分の力だけで自分自身の存在を規定することができないです。じゃあどうやって規定するかと言えば、それは社会しかないです。社会からの評価、承認なくして自分の存在を認めることができないです。その社会からの評価、承認が最大限に抽象化されたものがお金です。お金は「社会からのありがとうの気持ち」だと思っていて、お金を稼ぐってことは社会のお役に立てているということの証だと言えます。

自分が存在していることが不思議で、いつもグラグラ揺らいでいます。今にも消えかかりそうで、半分透明人間みたいな感じです。そんな自分が消えないために、自分の存在を認めてくれる主体を必要としていて、それが社会です。消えかかりそうな僕にお金振りかけてもらうことで(ふりかけみたいに)、何とか透明になって消えてしまわずに実体を維持できている感じです。

承認ってお金だけじゃないです。上司から褒められるのも承認かもしれません。同僚から仕事の相談をされる、好きな女性に部屋に上げてもらえる、こういうのも承認ですよね。なんですが、僕はそれらの金銭を伴わない承認にあまり興味がないようで・・。ちょっと金銭至上主義みたいなところがあります。ちょっと自分の嫌いなところです。お金を払ってもらえるくらいに価値を発揮して初めて社会に認められていると実感できます。やはり人はどうでもいいことにはお金を払いませんから。

あ、何か思っていることを淡々と書いただけのつもりでしたがちょっと根暗な話になってしまいました、すみません。

まあ、後は単純にたくさんお金を稼げると生活に自由度が出るからってのも大きいです。どんなライフスタイルを選ぶにしても、お金があれば経済性がネックになってその生活を諦める必要はなくなりますから。「自由」という言葉は僕が大事にしている価値観の一つです。それから、ある程度稼いで自分に自信がないと、女性に対してあまり積極的になれないというのもあります。経済的バックボーン無しに好きな女性をデートに誘えるようなそんな魅力のある男じゃないんで、、僕は。社会人になってからの方が自分に自信が持てて、女性に声を掛けるのに抵抗がなくなりました。学生時代なんて・・(以下略)。

社会で生きていくには嫌でも社会からの承認(=お金)が必要ですが、僕はその承認欲求が人より強いのかも。

 

 

っちゅうわけで、何か「どうしてもこれが欲しい!」という目的があって仕事を続けているわけでも、株式投資を続けているわけでもないです。よって、お金を使うことにはあまり興味がないです。

世の中、色んな価値観の人がいてだからこそ色んな商品が溢れかえっています。パネライの腕時計に50万円の価値を見出すことは僕はできませんが、ファンの人にとっては50万円出す価値があるわけです。だからこそ、パネライのビジネスは成立しています。乃木坂46のCDを100枚(10万円!)買う意味が僕には全く理解できませんが、ファンの人には10万円払う価値があるわけです。(ところで、最近友人の影響で乃木坂46の動画をYouTubeで観ることがあるのですが、みんなめっちゃ可愛いですね。最近のアイドルレベル高!って思いました。僕のアイドルの記憶はモー娘。の辻ちゃん、加護ちゃん辺りで止まっていますので。「恋愛レボリューション」あたりです・・。)

この前、友人(女)が「彼氏にグッチの10万円のスニーカー買ってもらいたい。」と言ってて度肝を抜かれました。スニーカーで10万円って、んなの買ったら部屋に一生飾っておきたいくらいですw。汚れるのが怖くて履けないです。

人の購買意欲をそそるために企業はあれやこれやとマーケティング戦略を練っています。それで経済は回っています。最低限の衣食住のためだけに使われるお金なんてGDP全体のほんのごく僅かです。「最低限」の定義は曖昧ですが。

せっかくの企業努力に対して申し訳ないのですが、僕は「どうしてもこれ買いたい!欲しい!」という感情になるようなものがありません。あまりお金を使って何かすることに快感を感じないです。無趣味です。むしろ「どうせ商売だろ・・」って斜に構えて楽しめないことが多いです。自分もその商売で稼いでいる身なんですがね。

「お金は使わないと意味がない、なるべく積極的にお金を使おう」と意識的に思っていますが、だからって全く欲しくないものをわざわざ買う意味はないと思っています。「店でラーメン食べる時ケチらずに煮卵とチャーシューのトッピング付けよう」くらいですかねw。僕が節約マインドを取っ払ってお金を使うマインドに切り替えても、正直こんなもんです。ちなみに、昔25歳前後の時かなりの節約生活を自分に課していたのですが、その時はラーメンにトッピングどころか外食自体基本なしでした。1食200円~300円くらいに抑えていました。

ラーメンに好きなだけトッピングを付けれるだけでかなりストレスフリーです。こうやって些細なことを気にせずお金を使えることが大事なのかもしれません。それも「自由」の一環でしょうか。

 - 雑談