普段、サラリーマンとして仕事をしてお金を稼ぐのは大変ことだと思います。月収30万円稼ぐのがどれだけ大変で苦労の多いことかってことは、サラリーマンのあなたはよく理解していると思います。

毎朝決まった時間に起きて電車に乗って出社する必要があります。性格合わないな~と思う上司でも、部下として指示に従う必要があります。顧客の無理難題な要求に深夜まで残業して応えている人もいるでしょう。同僚との人間関係が今一つうまくいかないな~と悩んでいる人だって大勢いるでしょう。

仕事をしてお金を稼ぐってことは、赤の他人に商品やサービスを提供して感謝してもらうということです。現代人はホントに良いと感じたものにしかお金を払ってくれないです。ネットでいくらでも口コミを確認できる時代です。資産家ではなく普通の家庭に生まれても物質的には満ち足りていると感じている若者が多いのが現代です。

そんな豊かな時代に、人の感情を揺さぶって感動させてお金を払ってもいいと思わせるような商品・サービスを提供するのは簡単なことではありません。

仕事を楽しくできるに越したことはありませんが、本当に遊びみたいに仕事を道楽化できる人なんてそういないと思います。仕事とは自己中心ではなく他者中心に物事を考える必要がありますが、それを心から楽しみながら行える人はごくわずかだと思います。

仕事は仕事だと割り切った方がスッキリするもんかなって最近思います。仕事はマネタイズの手段だと割り切るということです。自己実現みたいなものを仕事に持ち込まない方がいいのかな。「好きを仕事」になんてクソ喰らえ!って感じですかね。いや、もちろんそうできることに越したことはないですが。

働くのってどうしても自分の本能レベルの発想や行動に逆らうことになりがちです。お客と自分の価値観は普通は異なりますから。自分の主観を貫き通したその先に社会の需要が待っていることもあるかもしれませんが、それよりは初めっから無理矢理にでも客観的でいた方が手っ取り早い気がします。

あまりに客観的な態度を持ち続けると人生がつまんなくなるのですが(笑)、それでも仕事は”客観の時間”だと割り切った方が案外気楽なのかもしれないな~と考える今日この頃です。

「好きを仕事に」とか考えない。仕事はマネタイズの手段、生きるためにお金を稼ぐ手段だと割り切る発想の方が健全なのかもしれません。てか世の中の大半の人はこの発想でしょうかね。

「自己中心的行動=利他的行動」という式が成立するケースはかなり稀だと思います。いや完全に成立することはあり得ないでしょう。自己中心的に楽しみながらマネタイズしているように見える人でも、見えないところで人知れず苦労しているもんだと思います。常に主観的でいながら社会の需要を満たすのは普通は困難です。

ジャニーズのイケメン達は世の女性に癒しと夢を与えています。でも噂によると仕事終わりの夜の街での態度はかなり悪いことで有名らしいです。そりゃ、ストレスの溜まる仕事でしょうから仕方ないかもしれませんが。そんな悪態をついているところをファンの女性に見せるわけにはいきません。じゃあ、彼らがテレビやコンサートで見せている姿は偽りの姿なのか・・?
そう偽りでしょ。でも偽りでいいじゃないですか。そういうもんでしょ。仕事とはそういうもんでしょ。彼らもあくまでも仕事として演出しているわけです。

ってなことをいちいち分析的客観的に考え出すと、人生つまんなくなるから気を付けて下さい(笑)。仮想現実も立派な現実です。映画「マトリックス」の世界はそんなに非現実的でもないと思います。所詮人がどう感じて認知するかの問題です。人は感情で生きています。

ところで、自分含めて男って感情よりも論理を優先しがちなところがあってそれで人生損しているかもしれないなと思う時があります。女子高生が原宿で買い物している時に「このワンピース超かわいい~!」って言っているくらいに感情に従って生きた方が、人生の幸福度は増すんじゃないかなとか思います。まあ論理的に考えるのも知的で楽しい時もあるんですけどね。

 

 

お金を稼ぐとは赤の他人の人生にプラスの影響をもたらすということであって、それはやはり簡単なことではないですよね。人の感情は複雑ですし。

ホリエモンは『好きなことだけで生きてく』という書籍を出版していて、「人は好きなことだけで生きていける」と言っています。

確かに、ネット時代は自分の「好き」でマネタイズできる環境は整っていると思います。ですが、こういう有名人の言葉を真に受け過ぎてもいけないと思います。

今までニートで引きこもって親の脛をかじって生活していた人が、ホリエモンの言葉を聞いて「よし、俺も好きなことで稼げるんだ!」と思って急にネットゲーム配信をしてもそんなうまくいくわけありません。急にブログ開設して月収20万円稼げるわけありません。誰もがイケダハヤトさんみたくなれれば人生苦労しません。

ホリエモンが今までどれだけ人生で苦労してきたかを知るべきです。彼は牢屋に入っても挫けずに書籍を読み続けてメルマガ書き続けることができるくらいにメンタルの強い人です。並大抵の人じゃないと思っています。それとホリエモンは東大出身だという点もお忘れなく。

世の中楽して稼いでいる人はいないです。気楽にお金を稼いでいるように見える人でも、今までの血のにじむような努力やリスクテイクが背景にあるのが普通です。

自分が楽しいと心から思えること(例えばテレビゲームの実況中継)でお金を稼いでいる人であっても、必ず他者利益に貢献するような努力を陰でしているものです。人を楽しませるために、人を笑顔にするために、恥じらいを気にせずに余計なプライドを捨てて努力している人はたくさんいます。

あまりブログでネガティブなことを言うのは好きじゃないのですが、やはりお金を稼ぐというのはそんな生易しいことではないと思います。特に日本人は、サービスの品質に対する要求が高いですから。普段当たり前のように享受しているサービスのクオリティーが高過ぎて感覚が麻痺しているかもしれません。

 

 

長期的にお金を稼げることには、形式は違えど社会への価値貢献という側面が必ずあります。そして、社会への価値貢献とはそんな簡単なことではありません。

長期株式投資も同じく社会への価値貢献です。長期的に株を保有すれば投資額によっては数千万円以上の利益を手にすることができます。

なぜ、そんな多額のお金を稼ぐことができるのでしょうか?
無から有は生まれません。(長期的に)お金を稼ぐとは必ず社会の誰かの需要に応える必要があります。

株式投資には直接的なお客さんがいないから、株式投資を通じて社会に貢献している実感がないというのはとても共感できます。表面的にはネット証券で株の売買をしているだけですからね。

でも、株式投資は間違いなく社会へ価値を生んでいます。

株式投資という仕事の顧客は誰でしょうか?

敢えてそれを言うなら世界中のすべての人と言えるでしょうか。

世界中の誰かが株式会社の事業リスクをテイクする必要があるわけです。誰でもいいから、とにかく誰かが株を保有すると名乗りを上げてくれないと資本主義社会は成立しません。株が暴落しても株価が付いているということは、誰かが株を買っているということです。

所詮個人の株式投資なんて流通市場での株の売買だろ、実際に資金を企業に提供しているわけじゃないだろと反論する人が稀にいますが勘違いも甚だしいです。発行市場と流通市場に本質的な違いはありません。なぜなら、株式投資の本質とは資金提供ではなく事業リスクの負担だからです。

誰もが株を買わないと言い出したら株は大暴落します。そんな暴落後の安値でも誰も株を買わないと言い出したらどうなるでしょうか?
資本主義社会は崩壊してしまうかもしれません。まあそんな事態が起これば中央銀行が株を買うことになるでしょうが。

株を買うのを嫌がるのは損する可能性があるからです。ビジネスには不確実性は付き物ですから、それは仕方ないことです。でもそんな株式でも誰かが保有しないといけないのです。誰かが事業リスクを負担しないと社会は回りません。

みんながビビッて嫌がる株式だけど、それを「はい、僕が買います!」と名乗りを上げてリスクを背負うことが株式投資の社会的意義だと思います。

株式を買うとは人が嫌がることを代わりにやるということです。人が嫌がることを代行することは仕事になるのです。経済とは人と人との助け合いが本質です。Aさんができないこと、やれないこと、やりたくないことを代わりにBさんがやることが経済です。

株式投資とは小学校のトイレ掃除みたいもんですよ。トイレ掃除はみんな嫌がるけど誰かがやらないといけないですよね。トイレ掃除をした小学生は特にリターンは貰えません、ちょっと先生に褒められるくらいかな。でも株式投資はきちんと金銭的リターンを得られます。株式投資とはトイレ掃除をやって給料もらうみたいな感じかもしれません。給料貰えるだけでありがたいです。

株式投資は小学校のトイレ掃除みたいなもんなので、臭くて辛いな嫌だな~と思うこともあります。

株式投資で辛いことと言えば、、株価暴落です。

株価暴落はやっぱりしんどいことですよね。
私はリーマンショックは経験してないけど。

自分が100万円以上投資しているアルトリア・グループの株価が先日15%以上も一時下落している様子をスマホで見ていて、心穏やかではありませんでした。これ以上の下落が全銘柄に襲い掛かるとしたら、、やはり怖いです辛いです。布団の中でスマホアプリで株価見続けて眠れない気がします。

株式投資の利益とは配当です。配当を長期的にいかに積み上げて最大化するかが大事だと頭では理解していても、株価に心を揺さぶれるときは多くあります。それが本音です。

それでも、私は株を売るつもりは一切ありません。

なぜなら、株を保有し続けてリスクを取り続けることこそが株式投資を通じての社会貢献だと信じているからです。社会に価値貢献せずしてお金を稼ぐことは無理だと思っているからです。

一時的なラッキーマネーを偶然稼ぐことは長く生きていれば稀にあることですが、長期的にEarn moneyするには社会への価値貢献という視点は欠かせないと思っています。

株式投資は小学校の担任の先生から命じられたトイレ掃除だと思って、これからも嫌でも愚直に続けます。トイレ掃除みたいな人が嫌がることをやることは社会的な価値があると思ってますから。しかも、株式投資にはレバレッジというおまけも付いていますし。

 

株を売るつもりは一切ないと言いましたが、別に無思考に常に株をホールドし続けるべきという意味ではありません。

将来衰退すると思っている銘柄があれば、それを売却するのは当然です。

社会的に必要とされない企業の株を持ち続けることが社会への貢献になるでしょうか?

どんな企業であってもリスクマネーを必要としています。リスクマネーを供給することは無条件に価値あることだと言えなくもないです。ですが、社会から必要とされずに沈んでいく船にお金を投じることは、資源の無駄使いとも言えます。結果論ですが。

何でもかんでも常に無思考に株をホールドし続けることが正しいと言うつもりは毛頭ありません。別にあなたが買った株に愛情を抱いて死ぬまで寄り添い続けろと言うつもりはありません。

言いたいことは、(長期)株式投資でお金を稼ぐとは小学校のトイレ掃除みたいなもんだから、途中しんどい辛いと思うことがあるのは当然だということです。それから逃げてばかりいては絶対に投資でお金を稼ぐことはできません。

買った株が30年間常に右肩上がりでキャピタルゲインが増え続けて、配当も貰い続けることができるなんて淡い期待は捨てた方がいいです。

そんな幸せなトイレ掃除はありません。トイレ掃除は嫌かもしれませんが、それは自分に与えられた社会的役割だと割り切って粛々とこなせばいいのです。トイレ掃除が終わったら、好きなだけ友達とドッチボールして遊びまくればいいんじゃないですかね。

トイレ掃除とドッチボールは完全に切り離した方がいいと思うんですよね。ドッチボールしながらトイレ掃除って難しいですよ。

トイレ掃除(株式投資)はただ世の中から必要とされていることだから、マネタイズの手段として粛々とやるというスタンスで全く問題ないと思います。そこにやりがいとか求める必要はないとないと思います。会計や財務が嫌いでもせっかく株式投資の世界を知ったのなら、やり続ける価値はあると思います。

株式投資なんてあなたの人生の枠外に置けばいいんです。で、株式投資で得たお金で好きなように自分の人生を主観的に感情的に楽しめばいいと思います。論理的客観的であることはクソつまらないことなんですが、株式投資と向き合う時は論理的客観的でいた方がいいと思います。

タバコが嫌いでもタバコ銘柄への投資が儲かると思うなら、フィリップモリスにガンガン投資すればいいと思いますよ。