米国株の特徴として、決算内容に素直にマーケットが反応するという点があります。アナリスト予想と比較して良いか悪いかで株価が素直に動きます。

売上高や(調整後)EPSがアナリスト予想を超えたか否かという点です。

個人的には四半期単位のEPSなんて多少いじれるもんなのであまり信用し過ぎない方がいいと思います。売上高はほぼ操作不能なので信頼してよいと思います。

あと、翌期のガイダンスも材料になります。

決算を通過することで株価が大きく動きます。

IBMは直近の決算発表後5%ほど下落しました。
AT&Tやベライゾンは8%以上も急上昇しました。

企業は決算発表の前でも後でも淡々とビジネスを続けています。経営者、幹部は株価を常にウォッチしているでしょうが、一般の従業員なんて自社の株価変動なんて全く気にしていない人が大半でしょう。持ち株会に入っていれば別でしょうけど。

あなたも普段働いている中で、自分の会社の株価変動を意識する時なんてほとんどないはずです。

決算発表をきっかけに、企業の株価(評価額)は、成熟したバリュー株であっても10%前後動くことがあります。

グロース株はもっと急激に変化します。
先日フットロッカー(FL)が第2四半期決算を公表しましたが、内容は悪くその後FLの株価は25%以上も大暴落しました。

果たして、決算発表日の前と後とでそんなに企業の価値が変わっているのでしょうか?

一つ確実に言えることは、企業の実態は何も変わっていないということです。

株価が急上昇する前も後も、AT&Tの社員は普通に出社していつものように仕事をしていたはずです。株価が1割上昇して急に社内の雰囲気や仕事内容が変わるわけでもない。

変わったのは投資家の将来予想であり、マーケットの企業への期待感だけです。企業の実態は決算発表日前後でも一切変わっておらず、ただただ外部の評価額が変わっているだけです。

7月25日のAT&T株価は36ドルで、28日の株価は39ドルです。たった3日で10%近くも上昇しています。

25日の36ドルという株価と、28日の39ドルという株価どっちが正しいのでしょうか?
どちらかがより正しい株価と言えるのでしょうか?

だって、たった3日間しか経っていないんですよ。3日間では企業は何も変わりません。月曜に出社した社員が木曜日になって「そろそろ仕事のエンジン掛けるか~」とか言っているくらいでしょう。

7月25日のAT&Tの36ドルという株価はマーケットのミスプライシングでしょうか?
3日後の28日の39ドルという株価こそが正しいプライシングなのでしょうか?

さあ、それはわかりません。
株価に正しいも誤りもないと思います。

 

 

というか、株式の値段(株価)の前にそもそもモノの値段って何なのでしょうかね?

私達は普段から当たり前のように、モノの値段を見て生活していますよね。

スーパーに行けば、
・納豆 100円
・お茶 150円
・ドレッシング 400円
・お寿司 980円
・たまご 198円
・ビール6本セット 1058円
とか色々と値段が設定されていますよね。

 

ユニクロに行けば、
・ジーンズ 1990円
・ポロシャツ 1290円
・シャツ 990円
・ジャケット 5990円
といった感じで、値段が設定されています。

 

スタバに行けば、
・ドリップコーヒー 280円
・スターバックスラテ 330円
・カフェモカ 400円
・キャラメルマキアート 380円
・〇〇フラペチーノ 490円
といった感じで、値段が設定されています。

 

車は新車なら100万円以上するのが普通ですし、新築マンションは3000万円くらいします。キャバクラに行けば1万円以上は掛かります。キャバクラにはグリコのポッキーが2,000円で売られていたりします(200円ではなく2,000円です)。

販売されている物やサービスには必ず値段が付いています。値段がないと、私達はいくら出せばそれを購入すできるかわからないので困ります。

あなたも子供の頃から、親からもらったお小遣いでコンビニでお菓子やジュースくらい買っていたと思います。子供の頃から、値段がある世界が当たり前となっています。モノに値段が付いていることに何の疑問も抱きません。

でも値段という概念は、全くもって自然発生的なものではなく社会的創造物です。モノの価値を数字で測るために値段というものを人間が勝手に設定しているだけです。

経済とは元々は単なる物々交換でした。魚と肉を交換する、肉と服を交換するといった感じです。お互いが交換するモノの価値が等価か否かは、客観的に測られるものではなく両者が合意すればそれでよいという曖昧な世界だったはずです。

そこに貨幣が介在し出すことで、事情が変わってきました。

物と物とを直接交換するのではなく、貨幣を間に挟んで物やサービスの交換をするようになりました。間に貨幣を介在させることになっただけで、今までお互い「なんとなく、これくらいなら等価交換だよな~」という感覚での取引ができなくなっていきます。

客観的な数字でモノに「値段」を付与しないと、貨幣と交換するには大変不便ですから。

そうして貨幣が誕生してそれが社会に普及することで、モノには「値段」が付与されるのが当然となりました。

「値段」とは貨幣の誕生によって、やむを得ず生まれたものだと考えられます。

そんなモノの「値段」とは何でしょうか?

「値段」とは、そのモノを手に入れることによって、どれくらい感情面で幸福になれるのかを数字で表したものかなと私は思っています。

原価がいくらとか、作るのにどれだけ苦労したか、とかそういうことではありません。買い手が、それをどれくらい強い気持ちで欲しているのか、という曖昧な感情の振れ具合を敢えて数字で表現した結果が「値段」として表されているんだと思います。

値段は需要と供給で決まるとはまさにその通りで、事業者側が1000円の価値があると思って値付けをしても、消費者側はいやいや800円ほどの価値しかないと思って1000円では買わないという判断をすれば、値段はいづれ800円に近づいていくはずです。

もちろん、実際に店頭で販売されているモノの値段はそんな頻繁に変わることはありませんが。

「欲しい」という気持ちがあるから、お金を払って買うわけですよね。
その「欲しい」という感情を視覚化したものがモノの値段だと思います。

結局、モノの値段とは人間の感情の起伏を表象したものに過ぎないというのが個人的な見解です。

モノの値段=人間の感情

 

そして、これは誰しもが納得することだと思いますが、人間の感情なんて超テキトーですよね。

・数年前は興味ないと思っていたけど、今は大ファンなアイドルがいる。

・「あいつはいつも無口で感じ悪い奴だな~」って思っていたけど、ふとしたきっかで一緒に酒を飲むと意外に面白くて楽しい奴だった。

・コーヒーなんて不味そうな黒い液体飲みたくない!って子供の頃は思っていたけど、大人になって飲んでみると意外に美味しいなと思った。

・A君ってカッコよくてスポーツできて素敵だなって思っていたけど、いざ付き合ったら浮気性で全然自分の事を大切にしてくれなくて嫌いになった。

人の脳は多数の神経細胞で構成されていて、神経細胞が電気信号を発して情報を流しています。大脳には数百億、小脳には1000億以上の神経細胞があります。人間の感情とは、私達が想像する以上に複雑な要因で揺れ動いています。

人の好き嫌い、評価がテキトーに変わるのは自然なことだと思います。

人間の感情なんてテキトーだし、それが普通だと思います。

そんな曖昧でテキトーな人間の感情に依存しているのがモノの「値段」です。

モノの値段=人間の感情=超テキトー

 

 

世間一般の商品の値段が普段はそんなに変化しないのは、人の評価がそれほど変わらない商品が大半だからだと思います。マックのビックマックに対する世間の評価はそう変わらないでしょう。

一方で、人に対する周囲の評価・評判はしょっちゅう変わるのではないでしょうか。真面目だと思っていた人だったけど、意外と人が見えないところで仕事に手を抜く奴だな~とか。中学生の頃は超美人で声もかけずらい雰囲気だったけど、大人になって会ってみるとそうでもないな~とか。

人に対する評価はコロコロ変わるもんですよね。特にプラスのイメージからマイナスのイメージに転落する時は一瞬だと思います。

ただ、人には「値段」が付いてないのでその周囲の評価の変動が目に見えないだけです。

人間関係のように時間とともに変化していくもの、段々と正体がわかっていくものに対する世間の評価・評判は大きく変わっていくものだと思います。

そういうもんだと思います。

 

 

株式も一緒だと思うんですよね。

株式は未来のキャッシュフローが価値の源泉なので、時の経過とともに世間の評価が変わりやすいです。人間関係のように、時間が経つにつれてだんだんと正体がわかってくる性質があります。

株式はその値段(株価)の変化が、刻一刻と目に見えるだけ。
人の感情の変化が、取引時間中は常に視覚化されて目の前に現れます。

そうやって目に見えることがいいか、悪いかはわかりません。
人それぞれでしょうか。

モノの値段が人間の感情そのものである以上、そのモノを生産する企業の価値である株価が日々揺れ動くのはもはや当然だと思います。

ただ、人の感情なんて超テキトーですよ。

今は「もうオワコン」とか言われている商品も、5年くらい経てばまた社会に必要とされる商品もあると思います。

エネルギー株が、このまま低迷し続けるとはとても思えません。
小売株が、このまま低迷し続けるとはとても思えません。

株式だけじゃなくて、すべてのモノの価値(値段)は人の感情の変化に伴って常に変化しています。

ただ、株式はそれが株価として視覚化されているだけです。

諸行無常の世の中なんですから、人間の感情なんて浮き沈みするもんなんですから、モノの値段が人の感情を集約したものである以上株価が日々変動するのは当然だと思います。株価とはそういう意味ではとても人間味のある存在ですよね。

人間は物理的にも常に変化しています。
人間には約60兆個の細胞がありますが、その細胞は約6年ですべて入れ替わると言われています。小学校に入学した時と小学校を卒業した時で、物理レベルでは完全に入れ替わっています。意識は当然変わらないですが。

変化変化変化。

変化するのが普通です。

この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ

ダーウィン

金額が変化しない普通預金、時価が毎日変化する株式、どちらが強いでしょうか?

それは変化する株式でしょ。

名目金額が常に変わらない預金がむしろ不自然じゃないですか?
世の中は常に変化しているのに、評価額が全く変化しない(名目的には)預金ってよく考えたら不思議な存在だと思いませんか?

「株式は価値が大きく変動するから危険、預金が安全だからきちんと貯金しなさい」って親に言われてきたかもしれません。

でも、それって本当に正しい価値観なのでしょうか?
変化に対応できない預金をたくさん持つことが、常に変化する社会を生き抜く上で必要なことなのでしょうか?

そうとは思いません。

社会が流動的な存在である以上、それに合わせて価値が変動する株式の方がむしろ安全な資産です。

ダーウィンが言っている通り、変化に対応できるものこそが強いのです。

変化に対応できるのは預金ではなく株式です。

 

ただね。
その変化を気にし過ぎても仕方ないと思います。変化するのは当然なんですから。

いつもいつも、世間の評判を気にしてられますか?
いつもいつも、周り人間の感情の変化を気にしてられますか?

そんないっつも周りをキョロキョロ見ていても疲れるだけですよ。

株式投資を続けていれば、株価が大きく変動することはそりゃありますよ。それが普通です。人の感情や評価なんて超テキトーに移り変わるんですから。

社会の変化に対応して、株価も変動してくれるからこそ株式という資産は強いのです。

株価の変動を当然だと受け入れて、どっしり構えて、株式投資を続けることが大切だと思います。